昨日も少し触れましたけど、私は、あえてこう呼称しますが、そのまんま東が今回の総選挙に立候補するとは全く思っていないし、昨日の「自民党総裁にするなら」というセリフは断るための方便だとしか思っていない。
というのも、私はそのまんま東にしろ、(高評価してるんですけどこの点ではなんとも残念な気がする植草氏も批判しておられる)師匠のビートたけしにしろ、嫌いじゃない。むしろ好意を持っているタレントで、悪く言われると何か悲しくなる。
なんと言ってもこの二人は勿論だけど、基本的にお笑い芸人というものは人と同じ努力、同じ苦労をしていても決して認められることはない、辛い人生を歩んでいる。
泥を舐め地べたを這いつくばり、しかもそれを指さされて笑われるという下積み生活を送ってきている真の苦労人だと思う。
その昔、風雲たけし城やたけしのスーパージョッキーでどれだけそのまんま東は体を張って馬鹿をやっていただろうか。
ビートたけしだって、前座で罵声を浴びながらツービートとして必死に歯を食いしばり、オレたちひょうきん族で『8時だよ全員集合』を打ち破るために体を張ってタケちゃんマンをやっていたんだ。
今の二人の地位があるのはその下積みのおかげであり、決してエリートコースを歩んできたわけじゃない。
もちろん、エリートコースを歩んできた人たちだって常人には考えられないような努力をしてきただろうけど、でも、それを周りから認められる努力と苦労である限り、やっぱり本当の苦労は知らない。報われなかったら周りが同情してくれて目標に届かなかった時は自分の努力が足りなかったとは思わないからだ。だから天狗になるし傲慢になる。舛添氏や橋下氏を見ればそれは明らかだ。言動や行動は周りのことを全く気にせず我を通そうとしているとしか思えない。橋下氏は方向性が間違っていないから支持されているだけである。
とてもじゃないがあの態度は人のことを考えているとは全く思えず、独りよがりで自己陶酔に陥っているようにしか私には見えないのだ。
私は橋下知事と比べるならそのまんま東知事を高評価する。
底辺の苦労を知っているそのまんま東は、時々、調子に乗り過ぎるところがあっても決して天狗にならないと信じているし信じられるから。それは二度の女性問題で、「決して自分は助けてもらえない。隙あらば追い落とされる」ことを体験して知っているから。
苦労人は決して傲慢にならないし天狗にならない。なぜならエリートと違って泥を舐めてきた苦労人は蹴落とされることを何よりも恐れているから。だからこそ何においても謙虚になる。どんなに大物になろうともそれは変わらない。ビートたけしを見ているとそれがよく分かる。もし彼が傲慢になってるならとっくに失脚していることだろう。しかし今でも芸能界の頂点に君臨しているのだ。それは決して傲慢にも天狗にもなっていないことを意味しているし、その一番弟子である、そのまんま東にもその精神は脈々と受け継がれていることだろう。
今、そのまんま東は民主党を攻撃することに余念がない。私も彼を土建化知事と揶揄している。でも嫌いじゃない。
だって、そうしないとそのまんま東は宮崎県知事として生き残れないから。現政権に逆らったら生きられないと底辺時代の体験がある意味トラウマになっているから自民党を擁護しているんだと思っている。これが例えば秋に政権交代が起これば、今度は民主党に擦り寄ることだろう。それが彼なりの生き方なのだ。権力に媚を売るのではなく、追い落とされないためにどうすればいいかを知っているからだ。
また知事を放り出して国政に立候補すれば、マスコミはともかく、世間から大パッシングされることを恐れている。絶対に一期は務めないともう二度と日の目を見られなくなると思っているような気がする。
だから昨日、自民党からの立候補を断ったと思っている。
誰も彼の「自民党総裁にしてくれるなら」という言葉を本気にしていない。本気にしているのはそのまんま東の立候補を必要以上に恐れている熱烈な民主党支持者だけで、私はそこまで恐れる必要はどこにもないと思っている。インタビュー詳細だって模範回答であってそのまんま東が考えた回答とは思えなかった。なぜなら東の受け答えは国民の誰もがそう思っているからだ。
だからこそ、民主党を応援する立場の私ではあるが、なぜ民主党支持者がそのまんま東を恐れるのかが分からない。
恐れる支持者は、そのまんま東の底辺時代を見たことがないからなのじゃないかとさえ思っている。
もちろん、そのまんま東が衆院選に立候補してきたときはこの考え方を改めなきゃいけないだろうし、師匠・ビートたけしは愛想を尽かすだろうと思っている。加藤かず子と離婚したときでさえ、東にはビートたけしという拠り所があった。今度はどこにも心のよりどころがなくなってしまうということだ。
はたして転落の一歩をそのまんま東は踏み出せることができるだろうか。今のところ、私はできないと思っている。
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