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私は地元が石川県で今も石川県に住んでいる。プロフィールには衆院選挙区で石川二区としてあって、だいたいどのあたりに住んでいるかは大雑把に把握してもらえるととってもありがたいんだけど、この地域には群馬の八ツ場ダムに勝るとも劣らない長期公共事業があって、その名を『北陸新幹線』と言う。
なぜ八ツ場ダムに負けず劣らずなのかと言うと、前に少し書いたけど、構想が出たのは今から44年も前の話で、金沢以東は知らないが以西となると橋桁一つなく、以東ですら橋桁くらいしかないのである。いったい44年も何をやっているんだという話で血税無駄遣いの現実を忸怩たる思いで眺めているのだが、今年の10月にダムと違って鉄道マニアだけに新幹線には優しいのか、前原国交相は追加工事の認可を出したのだ。
そして、そのことについて新潟県知事は下記のように申請を出したのである。


【北陸新幹線:新潟県知事「認可無効」と係争委に審査申し出】

14年度開業予定の北陸新幹線(長野-金沢間)の追加工事を国土交通省が認可したことについて、新潟県の泉田裕彦知事は6日、「県に意見聴取が行われておらず、認可は無効だ」として総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査申し出書を出した。手続きを認可前の段階に戻し、県に意見聴取をするよう勧告を求めた。
泉田知事は今年1月、国交省から同新幹線の建設負担金について約220億円の増額を求められたのに対し、説明が不十分などと反発、追加工事の認可への同意を拒んだ。
これに対し、前原誠司国交相は、泉田知事を含む沿線4知事と意見交換した翌日の10月9日、「開業を遅らせてはならない」として認可に踏み切った。
泉田知事は「情報開示がないまま上意下達で認可が強行された」と反発。前原国交相は6日の閣議後会見で「(泉田知事が言う)話し合いがないというのは事実に反する」と述べた。
同委員会への審査申し出は、横浜市が01年、日本中央競馬会(JRA)の場外馬券売り場への新課税に関して行って以来、2例目。



泉田知事の言い分はよく解る。そんな44年も遅々として進まないモノで、しかも金沢以東ですら線路らしきものがないのに、2014年開通なんてどうやってやるつもりなのか理解に苦しむにも拘らず、まだ無駄に追加工事しようというのだから呆れてしまう。それも新潟県に対して220億円の追加負担を言っているんだ。だったら当然、追加工事の理由を知りたくなるものだろう。
ところが、前にも言ったけど前原国交相は話し合いでは何も喋らず、泉田知事の説明を一方的に打ち切ったのである。
これで納得できる人間がいたら、ぜひ、連絡をいただきたい。その理由を問い詰めてやるから。
で、今日の地元ローカル紙の二大巨頭『北陸中日新聞』と『北國新聞』は地方記事として、このことについて掲載していたのだが、メディアとしてちゃんと機能していたのは言うまでもなく、『北陸中日新聞』だった。さすがは今現在、民主主義の敵と化した大手メディアとは一線を画し、唯一、メディアとしての良識をいまだに持っている新聞である。
『北陸中日新聞』は上記毎日新聞が載せている記事からもっと踏み込み、負担増の説明のみならず、北陸新幹線に対する入札関連の不自然さも指摘して、北陸新幹線が談合の元の既得権益集団の温床になっていることを暗に謳っていた。
それに対して『北國新聞』は泉田知事が申し出を出したことは載せていたが、持ち寄った資料には目もくれず、単に民主党がちゃんと対応しないから愛想が尽きて自ら足を運んだと、争点を民主党批判に力いっぱいズらしている姿勢が、もう『北國新聞』はメディアではなくなっていることを如実に示していた。
これだけで間違いなく『北國新聞』は北陸新幹線利権から何らかの享受があると推測できても文句は言えないことだろう。
ちなみに二紙に共通していることは一つだけあって、北陸新幹線のメリット、いわゆる経済効果については何も載せていないのである。
むろん、メリットがないから載せられないだけなのだが。


前にも言ったけど北陸新幹線は沿線付近の住民にもすでに愛想を尽かれている公共事業である。
「え? まだやってたの?」とか「必要かアレ?」とか言われる始末で、いい加減やめてしまった方がいいと思うのだが、どうにも中止する気配がない。
いつまで血税を無駄に貪るつもりなのか知らないが、国や県、既得権益集団は、国民が知らないと思ったら大間違いだということにいい加減気付いた方がいい。
ましてや新政権は、なぜ旧政権が没落したかを一番近くで見てきたはずである。
それならば旧政権の悪しき慣習を打破することが仕事ではないか。
今のままでもよほどのことがない限り、参院選も新政権が過半数を握ることだろう。
しかし、大ネガティブキャンペーンを張られている今のままでは民主党単独政権にはなり得ない可能性は高い。
単独政権を目指すなら、旧政権の悪しき負債を断ち切る姿勢を見せる必要があるのではなかろうか。
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前回、私が二次創作の話をしたときはちょっと否定的に書きました。二次創作は原作者の心労を察するに、相当の重圧になることは私自身の体験で少し分かる気がしていますから。
でも、二次創作がファンとして執筆や漫画を描く趣味を持っているなら、それはそれでやっぱり楽しいものでもあるのです。


なぜならば。


答えは簡単。と言ってもどれだけのアンソロクリエイターが感じているかは解りませんけど、私自身は、ある意味、夢を叶える行動、、、、、、、だから、と思っています。
誰しもが一度以上、考えたことがあるのではないでしょうか。
自分が好きな漫画やドラマ、アニメ、小説といった、架空世界ファンタジーワールドに自分も登場したい、と。
もちろん、夢と現実の間には絶対に越えられない境界線があって、自分が登場人物として自分の好きな物語に登場することは、今の時代では絶対にあり得ないことなんだけど、でも、誰もその夢、というか欲求は捨てられるわけがなくて、頭では否定しつつも、心の奥底では『その時』が来るのを願ってやまないんだと思う。もちろん、私もそう。
ただし、それは自己満足で終われるわけもなく、やっぱり誰かに知ってもらいたいという気持ちもあって、その結果、好きな物語を自分の思い通りに描く、言わば、自分を登場させて作る世界、それが『二次創作』なのではないでしょうか。
だから、自分の気持ちが薄れない限りはずっと続けるし、興味が薄れてくれば離れていく。
そういったものだと思います。
自分が好きだった作品から卒業する、それは何も後ろめたいことでもなんでもないし、泣くことでもないのは当然で、しかし、誰かが卒業すれば、また新しい誰かがその物語に夢を追いかけ始めます。
そう考えると、二次創作とは原作が終了しても永遠に受け継がれ、また続いて行くんだろうなぁ、とか考えることがあります。
原作に何を求めるのか。
それはカップリングだったり、近未来だったり、主要キャラではなく脇役だったり、と人それぞれでしょう。
ちなみに私の場合はパラレルファンタジー。原作の雰囲気を残しつつ、原作のキャラクターたちを原作の舞台から違う舞台へと運んでしまうことでしょうか。(笑)


私はいつも思っています。
趣味は楽しくなくちゃ意味がない。そこに煩わしさや苦しさを感じ出したら、それを続ける必要はないことでしょう。趣味は苦痛に感じちゃいけないからです。
だって苦痛はストレスを生み出す。でも『趣味』というものは精神状態をプラスマイナス0に持っているけるものですから。
趣味で発散できて、しかも夢を叶えることができるもの。
それが二次創作の素晴らしさ、だと思っている私は今日も、頭の中で何かを考えているのかもしれません。
週40時間週休完全二日制が定着しつつある昨今。
つっても中小零細企業で働く私にとっては『完全週休二日』なんてのはなかなか難しい話で、でも仕事自体は所属課の仕事だけをやってりゃいい、って職場じゃないから、これはこれでなかなか楽しんでやっている自分がいるのだ。
これで給料さえよければ――――とこれは言うまい。
なんせ、今の世の中、全国平均で有効求人倍率が0.5倍前後、失業率も職安に足を運ばないニートやフリーターも含めてしまえば10%を越えていると言われているわけで、働き場があるだけでもマシ、という時代なのだから、私もできるだけ今の会社が傾かないよう、自分のできる範囲で努力しているつもりではある。
それでもまあ、なんつってもこの大不況の荒波はまだまだ収まりそうにないので、とにかく耐え忍ぶしかない。耐え忍ぶしかないのだが、従業員にギリギリまでの経費削減を強いる前に、内方で浪費する(もちろん経費計上できない)使途不明金削減を推し進めてくれないだろうか、とか思うことは多々あったりするのもまた現実なのだ。
さて、たまに愚痴は言うことはあっても基本的に、今の職場は結構私は好いている。
前の会社も嫌で辞めたわけじゃないし、雇ってくれたことに感謝こそすれ恨むつもりはまったくない。
でも、前の会社と比べるなら今の会社の方が楽しいな、とは思うし、それは嘘偽りない心だろう。もっとも「今のところは」ではあるけどね。
だって、私は予知能力なんてないし、将来の心境の変化なんてものまでは分からないから。


んで、週休完全二日ではないけど、いちおー規則上は隔週二日になっている勤務先ではあるのだが、実のところ、10月10日~10月12日の三連休以来、私は二日連続で休んだことなかったりするのだ。(^^;)
つーわけで、今日も本来的には休みだったんだけど、昨日になって、急な仕事が入って駆り出されていたり。
でもまあ、それでも声をかけられないよりはかけてくれる方が嬉しいわけで、規則正しい勤務時間もいいんだけど、こういうイレギュラー時間勤務は結構私、好きなのだ。
あ、そこ、Mとか言うなよ。別に体を酷使したり傷つけたりするのが好きだって意味じゃないんだからな。
たぶん、これは私の変な性癖なのかもしれないけど、『時間枠外』の行動となると結構気持ちが高ぶっていることが多い。もちろんプラス方向で。
学生時代は正規の授業よりも長期休みの補習の方が気合が入っていたし、文化祭の準備の方に動いていた時の方がやる気が漲っていた。平日のクラブ活動よりも土日のクラブ活動の方を楽しく感じていたし、前の職場のときは2月から3月中旬にかけての繁忙期に夜遅くまで残らなきゃならない毎日があったんだけど、その時期の方が仕事をしている充実感を感じていたのである。周りには同じように面倒くさがっているような言動をしていたけど、心の中では気持ちが高ぶっていたんだな、これが。
たぶん、だから今の職場の方が前の職場よりも面白く感じるんだと思う。
規則正しい生活だと、それはそれで健康面を考えれば負担は少ないのかもしれないが、それは長く続くとやっぱり『退屈』を感じてしまってストレスになる。
てことで、私は『刺激』とか『変化』とかを求めてしまうのかもしれない。
人にとってたまには違うことがあると、それはいい気分転換なのだ。
んで、今の職場はさっきも言ったけど所属課の仕事だけをしていればいいってわけじゃない。場合によっては朝6時に集合ってこともあるし、日が変わった真夜中の上がりもあった。でも毎日じゃないから、それがやけに私にとっては楽しくて仕方がない。もちろん、周りにそんなそぶりは見せていないつもりだけど、たぶん、私だけはそういう仕事の日はいつも以上に生き生きしているんじゃないかと自分で思う。


仕事を楽しく感じるコツってなんだろうって考えてみた。
結論としては、自分にとっての面白みを見つけることが最善だと思う。それは別にやりがいとかじゃなくてもいいんじゃないかな?
仕事は本来楽しいものじゃない。辛く厳しく、でも生活のためには絶対に欠かせないものなのだ。
だったら、自分で仕事というものを面白く感じられるようにならなきゃいけないと思う。どうせやるなら辛く苦しくよりも楽しく面白くの方がいい。
今現在、就職戦線はとっても厳しい状況に置かれている。
にも関わらず、せっかく就職できた職場を数カ月で離れてしまう新卒者が多いことはどこか悲しいもので、昔の人は「根性がない」で、その人を否定してしまうんだけど、私は少し違う気がしている。
だから、私は新人には課が違っていても努めて優しく、温かく声をかけるようにしている。
新人はどうしても自分の理想というものを持って就職してくる。それは当然なんだけど、最初からできる人間なんていやしない。
理想を現実にするためには仕事に『面白い』を感じ、また、続けていって経験を積まないと不可能なのだ。
そこで私はいつも新人に言う言葉がある。
「今の内に、いっぱい失敗しとけ。うまくいかなくたって構わない。だって、知らないことばっかりでうまくいかないのが当たり前なんだから。フォローは周りがしてくれる」
通じているかどうかなんて私には分からないし、確かめるつもりもない。
今年、職場に高卒の新卒就職の人間がいた。私はそう言って新人を自分なりに力づけてきたけど、残念ながら半年で辞めてしまった。やっぱり辛かったんだろう。去年までは学生で、今年から、いきなり世界が変わってしまったんだから。でも周りは誰もその人を責めなかった。
私が嬉しかったのは、職場の人たちのこの言葉だった。


「今時の子にしちゃ、よく続いた」


そうなのだ。新卒の2/3以上は半年どころか三ヶ月以内に辞めていってしまう時代なのである。そんな中で半年も持ったんだ。『今時の子』にしたら相当持ったほうだろう。褒めてやればいい。何も悪くない。そうやって社会の『経験』を積めばいいのだ。その同僚はまだ二十歳にもなっていなかったから、これからいくらでも新しい働き口が見つかるから。
でもさ。
次はどこに就職するかは分からないし、ちゃんと職が見つかるかどうかも分からないけど、半年しかいなかった同僚に言いたい。
「次は、ここよりも長く居ろよ」
ってね。
大手マスコミの民主党大ネガティブキャンペーンの効果が少しずつ表れているようで、時事によれば内閣支持率は54.4%まで下がったそうだが、これは前にも言ったけど、この世論調査はまったく信頼性に欠けるもので、それは私自身が、世論調査の電話を取り身をもって知っている。だから信用する必要はまったくないと断言しておこう。そもそも新政権の効果は来年の通常国会以後に表れるものである。回答した2000人の内66.6%の人間は、いったい何を持って支持の基準にしているのだろうか。
というだけでも、この調査が如何に批評に値しないかを物語っている。
ちなみに旧政権の支持率が下がっただの上がっただの話のときも私はなんとも思わなかった。それは私が支持率の話をほとんどしないことから解ってもらえると嬉しい。


まあ、そんな信用に値しない調査はともかく、今日、私が注目したのはこの記事だった。
地球外生命体:地球外文明キャッチ?膨らむ期待 国内31カ所で観測実験 /高知(11月13日17時0分配信 毎日新聞)

 ターゲットはカシオペア座付近北北東の空。国内31カ所の天文台や観測所が一斉に望遠鏡やアンテナを向けた。地球外文明から届く電波を多周波でキャッチする「SETI(地球外知的生命体探査)」観測実験が11、12の両日実施された。高知県内からは吾川木星電波観測所(仁淀川町下名野川)が参加し、研究者らが電波を観測する装置のモニターをチェックした。これほど大規模な観測は世界初という現場に立ち会った。【千脇康平】
 ◇データ集約、1カ月かけ分析
 「子どものころ、宇宙人がいるかもと思っていた。今は学術的な『いるかもしれない』なんです」。11日午後7時ごろ、一人パソコンのキーボードをたたく観測メンバーで仁淀川町教育長の大野敏光さん(55)がつぶやいた。
 廃校になった小学校を改修した宿泊施設「しもなの郷」内にある観測所。大野さんは、敷地内のアンテナ(高さ17メートル)を1時間ごとに正確な方向に動かすため方位と仰角をはじき出し、黒板に表を作成した。
 観測は、兵庫県立西はりま天文台(同県佐用町)が中心となり、8施設がアンテナ、23施設が望遠鏡を使い午後9時から翌日午前0時まで電波を観測する。各観測所のデータを集約し、約1カ月かけ分析する。地球外文明からの可能性がある電波は過去に米国で観測されているが、確定には至っていないという。
 午後8時過ぎ、観測のリーダー、高知高専電気情報工学科長の今井一雅教授(54)が、同科4年の生田はじめさん(18)と森本新之助さん(18)を引き連れ到着。電波をとらえる周波数解析装置に入る情報を、5分ごとにUSBメモリーへ保存する手順を確認する。午後9時、観測が始まった。
 「スパン(間隔)が変わってる」。午後10時半ごろ、今井教授の目が装置の小さな画面にくぎ付けになった。拾った電波を示す色が不規則に変化している。「変動を追いかけないと」(今井教授)。今度は中央付近に縦に走る1本の白い線が出現。メンバーは「これは一体?」と首をひねる。装置はパソコンなど人工的な微弱電波もとらえるため、正体は不明という。「もしかしたら…」。データは1カ所に集められ、本当に宇宙からの電波かどうかなどが分析される。結果は約1カ月後。待ち遠しい。
 午前0時、観測終了。学生2人は「よくよく考えたらすごいことをやっているのかも」。今井教授は「有意なデータが取れても、再現性がないと信じてもらえない。世界中でそのターゲットに向けた観測が始まるでしょう」と話していた。

11月13日朝刊



なんとも夢のある話で、私も子供のころから生命体が地球上だけに存在しているものだなんて思ってなくて、いつか地球外生命体との邂逅を果たせたら、と今このときでも考えている。
よく宇宙からの侵略者だとかエイリアンが襲撃してくる話とかは、正直、げんなりしていた。
何でいつもいつも、宇宙からやってくる存在は地球にとって敵じゃなくてはならないのかと。
それゆえ、周りがどんなに熱狂していようともガンダムシリーズには興味がなかった。
逆に私は友好的な『宇宙人』の物語に惹かれていた。『うる星やつら』が顕著な例だ。私がるーみっくワールドに魅かれた原点でもある。もちろん、宇宙人の襲来が始まりなんだけど、それは単なる一発ネタでそれ以降は地球人と宇宙人が仲良く分け隔てなく暮らしている姿がよかったし、富樫先生の『レベルE』も宇宙人は侵略に来ているのではなく遊びに来ている設定がなんとも笑えた。
最近では『涼宮ハルヒの憂鬱』をよく見ているんだけど、このお話にも宇宙人設定のキャラクターが登場する。しかし目的は侵略ではなく、日常生活にも溶け込んでいるから見ていて心地よい。『ET』の自転車のシーンは何とも泣けてしまったほどだ。
マイナーなところでも、多少お色気モノではあるが『Dear’s』もしばらく集めていたし、『天地無用!魎皇鬼』の漫画版は全部見たと思う。


そしていつも思うのである。
自分の前にもこうやって、友好的な宇宙人が現れてくれないかと。
それは未知に対する好奇心と言ってもいい。
未知を恐怖と捉える人は多いと思う。正直に言えば私にもそういうところがある。
宇宙人と言っても友好的なのか敵対的なのかは正直判断できないことだろう。
それでも私は『敵対的』だったとしても宇宙人に出会いたい気持ちは、今でも子供の頃と変わらないまま持っている。
もちろん、今はもう分別が付くようになったから、昔のように無性に追いかけたりはしていない。待っていてもダメなことは分かっているんだけど、大人になった自分はふらりと目の前に宇宙人が現れることを願っているだけになってしまった。
と言っても、私は、前にも書いたけど夢なのか現実なのかの区別がつかない体験を、たった一度だけだけど、しているのである。
今でも鮮明に覚えている。
17歳の秋、10月頃の話。
真夜中、布団に縛られ身動きとれなくなった私は、何かに引っ張られて窓ガラスを突き破り、その頭上にまばゆい光を見た。記憶はここで一旦、途切れいている。
そして、この後に一つ、続きの記憶が残っている。私はまったく身動きが取れなくなっていて全身が汗でずぶ濡れになってもがいていた、という記憶が。
意識がはっきり戻った時は、なぜか私は隣の部屋の襖を開けた態勢だったのである。
この話を人にすれば、大半は「そりゃ夢だ。なんか悪い夢でも見ていたんじゃないか?」と一笑に伏されるだろう。
でも、私は今でもあれは夢じゃなかったと信じているし、信じたい気持ちを今でも失っていない。


いつの日か、あの日、私に曖昧な記憶だけを残して消えてしまった存在と再会できないか、と――――
色々な方がブログで言っていることで現在の日本の、大手を中心としたマスコミは劣化が著しく、とてもジャーナリストの名にふさわしい報道とは言えない状況に陥っている。
視聴率さえ取れればそれでよし、というメディア本来の義務を忘れ私欲に走り過ぎていると言えばいいのか。
近い例でいえば、整形殺人犯の過剰放映であるし、今年の夏のことを言えば、目の前で人が一人死んでいた押尾学よりもはるかに人気があるというだけで酒井法子を毎日、画面に登場させる体たらくである。
で、始末が悪いことに大多数の日本人というものは、自分で情報を集めようとしないものだから、テレビ新聞が過剰報道しているものに反応して周りが見えなくなりすぎる帰来があり、たとえば酒井法子が毎日映し出されれば、「なんであんなことしたんだろうね」とか「旦那が悪い」とかいう一点に集中してしまう。同時期に報道された押尾学の件では、さっきも言ったが人が一人死んでいるのである。その因果関係の方が重要だと思うのだが、酒井法子の方が人気があるというだけでテレビ新聞はまったく意に介さず、視聴率がとれる方を優先する。石川遥が数字を取れると思えば彼一人を追いかける。シーズン中はイチローの記録だけを報道し、ワールドシリーズで松井がMVPを取れば松井を取り上げる。別に何かドキュメントを作るわけじゃないにも関わらずだ。逆に一昨年までは、あれだけ毎日、斉藤祐樹を熱烈に追いかけ回していたのに今、落ち目になってくるとあっさり見放す。
単に、何もしなくても視聴率が稼げる、というだけでやっていることである。
要は自分たちで数字のとれる番組を作れない証拠だ。
さて、そんなマスコミのやりたい放題は留まるところを知らず、今では暴走の域に入っていると言っても過言ではないだろう。
前に冗談で書いたことはあったけど、もしかしたら、と思うと戦慄が走った。


日本の大手マスコミは日本を破滅させようとしている。


ひょっとしたら、冗談抜きで現実になるかもしれないのではなかろうか。
よくよく考えてみれば、である。
先の総選挙で自民党は大敗したわけだが、その原因を多くの国民は自民党の自業自得である、と思っている。
もちろん、それは間違いではない。間違いではないのだが、


安部、福田の投げ出しを招いたのは何だったか。
麻生の頭の悪さを印象付けたのは何だったか。
今になって郵政民営化に異議を唱え小泉竹中路線を否定しているのは何か。
それだけじゃない。
官僚の無駄遣いは糾弾されても仕方ないとしても、あたかも全ての官僚がやっているように見せているのは何か。
古今東西、献金問題にしても、その本質を言わずに一方的に悪と決め付けているのは何か。


答えはたった一つ。
全てマスコミが垂れ流した過剰批判報道にあるのである。
現に今でも毎日毎日民主党パッシング記事を、どんどんエスカレートさせているし、別に何したわけでもないのに、小沢民主党幹事長や亀井国民新党代表を目の敵にしている。闇将軍だとか亀井暴走だとか、言って国民を扇動している。ついでに言うなら国民も知らず知らずのうちにマインドコントロールされつつある現実は認めなくちゃならない現状が周りで起こっている。
景気の悪化や二番底も執拗に流すし、将来の不安ばかりをクローズアップする。
一説によるとアメリカCIAが仕組んでいる、とか言われているが、私はそんな陰謀論なんて知らないし、あったとしてもそれを知ることは到底出来やしない。
だからそれはどうでもいいのだが、なぜマスコミはこうまでして日本を不安定にさせようとするのか。一体何のためにやっているのか。
ついでに言うならCIAの暗躍に構っていても仕方がない。それはどの国でもあるだろうし、CIAのみならず色々な国のスパイがどんな国に居たって潜入していたも不思議はないからここで取り扱うつもりはない。むしろCIAだけをクローズアップする方が異常ではないだろうか。
そして、また別の誰かはマスコミは官僚とずぶずぶの関係にあるという。
しかし、官僚を悪だと流したのはマスコミの方である。
自民党が悪いと流したのもマスコミだし、新型インフルエンザの過剰報道もそうだ。


全ての原点は発信先のマスコミにある。


とするならば、日本にとって一番の害悪は実は、官僚でもなければ自民党でもなく、アメリカでもなければ大企業でもない気がしてくる。
植草一秀氏が名付けた、かどうかは知らないが、頻繁に引用している『悪徳ペンタゴン』は共同体でも何でもなくて、大手マスコミだけではないかとさえ思ってしまう。
今、明らかにマスコミは暴走している。
視聴率至上主義に走り過ぎるあまり、自分たちの気に入らないモノを必要以上にパッシングして世論を煽り、何もしなくても数字がとれるものを大々的にヨイショして、自分たちの都合のいいように国を仕立てようとしている。
しかし、それはマスコミとしてやってはならないことのはずだ。
マスコミは是々非々をもって情報を届けるのが使命である。そこに私欲はあってはならず『公共機関』でなければならないはずだ。
今のままだと日本はマスコミによって滅ぼされる可能性が大いにある気がしてならない。
それを防ぐ手立てはたった一つしかない。
国民自身がテレビ新聞の情報を鵜呑みにせず、自分で調べる習慣をつけることのみであろう。
一番、簡単な方法はインターネットでフリーランスや海外記事に目を通すことである。特に日本についての記事について。
そうやって言って、今、自分たちがどのように世界から見られているかを知ることにより、マスコミの虚構に惑わされないよう、心がけなければならないだろう。
今日、ひょんなニュースを見た。
来年度よりガソリン税5円減
どうも2010年度からガソリン暫定税25円を廃止するが、別にしてガソリンに対して20円課税する環境税の導入を原口総務相が目指しているように書いてあるのだが、さすがにこれは正気か?とか思う。
子供手当、高速無料化、ガソリン暫定税廃止とはまったく関係がないことは明言してもいい。
この税の導入はひとえに温室効果ガス25%削減を念頭に置いているものだからだ。
しかしである。
(どれだけの人が読んでいるかは別にして)私は何度も何度も、不況下での増税はあってはならないし、経済と環境は決して両立しない、と言ってきた。
ましてや鳩山首相自身が二番底を警戒している最中である。
だとすれば、景気に悪影響を及ぼす『増税』はやってはならないのである。
なぜなら、増税は消費の冷え込みを招くことは消費税導入以来の教訓であり、せっかくガソリン暫定税が廃止されても環境税が課税されてしまえば、余剰は500円を切ってしまう現実があり、物流コストも下がらないことから景気のさらなる悪化を招くだけになるからだ。
現在の不況は輸出業の不振が一番にあり、となれば内需拡大を促すしかないのである。その政策となりうるのが物流コストを下げることによる価格低下で消費者が収入を減少することなく消費に回せるガソリン暫定税廃止であり高速道路無料化なのだから、絶対に増税すべきじゃない。馬鹿な大根役者エコノミストは「行って来てで5円値下がりするじゃないか」とかのたまうのだろうけど、こういう奴に限って自分で車を運転していないと断言してもいいだろう。1ℓあたり5円と25円ではまるで違う。
余剰に直せば一ヶ月当たり2000円と400円の差なんだ。1600円の差は大きいぞ。しかしそれに気づいていないんだから、仮に行って来てで5円値下がりと言う輩は自分で車に乗っていないと断言してやる。車は贅沢品だと勘違いしている人間も同様だ。都市部は知らないが地方に行けば行くほど車は生活必需品なのである。都市部だけでなく地方の生活も考慮するなら決して増税は許されない。都市部の理論と地方の理論は違うんだ。


環境税を導入すること自体、反対はしない。世界に対して日本の首相が「25%削減」を謳った以上は、もう撤回はできないのだから国民もそういう方向に向かう義務がある。
できるできないとか、アメリカと中国が参加しないと意味がない、とかじゃなくて、周りはどうあれ日本はやる努力をするしかないのである。国際公約とはそういうものであり、反故すれば、ただでさえ旧政権と既得権益マスコミの所為で日本の世界的信用が北朝鮮以下なくらい失墜しているのに、今度は世界中から見放され孤立してしまう事態を招く恐れがある。どうやってそれで日本は生きていくつもりなのか。待っているのは世界初の国家崩壊だろう。
しかし、今はそれでも環境税は導入すべきじゃない。
何度も言うが不況だからだ。景気が回復基調に乗ってからの導入なら構わない。でも今は二番底さえ警戒されているのだから消費マインドを冷え込ませるような策は打つべきではないのである。
ましてや、環境税導入を叫ぶはいいが、一体、何のために使うつもりなのか。
そこをはっきりしてもらいたい。
政策や減税のためとあったが、これは具体案を示すべきだろう。
配偶者控除と扶養控除の廃止が子供手当の財源というくらい確実な具体案を。
というのも具体案を示さないと第二の消費税、もしくはガソリン暫定税になりかねないからである。
消費税は導入ありきで、結局、理由は後付けだった。社会福祉のため、とか言いながら何に使ったかと言えば大企業減税の穴埋めだったのである。ガソリン暫定税にしたって当時は車抑制のためだったのかもしれないが、現在では単なる遊ぶ金だ。
これが税の使い道に対する不信感を招いているわけで、となれば環境税は『何の政策』に使うのか、『どんな減税』に使うのかを明確にしなければならない。
政策なら温室効果ガス削減設備や研究開発費の補助金とか、減税であればエコカー減税では基準が曖昧なので20㎞/ℓ以上の車両の自動車税を半額するにするためとか、具体的な案を導入と抱き合わせで発表すべきである。
発表しないなら、これは環境税導入ありき、と非難されても反論できないだろう。
原口総務相が一体何の目的で環境税導入を目指しているのかが見えない今、2010年度からの環境税課税は反対せざる得ない。


今日から、今まででは決してあり得なかった予算の公開事業仕分けが始まったのである。その目的は税金をどのように使うかを国民の目に晒すことにより、無駄を抑えようとする意図がはっきりと見て取れるのだから、これはもっとも注目すべき会議だろう。なぜなら国民が自分の納めた税金の使い方を見定めることができるのから。もっとも、おバカな日本の大手マスコミは、国民生活に直結する事業仕分けよりも、国民生活にとってどうでもいい市橋容疑者のことを大々的に報道していたのだから、さすがは民主主義の敵である。
それはともかく、このように税金の使い道を公けにできる政権なのだから、是非、環境税についても何に使用するつもりなのかを明確にすべきである。
ずいぶん、久しぶりに三日連続でホビーというか私の趣味のお話でございます。
政治ネタが無くなったとか新聞に対する文句が無くなったとか、そんなんじゃないんですけど、私はオリジナルと並行して二次創作をやっているわけで、最近、ハルヒ関連のハルヒスレSSまとめ Wiki*とか涼宮ハルヒのSS in VIP@Wikiとか見てましたら、なぁんとなく2007年6月1日に発売予定だった『涼宮ハルヒの驚愕』が今年も正直、リリースされそうにない理由が見えた気がしたんですよね。もちろん気のせいかもしれませんけど、よく噂されている①95%出来上がっているんだけど最後の詰めができていない②角川が出し渋っている③角川と谷川流先生の間で何かあった④谷川先生の執筆意欲が失せた、などなど言われていまして、でも私的には実はこの内、3つは理由じゃない気がしてきています。
①に関して言えばもう誰も信じないでしょう。残りの5%で三年も唸っているなんて誰も思いません。執筆趣味の人間であればよくわかると思うのですが、クライマックスシーンからエピローグは一番力が入るんです。ここでやる気が失せる人はまずいません。もしいるとしたらクライマックスシーンを考えていなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、以外の理由は存在しないことでしょう。だとしたら本末転倒です。投稿始めの素人じゃなくてプロなんだから。話の構成を組み立てるのは基礎中の基礎です。それを疎かにするプロなんて聞いたことありません。ましてや週刊連載やってるんじゃなくて、長編の後編なんだから考えていないなんてあり得ないでしょう。
②は、なんとも説明ができません。出し渋っている理由が主要キャラの誰かが死んでしまうから、とか、シリーズが終わってしまうから、とかもちょっと考えられません。まず主要キャラを退場させるのは相当勇気が要ります。なぜなら『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズはスニーカー大賞2003年以来ですので主要キャラとは5年以上の付き合いです。しかもみんな(変な肩書はあるけど)現代の高校生という設定。生死をテーマにしようとするならもっと現実離れした場所でないといけないでしょう。シリーズが終わると言ったって、涼宮ハルヒシリーズはもうすでに半分ビジュアルキャラクター化して小説よりもキャラの方が売れているところがあり、シリーズが終わってもさほど商売に影響するとは思えないです。
私は③を一番有力視していたんですけど、でしたら3年も谷川先生が角川に居るはずもなく、とっくにどこかに移籍していてもおかしくないわけで、これも無理があります。
そして④でございますが――
『やる気が無くなった』とかじゃなければ、これが一番しっくりくる可能性が出てきたんじゃないかと。
というのも私自身で経験があって、実のところ、自分のオリジナルを誰かに二次創作してもらった時というのは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、初めて見たときはとっても嬉しいんですけど、ちょっと時間が経つだけで言い知れぬプレッシャーになる、、、、、、、、、、、のです。
たとえば私のオリジナルを二次創作してもらったモノとしては、イラストとして、

五條さやか先生作


五條さやか先生作


砕葉さん作

プラス2点あるんですけど、もう二つはラノベキャラの方なので今回は本館看板娘の方の紹介ということで、というわけなんですが、まあイラストは正直プレッシャーになりません。イラストは個性の象徴でありそこに上下は存在しないと思っていますから。
でも、3点とも私より巧いけど。まあ仕方ない話で、五條さやか先生は本職の方ですし、砕葉さんも専門にやっておられる方ですから。
ただ、オリジナルラノベの二次創作はマジでプレッシャーになります。嬉しいことは嬉しいんですよ。それはもう天に昇る気持ちなくらい。
でもですね。
原作者として二次創作に負けるわけにはいかないんです、というと大袈裟になるかもしれませんが、それに近いものがあって、二次創作以上のストーリーを考えなくちゃならない使命感見たいなものが芽生えるのです。
これはもう、5年ほど前になりますけどネットの友人に作っていただいたお話で、
Fusion Magic外伝
というものがありまして、これを読ませていただたときに、まず思ったのは当然嬉しいという気持ち、そして次に湧いた気持ちが「このお話に出てきた武器よりも強い武器を作んなきゃいけない」でした。
なぜなら、少し設定を言いますと本館オリジナルラノベFusion Magicに登場するヒロインの一人は超天才発明家ということになっており、二次創作で登場したキャラクターは当然、このヒロインよりも劣っていないといけないわけで、となるとそのキャラクターが作り出した武器よりも強い武器を出す必要性が生じるわけでございます。じゃないと世界の設定が狂ってしまいますから。なぜなら、こっちが『主幹』ですからね。
その結果、生まれた話がこちら
というわけで、私はいいですよ。所詮、素人でオリジナルを二次創作していただけるなんて僥倖はそうそうない、というかほとんどないですからプレッシャーも弱いものです。
ですが、本職作家となるとどうでしょう。
二次創作は文字通り、作家の執筆ペースをはるかに上回るペースの数ででネットを通じて発表されていくわけで、もちろん原作者も見たことない、なんてことは今の時代、言えないでしょうから、その中に自分が考えていた話がいくつも数多く氾濫していたらどう思うでしょうか。
ないとは言い切れないのは、二次創作をする大半は当然、その物語のファンなわけで、「この先生ならこうしそうだ」とか考えて製作する人も少なくないでしょうし、結果、それ以上の展開を作り出さなくちゃいけないわけで、そのプレッシャーを想像するに、これは桁外れのものがあることでしょう。
ど素人の私だってオリジナルを二次創作してもらったときに感じたのですから、プロならなおさらかと思います。
『涼宮ハルヒの驚愕』がリリースされる可能性があるとすれば、私は(新作が含まれていましたので)アニメ終了後と踏んでいたのですが、残念ながら、そこはスルーされました。
もうひとつの可能性は来春の劇場化に併せて、でしょうけどはたしてどうなるでしょうか。
リリースされなかったときは、いったい、どのタイミングで発行するのかがまったく想像できません。
その昔、『ロストユニバース』という神坂一先生の作品が3巻目をリリース後、3年後のアニメ化まで4巻が出なかったことがあったんですけど、はたして谷川流先生はどうされるつもりなのやら。
と言うほど大袈裟なものじゃありませんけど、本館別館ともにライトノベルを展示している私は、前にも言いましたが、恋愛絡みの甘い話は書けなくて、連載終了後の近未来パラレルものも不得手でございます。
や、別に嫌とかはまったくなくて、つか、見る分には大好きなんだけど自分が作る分に関して言えば、どうにも性に合わないのか、何度かやろうと試みて、終わってみれば結局、冒険ものに走った挙句、甘いお話はさらっと流して余韻を持たせる程度か一息つける程度のものにしかなってない現実があるのでございます。


唯一、完全恋愛話になっているんじゃないかなぁ~~~というのは別館のこのお話だけでしょうか。
めぐり逢った運命恋歌
それでも定番のキスシーンとかは無くて、というか私自身がキスシーンという恋愛としてあまりに分かりやすい展開を好まないといいますか、極力表現しないように心掛けるか、結局はキスシーンは表現しないかになります。
何度も言いますが見る分にはノープロブレムなんですけど作る分にはどうにも抵抗が激しくて。(^^;)
んで、近未来パラレル、すなわち連載終了後の話も、これも前に言いましたが、原作が終了すると同時に、その後の世界というのがどうにも想像できなくてほとんど書くことはございません。
別館に二つほどありますけど、でもこれもどちらかと言えば並行世界と言えないこともありませんでして、特に『らんま1/2』は完全に連載終了後というよりは連載中の二次創作っぽくなっております。あ、でもこれってちょっと恋愛ぽくね?(笑)
『犬夜叉』の方はまだ近未来っぽいこともないですけどオリジナルキャラを出しておきながら最終回設定の延長線上でしかありません。
らんま1/2
選択


原作世界が基本でございますから、その世界が最終回を迎えると、世界自体も終わってしまうと考えている節がありますから。


まあ、それはそれとして、上記は書けない、、、、タイプのお話でございまして、もうひとつ、私は意識して書かない、、、、タイプのお話があります。
実のところ、本館別館ともに『死』をテーマにしたお話はございません。一つだけないこともないのですが、これは本館のこのお話を作る前にすでに決まっていた設定でしたので、作らざる得なかったのですが、それ以外では決して『死』をテーマにしたお話はないはずです。
当初、本館のこのお話を『死』をテーマにしようと考えたのですが、途中でやめました。
心を救うため
何と言うか、生理的に『死』は受け付けなかったんですよね。だからなんとか一人のキャラクターを助けようと奮闘し、結果、そのキャラは今でも生き続け、最近では別館でも登場するようになっております。(笑)
でも、これでよかったんだと今は素直に思えます。だって、お話が続けられたから。
んで、私が決定的に『死』をテーマにしなくなったのはこの作品をとある方に見てもらってからです。
Dead or Alive
4年ほど前にとあるサイトの「ごめんなさい」で始まって「ありがとう」で終わる話という企画に参加した時のお話で、この後、実のところ、このお話をプロの編集者にも見てもらってことがあって、その時は「長いの書いてみてくれない?」とまで誘われたんですけど、残念ながら時期が悪くお流れになってしまった経緯があったりします。
夢を掴む時というのはタイミングってあるなぁ、って感じましたよ。
で、このお話を編集者さんに見てもらう前に、本館イチオシの漫画家・五條さやか先生に見ていただいていたのですが、その時の返答に、高評価をしていただいたんですけど、その中に「私なら」という注釈つきで今でも私の心に刻みつけられている言葉がありました。

「『死』をテーマにするのは重過ぎて表現するのは難しい」

言われて、私はハッとしましたよ。
確かに『死』は重いもので、この別れはもう二度とその人に逢えないことを意味しますからね。どんなに望んでももう二度と叶わない、を地で行く事象ですからこれを安易に表現することはできない、それほどまでに辛いことなのだから表現のしようがないことなのだと。
今でも本気でそう思っています。
だから、私は今後も自身のテーマとして『死』を取り扱うことは無いでしょう。
色々なSSサイト様で『死』をテーマにした作品は見かけますが、もちろん、そのSSクリエイターを批判するつもりはありません。すばらしい作品であることは疑いようのないことなのですから。
あくまで私として『死』は取り扱わないということです。
ですから、私はその逆を、『生』をテーマに描き続けていくつもりです。『生きてさえいれば』を念頭に『命あふれる作品』を作りたい、と考えております。


今後、サイトのラノベが増えていったとしても『死』をテーマにすることは無く、文章から『躍動感』を感じるお話が作ることができれば、という気持ちは執筆趣味が続く限り持ち続けたいですね。
だいたいこういうタイトルのときの管理人の文章には一つパターンがあって、それがお詫びだったり、今後のスケジュールだったりすることが大半なんだけど、今回もご多分にもれず……
お詫びです。(ヲイ)
十月初旬に「新作イラストをクリスマス、謹賀で本館別館合わせて6枚考えるからしばらく新作イラストは出ません。新作ラノベも難しいかもしれない」と宣言したのですが一ヶ月以上経って、実のところ、まだ本館一作目のクリスマス分の線画に入っただけだったりします。m(_ _)m
今の調子ですとたぶんに、少なくとも別館のクリスマスイラストは準備できないんじゃないかと危惧しているわけですが、せめてどっちかでもいいから掲載したいなぁ。
でも、そうなったら必然的に年賀はもう片割れだけになるでしょう。
まったくズボラな管理人で申し訳ございません。m(_ _)m
え? 何をやっていたかって?
それはそのぉ……先週と先々週の日曜日のブログを見ていただくと一目瞭然なのですが、DQ7に没頭しすぎているからでございます。いい加減終わらせないとホントに落ちちゃいそうでヤバイんだけど、まあそんときゃたぶん一週間くらいネットから姿を消して頑張ることでしょう。つか、毎年、十月くらいに計画して二ヶ月ほったらかしになって十二月中旬過ぎてから慌て出す、ってパターンになっているのがなんとも情けない。
てことで今年はなんとか十一月中に目処がつくよう頑張りたいんですよね。できなければせめて謹賀分は十二月中旬で全完成を目指すって感じで。
幸い、構図の方はすでに頭の中にありますからあとは紙の上に表記するだけなんです。問題はそこまでになかなか到達しないという体たらくでしょうか。(ヲイ)


あっと、これだけは先に言っておきます。
今年、ネット繋がりの方で私に年賀状を下さった方には、来年も元旦到着目標で、お送りさせていただく予定です。どんな裏絵かと言いますと、サイトに掲載しない年賀状オンリーのモノになる予定です。お一人だけ決まってるんですけど、他の方は……それはまあ置いといて。
ちなみにもし今年までに私にお送りされた方以外で、私からの年賀状を寛大な心で受け取ってあげようという方がおられましたら本館別館、どちらでも構いませんのでメールフォームより、住所と本名を添えてお送りください。何かその方宛ての文章を添えて出させていただきます。ただし、本館からなのか別館からなのかは明記お願いします。


以上、今回は事務報告でした!
今から何年前か、なんてことはたわいもないくらいどうでもいい話なのだが、私がまだいたいけな少年時代だった頃に、テレビゲーム『ファミリコンピューター』が爆発的に売れ、今ではDSとかWillが有名なんだけど、当時の任天堂と言えば『ファミコン』でした。
ファミコンと言えば多種多様とまではいかなくても、当時のゲーム機としては画期的に細かい動きとか音楽が綺麗で、むろん私もご多分に漏れず夢中になっておりました。
有名どころだとDQとかFFとかでも、誰しも、『自分』が夢中になったゲームというものは存在していて、私は特にシューティングゲームが好きでした。
一番、どっぷりはまったのはこれですね。

当時、小学館『コロコロコミック』主催で全国キャラバンってことでゲーム大会も開かれたりして、私も参加してきましたけど無念の予選落ちでした。(^^;)


でも、だからといって止めたわけでもなく、大会が終わってからも一生懸命やって、たぶん、一年くらいやってたんだけど結局クリアできずじまいで、今、ずいぶん経ってこういう動画を見ると懐かしさとともに、当時の気持ちが盛り上がってきて、本気でファミコンとかゲームとか買おうかな、とか考えないこともないです。
職場でも、ファミコン世代が当たり前で、時々盛り上がれるんですよね。(笑)


もう二度と、あの頃には戻れないんだけど、気持ちだけでもあの頃に戻りたいかもね、などと考えないこともないです。
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