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平成27年8月30日は官邸周辺だか国会議事堂周辺だかで大規模な安保法反対デモがあり、安保反対不支持で矮小したい政府の犬である警察発表が3万人で、安保反対支持で誇大したいであろうリテラが35万人とあったから、たぶん30万人(ただし、その半数は選挙権を放棄した馬鹿者たちなので称賛する気はない)は集まったのだろう。新聞報道にいたっては毎日が『数万』と発表しただけで、読売と産経は数をぼかし、日経にいたっては扱わなかったとかで、改めてこの国のメディアがマスゴミであることを世界中に晒しまくっている。これでは、世界報道自由度ランキングが100位以下(2015年現在180ヶ国中61位)になる日もそう遠く無いのではなかろうか。ちなみにこういう情報統制にして言論封殺が罷り通る国のことを、世界の常識では『独裁国家』と呼ぶ。つまり、もうすでに日本は世界からは民主主義国家とは見られていないのである。日本人が忌み嫌う中国や北朝鮮となんら変わらない国家だと思われていると言うことである。
さらに主催者が12万と発表があったようだが、コレは『一主催者』であり、国会議事堂の前に居た人たちの数である。この日、いくつもの団体が呼びかけて政府関連施設各所でデモを行っているので『主催者』そのものは複数いるのだ。こういうことすら報道しない日本のマスゴミはもはや百害あって一利なし。どこまでも世界中に恥を晒しまくっていることにいい加減気付いたらどうかと思うが、言うまでもなく、そんな意識は日本マスゴミには皆無なことだろう。そんなマスゴミを鵜呑みにする日本国民の意識の低さも同時に世界中に知らしめている。まあ、世界各国では、日本の中国北朝鮮のような報道の仕方で、日本のことを紹介されていることだろう。それもアメリカの犬というおまけまでプラスされているので、真の意味で曲がりなりにも独立国家を貫いている中国や北朝鮮よりも性質が悪いし、明らかにこの二カ国よりはるか下の状況である。
むろん、この国は言論封殺国家なので国民には、少なくとも新聞テレビを通じては黙殺されていることなのだが。


さて、そんな新聞テレビは現在、安部政権の手となり足となり尻尾を振って広報に勤しんでいるわけだが、巷ではこういう新聞テレビの大根役者な識者どもは安保法反対派に対して「対案を出せ」とのたまっているとのこと。
さすがは大根役者。自分が言っている意味が分かっているのか?とさえ思う。
なぜなら、安保法は違憲法案(憲法学者400人で違憲見解397人、合憲見解3人)なのである。多数決が世の常であるならば、安保法は間違いなく『違憲』となる。そして、憲法よりも位の高い『決め事』など存在しない。にも拘らず、違憲法案の対案を出せ、とは一体何なのだろうか。違憲の対案を出せってか? テレビに出てくる識者紛いのオツムの弱さを如実に表現しているとしか思えない。その昔、ダウンタウンの松本人志は頭の良い存在だと思っていたが、どうやらその認識は大間違いだったらしい。でなければ、松本はテレビに出る芸能人としてプロなのかもしれないが、それはさておき、「対案を出せ」とのたまっている筆頭が松本であるのだが、じゃあ出してやろうじゃないか。


『憲法改正の手続きを踏め』


コレで充分である。
安保法が違憲法案なのだから、それを合憲とするために、まずは「憲法改正をすればいい」というのが対案である。
その手続きを踏んで、堂々と合憲法案として推し進めれば良い。
具体的には、憲法改正の是非を問う国民投票をやることだ。そこで改憲が国民投票の過半数を占めることができれば、大手を振って9条を廃止し、安保法を通すことができるのだ。
そして個人的にはこれは可能だと思っている。
なんと言っても日本人の国民性の低さは世界最底辺である。
9条を改憲する、という点をぼかせば、大多数の日本人は「ううん。まあ戦後70年だし、そろそろ変えてもいいんじゃないかな?」と思って、そこには9条が含まれていることなど露知らず、改憲に賛成票を投じるだろうし、新聞テレビにでしか情報を得ようとしない頭ガチガチの、痴呆、じゃなかった地方の、特に団塊世代の老害どもは官邸前でデモが行われていることすら知らず、また知っていたとしても新聞テレビを鵜呑みにするからデモを否定的に捉えている輩は少なくない。現役世代や若者にいたっては深く考えることもなく棄権することだろう。それは『選挙』で既に示されている。ちなみに改憲は『投票の過半数以上を持って可能』となる。
信じられない話なのだが、改憲投票は投票率ではないのだ。


とは言え、改憲のための国民投票ができない理由が存在する。
言っておくが、国民が改憲に反対するから、ではない。先にも述べた通りの理由で改憲自体は可能であるし、現実問題、出来ると踏んでいる。
という訳で何が理由かというと、安部のお馬鹿が、アメリカで「今年の9月に安保法を成立させます」と勝手に約束してきたので時間が足りないからである。
だから、政府広報であるテレビの大根役者たちは国民を洗脳すべく、別のところで発揮させるべきプロ根性を要らんところで発揮させているのだ。
国家の一大事なのに、日本国よりもアメリカを優先させるこの姿勢はどこまで奴隷根性が染みついているのか。とは言え、国民の大半はこの現状を知らないか知っていても受け入れているかのどちらかであるので、本当にお馬鹿集団だとつくづく思う。でなきゃ極度のM体質だ。
まあ、今現在、テレビや新聞で安保法賛成を声高にのたまうなら、安保法が成立したら真っ先に自衛隊に志願入隊してもらおう。歳とか健康状態なんかどうでも良いはずだ。安保法賛成ってことは率先して戦争に行きます、と言っている訳なんだし、だったらその意気込みを見せてもらおうじゃないか。
まあもっとも。
テレビや新聞に出ている大根役者識者や松本のような芸人は、そこまでの心意気があるとはまったく思わん無責任論者でしかないがな。
つーか、こんな連中を鵜呑みにする国民は本当にどうしようもないくらい救いが無いとしか言えん。
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安保法が衆院を通過して既に二週間が経過しようとしている。
今でも官邸や国会議事堂辺りにはデモ隊がシュプレキコールを上げているようだが、まあ頑張ればいいさ、というのが私の見解だ。
無駄な努力という意味ではなく、加害者が被害者面してるんじゃない、という意味である。
何度でも言ってやるが、安保法反対デモ参加者の内、仮に全員が有権者とするなら半分が選挙権を放棄するからこんな違憲法案が通ったわけで、そこをちゃんと分かった上で参加しているのかどうか甚だ疑問だからだ。なんと言っても日本人の大多数はほとんど何も考えずに烏合の奔流に身を委ねることを選ぶ。どうせ参院が採決しなくても衆院の2/3以上の賛成を持って可決されるし、可決されてしまえば、このデモに参加した人間の内、少数派のマトモに考えた人たちを除く大多数の烏合の衆は来年夏の参院選でまた馬鹿をやらかすのは目に見えている。せいぜいが自公がアレだからもう一回民主ってレベルだ。確かに岡田克也率いる民主党であれば、ある程度は信用してもいいかもしれないが、前原、生方、野田辺りを切らないと結局は現自民党政権と何も変わらない。岡田氏が鳩山兄弟、亀井氏、小沢一郎氏に協力を仰ぎ古賀氏を引き込むなら話は別だがはたして岡田氏にそこまでの覚悟はあるだろうか、本音はやりたいだろうけど本当にできるだろうかと問われると正直、私は自信がもてない。まあもっとも、それで来年夏の参院選で自民党公明党が過半数割れしようが、衆院で2/3以上の議席があるので悪法通りまくりの現実は少なくとも2018年まで何も変わらない。参院で与党が敗北すれば安部の首を切って自公はカタを着けるだろうし、どうせ日本国民の大多数はそこで満足して、また政治に無関心になってしまうのが関の山だ。結局は2018年の衆院選で馬鹿をやって、2019年の参院選で馬鹿をやって、何も変わらない現実が容易に想像できるというものである。言い換えれば、自分たちを苦しくする政権を、選挙権放棄をやらかして『選択』するのである。
唯一の希望はこれから選挙権を持つ若者たちが自分たちを守るべく、ちゃんと選挙権を行使するかどうかだろう。ただし、怖いのはこの若者たちも「選ぶ政党と候補者がいない」というマスゴミの報道や両親や爺婆の言葉を鵜呑みにして、結局は投票に行かなくなることである。てことで、これから選挙権を持つ若者たちには、自分たちを選挙によって苦しめる道を選択した両親、爺婆、マスゴミなんかを一切信用するな、と声を大にして言いたい。代えなければ何も変わらないのだ。


さて、それでもこれから選挙権を持ち、今の政府体制を壊してくれそうな若者たちの数が馬鹿親馬鹿爺婆の数を凌駕するにはまだそれなりの時間がかかるので、これから日本はどうなっていくかを少し考えてみる。
具体的には、(それでも)万が一(でしかないのだが)、来年の夏の参院選で安部の首を取った後の話である。
来年夏の参院選で与党が過半数を割ろうが、衆院の与党2/3議席は何も変わらないので、結局は自公政権がのさばることになることは避けられない運命なわけで、そうなると次の総裁は誰かというと谷垣か石破のどちらかなのではなかろうか。
まあ野田聖子という選択肢もあるだろうが、はっきり言えば野田では谷垣と石破の二人に輪をかけて最悪な宰相である、と断言しておこう。安部の悪いところに谷垣の悪いところを足したような政権になることは想像に難くない。野田は自分では何も考えることができないので明らかに官僚と米国の言いなりになって国民無視の姿勢はさらに酷くなる事は目に見えている。まあマスゴミが異様に野田を推すようなことがあれば、国民は絶対に疑ってかかるべきなのだが、多分、そんな風に考える人は少数派である。マスゴミが推す輩は碌なことがない、といつになったら、というかどこまで酷い目にあったら分かるのだろうか。まあ日本国民は極度のM人種なので、案外虐げられることに喜び、というか悦びを見出しているのかもしれないが。


話が逸れてしまったが谷垣と石破の話である。
個人的見解を言わせてもらえばどっちも嫌だ、である。
石破であれば今の安保法から躊躇わず軍国主義国家の確立を推し進めるほどの軍事馬鹿だし、谷垣では大増税政権になることが目に見えている。
今回は谷垣だけの話をすると、こいつは財務大臣時代にサラリーマンの所得控除を現行の約35%を7%に引き下げることを画策したほどの民主党の野田以下の財務省の手先なのでこんな奴に政権を預けてしまったら、国民は税金を搾取されるだけ搾取されることになる。
ただでさえ、日本は個人の所得に対する税負担率が世界最高なのに、谷垣が総理になると世界ぶっちりの税負担率がのしかかってくる。そんなものに耐えられるわけがないのだが、はたして日本国民のどれくらいが財務大臣時代の谷垣の悪行を覚えているのだろうか。こいつが財務大臣時代に、所得税の控除のほとんどが廃止されたのだ。本来であれば、そんな奴が総理になっていいわけない以前に当選させること自体がおかしいのに、ここに日本人の馬鹿でドM具合がよく表れている。自分たちを苦しめることしかしない候補者を選んでどうするんだと。
まあ、これは日本人が自分の払っている税金の仕組みを少しも理解していないし、知ろうともしないからこうなるわけで、本当に日本人ってお馬鹿だと感じる例でもあるのだが。


くどいくらい何度でも言うが、マジで日本の未来は暗い。
本当に小さい希望でしかないが、これから選挙権を持つ若者たちが自分たちの生活を鑑みて、馬鹿親馬鹿爺婆の白痴な言葉を鵜呑みにせず、自分で考えて行動してくれることを願うしかない。
願うしかないのだが、極めて残念なことにこれから選挙権を持つ若者たちは、少子高齢化の影響で絶対数が少ない上に、赤紙召集によって戦地に送られてしまうのが日本の近未来である。
今、選挙権を持っていて2012年以後に馬鹿をやらかしたクズ共の罪深さは将来の日本で白日の下に晒されることだろう。
ただ、極めて残念なことに、市中引き輪回しの刑に処しても全然足りないくらいの大罪人馬鹿共、特に老害世代の大半はこの世から居なくなってしまっているのだが。
戦後70年の今年、この国はついに悪しき歴史を繰り返す道を選ぶことになった。
それもこれも馬鹿な国民が何も考えずに馬鹿をやった結果である。いややり続けてきた結果である。
そもそも論で語るなら2009年8月31日に何故、自民党政権を終焉させたのかを国民一人一人が完全に忘れてしまったか、でなければ、マトモに考えた人たちに乗っかっただけの烏合の選択だったか、のどちらかだろう。
個人的には後者だと思う。
本当に、自民党政権を終焉させる道を選んだのであれば、マスゴミが何を言おうが鳩山政権を国民は信じたはずだからである。しかし信じなかったと言うことは、単に、「政権交代させた方がいいのかな? いやさせないといけないのかな?」という『空気』に乗っただけということだ。裏を返せば、この時点で、まったく何も考えずに投票したに過ぎない、ということだ。
国民がようやく現実に気付いたわけでもなんでもなく、KYになりたくないという、意味不明の何の役にも立たない自尊心から引き起こされた政権交代だったんだ、と今さらながら思う。


そして2012年12月に元の木阿弥にしてしまう。否、2010年5月の時点で既に元の木阿弥にしてしまった上に、それにまったく気付こうともしなかったってことで本当にどうしようもないくらい日本国民とは世界最底辺の国民性しかないことがまた浮き彫りになってしまったなと痛感する。
今回の安保法のデモ行動で国会議事堂に6万人集まり、その中には若い夫婦やカップルが結構いたそうだが、私からすれば滑稽極まりない行動としか思えない。
賞賛するつもりはまったくない、むしろ、安保法などという危険極まりない法案が通った背景をちゃんと理解しているのかと軽蔑する。
何を今さら被害者面してそんなものに参加しているのだ?
安保法案が通らないための手段はこの3年の間に三度あったんだ。その三度ともちゃんと選挙に行ったのか? 自民党以外の候補者と政党の名前を書いて投票したのか?
どうせ、『入れる候補者と政党がない』と、自分で考えたわけでもないくせにマスゴミに刷り込まれた情報を鵜呑みにして投票に行かなかった、が関の山だろう。
それとも「安部がこんなことをすると思わなかった」等という言い訳を並べるか? 笑わせるな。こんな危険人物のことなど少しでも調べればすぐ分かる話だ。テレビ新聞のマスゴミを鵜呑みにして、自分からは調べようともしなかったお前らが聞いた風なことを抜かすな。
投票率が50%だから、デモに参加した連中の内、(仮に全員が有権者だとするなら)3万人は投票に行っていない計算になる。若夫婦だろうがカップルだろうか、同情する気はさらさらない。少なくともデモに参加した連中の内、半分の所為で今の現状が起こったんだとまずは猛省しろというのが私の見解だ。
だいたい、鳩山政権前の小泉、安部、福田、麻生の時代がどんなものだったかをちゃんと分かっていれば、自民党が復権できるわけがない。にも拘らず復権できたのは選挙に行って前例踏襲主義で投票した馬鹿と、選挙に行かなかった馬鹿がやらかした結果に他ならない。
どうせ、今回のデモに参加した連中の大半にしたって秋を迎える頃には参加したことを忘れていることだろう。正確には参加した理由を、という意味だ。なんせ「ただなんとなく」とか「みんながやっているから」とかが理由だろうからな。
明確な意思を持っているとは思えないし、日本国民のことだから抵抗が無駄だと悟るとすぐ諦めて現実を受け入れる道を選ぶことは目に見えている。
それは75年も前に証明されていて、しかも本質が変わっていないことに気付かない日本人だから、容易に予想できる近未来だ。
そして、完全に忘却の彼方に追いやって来年の参院選、数年後の衆院選でまた馬鹿をやらかすのだ。


選挙権を何も考えずに行使した馬鹿と行使しなかったというか放棄した馬鹿はその報いを甘んじて受けるがいい。具体的には旦那や我が子、孫を戦争に取られることだ。
ただ、今現在の20歳以下の若年層には現役世代の馬鹿と老害世代の馬鹿の所為でその命を散らさなければならない、というのは深い同情の念を禁じえないし、忸怩たる思いを抱く。
まあもっとも。
馬鹿な日本人のことだから。
我が子や孫が戦争に取られようとも、その頃には、70年前と同じく、戦争賛美をやって、受け入れてしまう世論が形成されているかもしれないが。
2012年12月に誕生したお馬鹿政権。
馬鹿な国民の馬鹿な国民による馬鹿な国民が選んだのだからそりゃお馬鹿な政権になるのは当たり前なのだが、とうとうこの政権が完全に70年前への回帰宣言を声高らかにのたまった。
いわゆる『戦争参加を可能にする国』宣言。言い換えれば平和憲法無視である。
というか、あの宣言自体が憲法違反じゃないのかと考えてしまうのだが、不思議でもなんでもないことに、やはり日本のマスゴミはそこを指摘するテレビ新聞は一切なかったし、はたして国民の大多数は平成27年5月14日の安部の演説が、憲法違反じゃないのか? と少しでも考えたのだろうか。まあ、考えるわけないのが日本国民だから、こんな好戦的な首相が誕生するわけで、国民は自分たちが後戻りできない茨道を底の見えない崖に向かって目隠ししながら歩かされていることにいったい何時になったら気付くのだろう。ちなみに私の予想では、破滅のそのときまで気付かないと思っている。馬鹿は死ななきゃ直らない。
3年前に懸念と言うか予期したとおりの展開になっているので、私のようなド素人でも読めるような未来が、大半の国民が読めないと言うよりも読もうともしなかったがために起こったことなのだが、それでもどこまで行っても日本国民は気付こうともしない何とも摩訶不思議な国だと諦観と落胆が入り混じった感覚にさい悩まされている私である。


それにしても日本人の無知というか『現実』を見ようともしない姿勢には不気味すら感じてしまう。
IQや技術力は高いのかもしれないが、『考察力』に関しては皆無なのか? とさえ思う。もっとも『妄想力』は世界有数だろうが。
ロジカル、という言葉を使うとその時点で考えることを放棄しそうなので、もっと噛み砕くと、「どうしてこうなった」を自分の中で組み立てるだけでいいのに、それすらしようともせず、現実を見ない。見て見ない振りではない。
見えているのに見ないのだ。


女性誌やリテラと言った媒体が安部政権を批判したり、危険性を説いたりしているが、私からすれば矛先が間違っているとしか思わん。
2012年12月に選挙に行って自民党と書いたのは誰だ。
2012年12月に選挙に行かなかったのは誰だ。
これが答えなんだ。
選挙に行った馬鹿と選挙に行かなかった馬鹿がやらかしたのが今の現実なのだ。
だったら、安部政権を批判する前に、そうなった理由をしっかり述べた上で、二度とそうならないよう、誘導するのが女性誌やリテラの使命だろう。
ただ、日本人というのものは全員が自己中なだけに、自分が悪いことをしたことを追求されると逆ギレする。反省などしないで人の所為にする。指摘した人間を批判の的にする。真摯になど受け止めない。
ここを改めない限り、安部政権や類似の政権がのさばり続ける事だろう。
結局は日本人全体が意識改革しない限り、変わることはあり得ない。
ちょっと前に、安部政権を批判する若者がいたので、「選挙に行ったの?」と聞いてみたら、バツが悪そうに俯いた。
でもこの若者はまだいい。選挙に行ってないから今の現実であることを認識してくれたから巷に溢れているB層よりは、はるかにマシだ。
大多数の日本人は逆に逆ギレして選挙に行かなかった自分を正当化する。選挙に行って自民党と書いた人も同じだ。
「選ぶ政党と候補者がいないから」と言い訳という名で正当化するのである。
選ぶ政党がないなら少なくとも戦争をしない、と言っている政党を書けばいい。
選ぶ候補者がいないなら消費税を上げない、と言っている候補者名を書けばいい。
それで達成されないならまた別の「戦争をしない」、「消費税を上げない」と言っている候補者と政党を選べばいいだけだ。現実になるまで繰り返せばいいだけなのだ。
それすらしないで「選ぶ政党と候補者がいない」なんて取り繕うなと言いたくなる。
しかし私の考え方が、仮に正しいとしても、日本では異端となる。日本人は異端として扱う。
異端=間違いという意味である。
だから私はこう思う。
戦争で身内に犠牲者が出たときに声を上げても遅い。
経済が破綻したときに声を上げても遅い。
今の株価を支えるために年金が投入され将来年金が支給されなくなってもそれを批判しても遅い。
『選挙』という権利を何も考えずに行使した貴方たちや放棄した貴方たちがどれだけ声を上げようとも時既に遅し、自業自得、とね。
ただし、これも毎回言っているのだが、そこには私も含まれる。
声をあげ、きちんと考えて選挙権を行使した人たちも含まれる。
そういった人たちを少数派とし、烏合の奔流に飲み込んだ馬鹿な連中はマトモな人たちさえも『連帯責任』と言って巻き添えにする。
どこをどう考えようが選挙に行って自民党と書いた馬鹿と選挙に行かなかった馬鹿にのみにしか責任が発生しないのに巻き添えにする。
自分たちの悪事に気付いていない以前に気付こうともしない最大の証左である。
この国は終焉に向けてラストスパートをかけた、と言っても過言ではないだろう。
しかし国民の大多数は気付かない。破滅のそのときまで気付くことはない。
前回書いたのが2013年3月だから、実にほぼ2年ぶりのブログである。
当時、私は「もう日本の未来は破壊されたので亡命を真剣に考える」とのたまい、そして、今、とっても目に見える形で日本の破滅は着実に進んでいるにも関わらず、残念ながら、まだ国内に居住を構えている。
まあ資金と人脈がないからどうにもならないと言ってしまえば、それまでだが、どうやら私の行く末は日本と共に崩壊することのようだ。と言っても、日本の崩壊よりも先に私は崩壊してしまうだろうが、この自然の摂理は止められそうもない。


さて、何故久しぶりにブログを書く気になったかと言うと、今日が2012年12月に誕生したお馬鹿政権が大馬鹿をやっているにも拘らず、延命されることが確実な衆院選の日だからである。
選挙前にいくつかのブロガーの記事を見てみたが、さすがに当時と違い「日本国民はそこまで馬鹿ではない」と主張する方は格段に減っていた。現在、週刊誌だけが必死でアベノミクス改めアホノミクスの失敗と結果を喧伝していたが、随分無駄な労力を使うものだ、と半ば感心しながら私は読んでいた。ただし、『週刊現代』に関してはお前が言うな、と毎週憤りを感じていたわけで、今のお馬鹿政権が誕生した最大の要因は新聞テレビを始めとしたマスゴミ各社が2009年8月31日に誕生した鳩山政権を血眼になって潰そうと、ないことないこと背ひれ尾ひれ触角を付けただけで飽き足らず煙を立てようと放火までして毎日毎日バッシングしたことに端を発するわけなのだが、明らかに『週刊現代』はその一翼を担っていたにも拘らず、現在、安部政権の異常さを訴える様はアホかと言いたくなる。お前のような立ち位置がいい加減な週刊誌も今の政権を誕生させるきっかけを作ったことを棚に上げて何を言っているんだと。


てことでここ2年でさらに私が感じたことと言えば、日本は末期症状なくらいの馬鹿が集うだけではなく、責任放棄の集団でもある、ということだ。
平たく言ってしまうと選挙権を放棄する輩がとてつもなく多いこと。言い換えると政治という国の現在と未来を左右する大事な行事に責任を持ちたくない、という意志表示をしているという事になる。
とっても危険な思考である。国会が決める政策は『生活を直撃する』にも拘らず、棄権や白票、はては候補者以外の名前を書くという『白紙委任状』に判を押すのだから、この国の国民が如何に頭がイカれているかがよく分かる。例えるなら約束手形や小切手に金額を書かずに、しかも使えるように判を押して渡すようなものだし、運転免許証や健康保険証を勝手に渡すようなものだ。そんな馬鹿いるか? 別に海外でなくとも、国内だって自分の『財産を脅かす』身分証を他人に渡したりしないだろう。ところが日本という国はとっても国民性が低いので『渡してしまう』である。毎度言ってることだが「振込詐欺に注意」という言葉が日本国民には馬の耳に念仏となっていることの証左と言っても過言ではない。
最近のブロガーは選挙権棄権を肯定するような文章を書く者もいるようだが、さすがにこれは間違いだ。「選ぶべき人、政党がないのだから行かなくてもやむを得ない」という理由付けになってはいるけれども、だからと言って選挙権を放棄するという事は、先にも記述したが『白紙委任状に判を押す行為』に他ならない。しかもそれは『自分の生活を好きなようにしてください』と言っているに等しいわけで、これこそが国畜化の考え方と言うべきだろう。
と言ってもまあ、以前、日本人はドM国民だ、と主張した私であるから、図らずも(現在の政権の危険性に気付いていながら)現政権を容認する方を選ぶということではまさしく証明されていると言っても過言ではあるまい。


果たして今回の選挙で投票率は50%を越えるのだろうか。越えたとしても50台前半では越えた内には入らないだろうし、如何に国民がテレビ新聞と言ったマスゴミに洗脳されて『選ぶ人と党がない』と思い込んでいるかってことが白日の下に晒されるのだ。
国内では『やむを得ない』という空気だろうけど、海外から見れば日本という国が衰退の一途を辿っていることを理解させられる出来事だろう、と個人的には思う。
というか、『まず替えてみてどうなるか』をその目で見てみればいいのに、『替えること』を恐れているんだから、日本国民全体が前例踏襲主義ってことになる。公務員の『前例前例』を否定できないってことなんだけど、それに気付いているのかね。これが『責任放棄』なんだけど分かっているのかね?
替えてみた2009年から2010年の春までは劇的に政治が変わってたんだけど、誰もそれに気付かなかったようで、しかも政策よりもバッシングがお好みだったらしく、生活よりもスキャンダルが大事な国民のようで、本当にお馬鹿な国だとつくづく思う。
まあ、今回に関して言えば、消費税先送りという公約をはたして安部が守るかどうか。
来年の4月か5月に通常国会中にいきなり「社会保障費が云々とか財政健全化がどうとか」という話が出てくれば、予定通り、2015年10月から消費税は10%になることだろう。仮にならないとしても一年後の2016年10月に『前倒し』されるだろうね。
笑えることに、どうして2013年以後、日本の株が上がり、円が安くなったかを検証した新聞テレビが皆無だったにも拘らず、国民の大半はその理由を知ろうともしていない現実がある。
どんな方策を使ったかなんて、多分分からないんだろうな。
でも、ちょっとでも想像力を働かせればすぐに分かることなんだけど、それでも働かせる気すらないんだろうな。
はてさて、ハイパーインフレとスタグフレーションがもうすぐ巻き起こりそうな按配になってるわけだが、一体いつ日本国民は気付くのか。
まあ、多分、実際に起こるその時まで気付かないんだろうな。
それも遠い未来じゃなくて来年の話になりかねないわけなのだがどうやって『今』を持ちこたえるつもりでいるんだか……
選挙権を放棄した馬鹿父母、何も考えずに『自民党』と書いた馬鹿爺婆。
アンタらのやっていることは子供と孫の未来を少しも考えていない行動なわけなのだが、それにすら気付かないんじゃあ論外のさらに外ってことになるんだけど、ねぇ……
最近、馬鹿な国民の馬鹿な国民による馬鹿な国民が『選択した』自民党政権に回帰して以来、急にマスゴミが中国を叩いている印象があって、こんな状況に陥っていることに周りは疑問を感じないどころかそれに乗っかって便乗して一緒になって中国に嫌悪の念を抱いているという異様な光景に寒気がしている私である。
別に中国と仲良くする必要は無い(誤解のないように言っておくと、個人的には諸外国とは関係が険悪にならなければ、どことも必要以上に仲良くしなくてもいいと思っているし、それが外交だと考えている)とは思うが、だからと言って、悪化させる必要性もまったく感じない(なんと言っても現在、日本の最大の貿易相手国)わけなのだが、どうも日本中で『中国=悪』という風潮が形成されつつあって、このことによって日本にとってどれほど有益なのかをどれだけ考えても分からない私である。


たとえば、最近は、「中国から大量の汚染物質が飛来してきている」と大騒ぎしているわけなのだが、これに関して言えば、別に今に始まったわけじゃなくて、北京オリンピック前からあった話だし、何で今になって事細かに騒ぎ出しているのだろう、というのが私の本音で、むしろ、太平洋に空中と海中両方から世界中に放射能を撒き散らしている日本の方が世界から見ればよっぽどタチの悪い国家に見られているのではないかと思うのだが、その考えに到達している日本人は本当に少ない。
たとえば、著作権パクリにしたって、ちょっとでも形が変えてあれば、それは別物であるというのは日本国内でも慣例という名の常識で、それをあたかも中国だけがやっていてそれが悪い、と言うのは、まったくもって言いがかりとしか思えない。そもそも著作権パクリがマズイのであれば二次創作や同人誌すべてが否定されることになる。しかし、それらは(特に最近は)公式でも出版されるほど一般的になったのだから悪いとは思わないし、むしろ中国のパクリを見ているとあまりの稚拙さに、幼い子供が一生懸命真似て描いた似顔絵に近いモノがあるので微笑ましさすら感じてしまうのは気のせいなのだろうか。
んで、なぜか、最近は中国の動向に何かと難癖をつける報道が増えている。
直近では「日米首脳会談で何の成果もなかった」と中国国内向けの中国のニュースをわざわざ報道してコメンテーターという名の御用大根役者に批判させるとか。
実際に成果があったかどうかなんて後々じゃないと分からないのだから、成果があったときに批判すればいいのに結果が出る前に批判するという「お前は予知能力者か」と突っ込みを入れてしまう場面に何度か遭遇してしまっているわけなのだが、まったく総考えずに「そうだそうだ」と気勢を上げるのが大多数の日本人である。ちなみに、この場合の『成果』とは、TPPに加盟した際にマスゴミや電力を中心とした既得権が守られるかどうか(、、、、、、、、、、、、)なのだから、それを『成果』というのは甚だ抵抗がある。そもそもTPPは農業のみならず製造や保険、医療の分野にまで影響が及ぶものであり、格差助長と製造業と医療の崩壊を招くものなのだから参加する方がおかしいのである。日本の製造医療のレベルの高さを壊そうという仕組みを歓迎するなど異常の極みだろう。まあ、もっとも、日本は高度成長期において一億総中流という世界中のどこの国も達成できなかった偉業(私は社会主義的資本主義という言葉がピッタリだと考えている)を成し遂げたのに、それを自ら潰すような真似をしでかして、結果、そこから引き起こされた不況から今現在に至るまで脱することが出来ていないことに気付いていない国民の方が多いのだから、さもありなん、と言えるのかもしれないが。


そして、北朝鮮に関しては、何かあるたびに批判の対象にしている現実があって、やれ核実験を強行したとか弾道ミサイルを発射したとか。
もちろん、核実験や弾道ミサイルは批判されても仕方ないとは思うが、別にそれは北朝鮮だけがやっているわけじゃなくて、世界中で毎日のように行われているようなものなんだし、実害も無いのに、何故、北朝鮮だけが悪しき様に言われるのかが私には理解できない。んで、もう一度言うが、日本は現在、太平洋側を中心に世界に向けて放射能絶賛拡散中なのだ。どこに北朝鮮を批判する権利があると言うのだろうか。


要するに、今の日本の報道姿勢は70年前とまったく同じで(アメリカのことを除く)内弁慶方式なのだという想像を私はしている。
何故、『想像』なのかというと、現実に70年前の報道を知らないからだ。しかし、文献や祖父母の話を総合すると、どうも、今の状況とまったく瓜二つとしか思えない。
これは非常に危険な兆候である。まったく持って70年前に日本人は回帰したのだと思われても致し方ない状況である。
70年前は既得権益集団が国民を「天皇万歳、鬼畜米英」と洗脳したわけだが、現在は「アメリカ万歳」で、もうしばらくすると「鬼畜中朝」と言い出しかねない状態に陥っている。
ましてや、当時同様、国民の権利のほとんどは規制されつつあり、結局、取調べの可視化は事実上、破棄されてしまった、ということは、警察検察の権利が悪い意味で強化されてしまったことになるし、現実、いくつかの冤罪幇助法(インターネット規制法や児童ポルノ改正法)が成立し兼ねなくなっている。
ところが、それでもこの国の国民性は世界最底辺なので、実際に、破滅のそのときまで、大多数の日本人は気付かないことは想像に難くない。
太平洋戦争当時も、『現在の危険性』に気付き、声を上げた人たちの方(=戦争反対を叫んだ人たち)が弾圧された現実があり、それは『今現在』の日本でも『正しい声をあげた人』に対して、見せしめ逮捕や冤罪逮捕が公然と蔓延して、しかも『正しい声をあげた人』を『悪者扱いする』マスゴミに、大多数の日本人が賛同と賞賛を送るのだから、今の日本人の性根は明らかに70年前に舞い戻っているので、とことんまで救いが無い。
北朝鮮が世界から孤立しているような印象操作を真に受けているボンクラ日本人どもだが、はっきり言って、世界から本当に孤立しつつあるのは日本の方じゃないのかと強く感じている。
事実にすら到達することが出来ないどころか、しようともしない日本人は、再び太平洋戦争の悪夢を、無自覚で繰り返すことだろう。
今度の焼け野原からは立ち直る要素がまったくない。
2015年日本壊滅。
そのときまでに何とか日本脱出の足がかりを私は作れるだろうか。
この選挙が決まった時点で私は最悪の政権が選択されると言い切った。(過去最低ではなかったようだが)投票率にしたって低いことも指摘した。
そして、その通りの結果(、、、、、、、)である。
つくづく日本人の馬鹿さ加減は救いがない。
脱原発、消費税反対、TPP加盟反対、戦争断固反対を掲げていながら、それを推進する候補と党を選ぶ。
こんな馬鹿な話はあり得ないのだが、現実にやらかすのが日本人である。
奇しくも、以前に「子供のことを考えている親はいない」、「孫を大切に思う爺婆はいない」と主張したわけだが、それも同時に証明された。
子供のことを思うならば。
孫のことが大切ならば。。
絶対に『今』を破壊する党に投票するはずがないはずなのに結果はこれだ。
『今』が無くなって『未来』が存在するとでも思っているのだろうか。まあ、投票に行かない現役世代も相当アレだが、投票に行く団塊世代以上の『嘘』には反吐が出る。
自分たちは10年以上を考える必要がないのかもしれないが、その子供や孫は違うのだ。
子供や孫のことを少しも考えていないことが証明された今、子供は親の言うことなど聞く必要は無い。近い将来、孫は爺婆を恨むといい。
選挙に行かなかった馬鹿親によって、『現在、選挙権を持たない』子供たちは徴兵制によって、戦場へと、しかも最前線へと送りだされるのだ。
選挙に行った祖父母によって、経済破壊の憂き目をまともに被るのは孫たちなのだ。


しかも。
もう、政権交代可能な小選挙区は廃止される方向にある。
今後、(本当の意味での)政権交代は起こらず、談合政権交代が横行する時代に逆戻りするのだ。
つまり。
政治家や官僚、マスゴミ、検察の横暴は、これから(実態暴挙なのに)正式な『法』として邁進される。
言論統制、情報封鎖、国防軍とは名ばかりの足軽特攻隊の編成。
この国の未来は完全に破壊された。
特権階級のみが利権をむさぼり、大多数の国民は泥水を啜る時代が訪れる。
それも遠い未来じゃない。
近い将来の話だ。
だが、それを選択したのは日本の国民なのだ。
選挙に行かなかった馬鹿と選挙に行った馬鹿がやらかした結果なのだ。
何をされても今日、自民党を選択した連中と選挙に行かなかった連中は文句を言う資格は無い。
選挙権を持たない子供と孫の未来を破壊した(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)のはそいつら自身なのだから、子供や孫に憎まれてもそれは自業自得としか言えないのである。



今、これを読んで「絵空事だ」と鼻で笑った輩は、後から悔やむがいい。
もう一度、言っておくが、私は選挙前に今回の結果を見越していたし、参院選のときに「大政翼賛会のための民主党敗北」とまで言及したし、石川祐氏の裁判で有罪が出ることを的中させているんだ。
まだ絵空事というなら、そいつの頭の中は相当おめでたく作られていると断言してやる。
まあ、そんな奴は近い将来訪れる破滅のその時に泣くがいい、喚くがいい、悔しがるがいい。



さて、真剣に『これから』を生き延びる方法を考えなければならなくなった。
もう、政権選択選挙は存在しないし、日本国民の馬鹿さ加減を見るに付け、悪い方へ悪い方へ進む未来しか見えなくなったわけだから。
一番、ベターな手段は亡命だろうか。
つっても海外に知り合いがいるわけではないので、これから作らなければならないか。
あと数年の内にそれをやらなくては。
もう、『この国の未来』を考える必要は無い。『無くなった未来』ほど考える必要性を感じないものもない。
これからは、『自分の未来』だけを考えることにしよう。
今年の11月12日に小沢一郎国民の生活が第一党首の、『期ズレ』に難癖をつけた茶番裁判が一審に続き、二審も無罪判決が出たことは既に誰しもが知っていることだろう。私は基本的に新聞、テレビを見ないから、この媒体が、どんな反応をしたかはネット情報か、周りの反応で知るしかないのだが、総合すると、どうも無かったことにしているらしい節があるようだ。さすがは世界からは信用の欠片もない日本の大手マスゴミどもである。
「検察の判断は間違いなかった」で済まそうとしている姿勢を貫き、自分たちが何をしてきたかを鑑みる気も毛頭ない、ことだけは容易に想像つく。
良識ある一般の人たちは、ニュースで判決前の報道が流れるたびに、「え? あの裁判、まだやってたの?」が大抵の反応で、そもそも裁判になっていることに疑問と血税無駄遣いに対する憤りを口にする人が多かったのだが、新聞テレビマンセーの連中は4月26日の無罪判決においても「限りなくクロに近いシロ」と意味不明の言葉で気勢を上げていたというのに、2回目の無罪が出た途端、新聞テレビマンセー人らしく、触れようともせずに、こちらから突くまで知らん顔を決め込んでいるほどの醜態を晒している。
今さら、どんな裁判をやっているかを説明する気もまったくない。
それくらい馬鹿らしい案件で、こんなもののために血道をあげている意味が分からないのが私個人の感想であることは何度も言ってきたし、それに対して「必然」と考えている輩が大勢いることを理解できないとも言ってきたわけだが、いまだにその感覚は理解できないし、するつもりもない。
まずもって、この裁判に怒る方向を間違えているのが新聞テレビマンセーの連中なのだ。
この裁判に怒るべき本当のポイントは三つ。


1)捜査に1年かけた上で30億の血税を浪費したこと。
2)起訴するために検察が捏造書類を作りまくっていたこと。
3)リーマンショック後の大不況の時期に政治を大混乱させたこと。


なのである。
ところが新聞テレビマンセー連中にとっては、上記3つはどうでも良くて、とにかく「小沢一郎が悪人で失脚すること」が大事だったわけだから、これだけ司法側の不祥事が明るみに出ているのに、怒るポイントは『小沢一郎に対して』ただ一点なのであり、いまだに今回の裁判も納得が出来ないのか、こっちが突っついたときに意味不明の言い訳に終始するのみである。


曰く、検察が立証できなかった。
曰く、証拠が見つからなかった。


と言った具合に。
本気で馬鹿だと思う。
まず、立証できない理由を取り違えているわけだが、そもそもこういう連中に限って、小沢氏が何の裁判をやっているのかを理解していないし、また、「疑わしいなら裁判ではっきりすべきだ」と言っておきながら、はっきりしたのに結果が不満で上記言い訳を並べ立てるのである。
まず、検察が立証できなかった(=起訴できなかった)時点で裁判になるはずがない、という認識がない。
さらに「疑わしきは罰せず」の意味を履き違えている。これは「加害者が疑わしいだけという場合は罰則を与えない」という意味ではなく「捜査側が疑わしいことをしているなら罰してはならない」という意味なのだ。
極め付けに、「証拠が見つからなかった」という言葉で誤魔化そうとしているわけだが、『証拠』は見つからなかった、、、、、、、、 のではない、最初から無かった、、、、のである。
小沢氏が巧妙に隠した、というのであれば、それは1年と30億の血税を使って見つけられなかった検察の捜査能力が無能であったという証明に過ぎないわけだし、となれば無能な検察が面子のためだけに血眼になって小沢氏を貶めようとした、という論理に繋がると思うのだが、こういう思考が存在しないのが新聞テレビマンセーの連中の特徴である。
ちなみに、小沢氏の証拠なしについて、ちゃんとした思考の持ち主ならこう思うのである。


「証拠が見つからなかった」のではなく「証拠はなかった」


と。
そりゃそうだ。起訴した案件99%の有罪率を誇る『優秀』な検察殿が見つけられなかったのだから、最初から『無かった』と考える方がしっくりくる。来ないのは、客観的に見ることが出来ない単なる「小沢憎し」感情の暴走に過ぎない。この構図はアメリカの愚将・ブッシュが支持率アップのために大量破壊兵器をイラクが隠し持っていることにして攻撃したのと同じである。こちらも実際には大量破壊兵器は見つからなかった、、、、、、、、 のではなく、無かった、、、、のだ。それは後に米調査団のチャールズ・ドルファー団長が発言したので確かなのだろう。
難癖で攻撃されたイラクはたまったものではない。サダム・フセインがどんな人物だったかは知らないが、イラク人の反米感情を見るに付け、サダムが独裁者だった、というのもでっちあげのような気がしてくる。
「見つからなかった」と「なかった」では意味合いが行って来るほど違う。それさえも気づかずに自分の喋っている言葉の意味が分からないのだから新聞テレビマンセーの連中は馬鹿の末期症状である。


で、毎回言っていることだが始末が悪いことに、この日本という国は新聞テレビマンセーが蔓延る世界最底辺の国民性が集う愚者の集まりであるからして、突っつくまで知らん顔(正確にはバツが悪いのでなかったことにしようと躍起になっている)を決め込み、突っつかれると言葉の意味を理解していない言い訳を並べ立てる連中が揃っている。
こういう連中が今度の選挙でまた馬鹿をやらかすのだ。それも数多く。
この国の未来は真剣に暗い。
この新聞テレビマンセー=もうすぐ現役引退より上の大老害世代こそ、日本の未来を思うなら選挙権を放棄しろ、と強く思う。
しかし、そうならない。
破滅への一票を、悪事を自覚することなく投票するのがこの国の老害どもである。
今日、衆議院が解散し、12月16日に投票が行われる。
はっきり言って、今回の選挙ほど絶望感しか見出せない選挙もない。
私は、史上最低ランクに近いほどの投票率で、史上最悪の政権が選択されると踏んでいる。
まずもって、民主自民公明連合と太陽維新みんな(名前を変えろと言いたい)減税連合は、「消費税賛成」、「TPP加盟」、「原発推進」で政策が一致しているのだから、どっちの連合が政権を取ろうが、表の名前が変わるだけで中身などまったく変わらないし、菅内閣以後の悪政が続くことを意味するのだから選択する意味がない。
が、ここは何度もで言ってきた通り、世界最底辺の国民性が蔓延る日本なので、二つの連合の違いを理解することなく、どちらかの連合が選択されることはまず間違いないことだろう。
ネットやツイッターなどでは「国民はそこまで馬鹿ではない」という論調をよく見かけるのだが、それは高望みし過ぎだ。
断言してもいいが、大多数の日本国民はそこまで馬鹿、、、、、、なのである。
現役世代から上の老害どもは新聞テレビマンセー、現役世代でも大半は政治に無関心で選挙権を放棄する連中の集まりなのだから。
だいたい、(これも散々言ってきたが)大阪の橋下や東京の石原なんかが当選できる時点で馬鹿の集まりなのである。
むろん、既成政党には何も期待できない気持ちは解らないでもないが、だからと言って、この二人を選ぶことはヒトラーかムッソリーニを選ぶようなものなのである。
要するに言葉や演技に騙されて、その人物の政策が二の次なものだから、陶酔したまま何も気付かずどん底に堕ちていっていることを自覚できないようなものなのだが、これが日本人なのだ。
違うなら、2005年に小泉なんぞ選んでいるわけがないし、星野仙一が大手を振って歩けるはずもないことはもちろん、いまだに振り込め詐欺が横行している時点で、この国の国民性は程度が知れている。
国民の7割はネットを閲覧しているようではあるのだが、いったいその内の何パーセントが今の状況の危機感を感じているだろうか。
少なくとも私の周りでは、百人集めれば多くても五人ほどしかいない。率に直せば5%に過ぎないのであるからして、おそらく国民全体でも危機感を持っているのは30%、ヘタをすれば20%いるかいないかだろう。
要するに危機感を持っている人間の方が少数派マイノリティなのだ。


誤解を恐れずに言うならば、私は今でも2009年8月31日の政権交代は間違っていなかったと考えている。
当時の鳩山首相、小沢幹事長体制の民主党のまま、今現在も続いていたならば、まったく違った世の中になっていたという確信がある。
それを潰したのは官僚であり、マスゴミであり、そして何よりもマスゴミの姦言を疑うことなく鵜呑みにした7割の国民なのだ。
これも何度も言ってきたが、鳩山政権下では『国民の生活が第一』を理念に掲げるマニフェストは実行されつつあったのだ。
子供手当、高校無償化、高速道路無料化と段階を踏んで実施されていたにも拘らず、良策を無視し、政策以外のところでバッシング報道しかしなかった大本営発表マスゴミを鵜呑みにした国民が、鳩山政権下の国民福祉国家理念をぶち壊して自分たちの生活を苦しくしたのである。
それでいて、その後の菅政権や野田政権を批判するという無責任極まりないことをやっているのだから、真正のアホどもがここにいた、だ。
真の悪とは自分が悪だと気付かないで悪事に手を染めている連中を指す、と何かで見たことがあったのだが、まさしくその通りである。
そして、今回も、己の悪事を自覚することなく馬鹿をやるのだろう。
少なくとも消費税反対ならば、決して上記二連合に票を入れるなどやるはずがないのだが、この2連合に票が集まる未来しか見えないのが何とも嘆かわしい。
むろん、この2つの連合の違いを報道しないマスゴミも悪いのだが、報道しないならば、己自身で政策がどう違うのか、それがどう生活に影響するのかを自分で調べなければならないはずなのに、それをすることなく投票する輩が多いのは目に見えている。
所詮、日本人などこの程度なのだ。
前にも言ったが、破滅のその時まで気付かない世界最底辺の国民性しかないのだ。


さて、私自身、本当に誰に投票して、どの党を選ぼうか悩んでいる。まあ、どの党に入れるかは決めているが、しょせん比例区なんぞ、180議席にしかならないし、過半数に届くはずもない。
しかも、私自身の一票は、今回ばかりは何の足しにもならないことが見えてしまっている。
消費税は、社会保障にも財政再建にも繋がらないと知っているのに。
TPPは、日本を破綻させる機構でしかないことを知っているのに。
原発は、日本の国土を汚染させるものでしかないと知っているのに。
それなのに大半の日本人はこの三つを肯定的に捉えている馬鹿が多いのと反対意見で捉えていながら、それを推進する候補者と党を選ぶだろうし、どんなに反対票を投じようとも、それがお馬鹿票激流に飲み込まれることが分かっているだけに投票に行くこと、そのものに強い倦怠感しか感じない。
それでも白紙委任状に判を押すつもりは無いので投票には行く。どんなに無駄だろうと。どんなに虚しかろうと、だ。


2015年日本壊滅予想。
どうやら当たりそうな気配が漂ってきた。
7月2日に小沢一郎が賛同者を伴って民主党を離党した。
まあ、あんな上層部じゃ嫌気も差すだろう。むしろ、よく我慢したものだと思うほどなのだが、相変わらず日本のマスゴミは国民生活の破壊者を擁護して、国民の生活を守ろうとした小沢氏を既得権益集団の要請にしたがって叩くのだから、もはや(というか昔からかもしれないが)ジャーナリストではなく、既得権益集団の走狗にして広報である。
ちなみになぜ、テレビ新聞が消費税を強く批判しないかというとこいつらは免税業者に成り得るからだ。
つまり。
新聞屋は紙、インク、取材費用など必要経費にかかる消費税をすべて返還可能になる存在になる。
テレビ屋は広告量収入が非課税収入になることにより、これまた製作会社に支払う分の消費税をすべて取り戻せるのだ。
こんな暴挙が罷り通ることをたいていの国民は知らない。
知らないのは新聞テレビが決して報道しないからなのだが、それならば自分で調べるしかないにも拘らず、それをしようともしない。
大企業が賛成なのは輸出品に消費税がかからないのを利用して仕入れにかかる消費税を搾取できるからなのだが、海外取引であれば、まあ関税とか為替とかあるからまだ分からないでもない。
しかし、テレビ新聞は国内で消費され収入を上げているにも拘らず消費税を騙し取れる存在となるのだ。ましてや年間80億ほどの税金が『記者クラブ宿舎』という名目でマスゴミなんかに浪費されている。こんな連中がまともに報道などできるわけがない。国民はいい加減、真実には到達できなくても事実くらいは知った方が良いと思うのだが、所詮、この国の国民性は世界最底辺であり、自分で考えることを放棄し、新聞テレビマンセーで垂れ流される情報を鵜呑みにするお馬鹿が多い大老害&無関心国家なので救いがない。


そして平成24年7月6日。
この国は世界に向けて決定的に民主主義国家を放棄したことを知らしめてしまったのである。


現在、毎週金曜日に官邸前で大掛かりな脱原発デモ(反原発は言葉の使い方が違う)が行われており、同年6月29日は15万とも20万とも言われる規模で世界でも紹介されたわけなのだが、なんと7月6日のデモは官邸が警察と機動隊を動員して、強制的に潰したのである。
もちろん、中国天安門の時のように戦車や発砲があったわけではないが、地下鉄や道路の封鎖などを強行し、集まりつつあった前回以上の国民をデモに参加させなかったのだ。
これははっきり言って民主主義の否定である。
デモクラシーは民主主義において国民が持つ当然の権利。
それを潰すということは官邸側は国民の声を聞くつもりはない、ということをはっきりと意思表示したことになる。
こんな国は民主主義国家としては絶対にあり得ない。
しかも、大多数の国民は『この事実』を知らない。なぜなら官邸の走狗であるマスゴミが矮小するか報道しないかという姿勢をとっているからだ。
これは報道規制である。むろん、これも民主主義国家ではあり得ない。国民は『知る権利』を奪われていることに気づいていないのだ。


政財官報検の癒着構造がここまで歪んでいるのは戦前、戦中、言ってみれば戦争の反省をまるっきりしていないことの証左である。
もちろん、既得権益集団にも問題はあるが、最大の問題は国民が己が無知なことを棚上げして事実すら知ろうとしない大老害洗脳国家だからでもある。
加えて10月1日からインターネット規制法も施行される。これも国民の大多数は知らない。
世界基準の情報収集媒体を規制する国など日本の他には北朝鮮と中国くらいしかない。
この国は中国並みの検察情報統制国家であり、北朝鮮並みの国民総洗脳国家である。
変革するにはもうクーデターしかないだろう。
現在のデモがクーデターの狼煙になり、野田や仙石、前原、勝をさらし首に出来たとき、この国は変わる、かもしれない。
が、この国が2015年を迎えることはないと私は予測している。
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