現在はインターネットが発達し、世界中の情報が(裏はともかく)部屋にいながらにして仕入れることができる時代になって、民主主義国家がどんなものかとか、各国の社会情勢はどんなものか、という知識も与えてくれる。
となれば、社会全体としては大筋(極論すると永遠の幸福追求)では同じ方向に向かっているとしても、個人個人では、一つの事柄に対して、文字通り十人十色の認識を持っているものだと思う。
まあ、十人十色と言っても、成否で判断するなら半々が大雑把な分け方で。つまり最低でも考え方は二つないと、一つでは、その時点で偏向である。
極端な話、1+1=2という数式の基本中の基本でさえも本当にそうなのか、と検証できる時代で、なぜ1+1=2になるのかという論文を発表する数学者がいたとしても笑われることはないだろう。
要するに価値の多様化である。公序良俗に反するなら話は別だが、私自身はこれは悪いことだとは思わない。
おそらくこれが世界の常識だとも思う。なぜなら情報発信源であるメディアが、二つあるだけで、二通りの考え方を提供してくれるからだ。数が増えれば増えるほど、その情報を多角的に捉えることができるし、あとは自分の理念に従って自分なりの結論を出せばいい。
ところが(私が最近よく使うフレーズで)『日本の常識は世界の非常識』だけあって、日本だけが民主主義国家の振りをしながら、実態はまるっきり正反対の国であることを、特に新年が明けてから、全世界に発信しまくっている。たぶん、「んな大袈裟な」と思った人は、内向き理論だと断言してやる。なぜならインターネットは世界中から閲覧できるし、日本はほとんど規制がかかっていない。もし海外の人がGoogleやYAHOO JAPANで日本の記事を手に入れようとしたら簡単にできるわけで、世界人口は60億超であるから、半数がネットを使っていると仮定しても30億人が日本の情報を閲覧できる状況にあるのである。もちろん、情報収集に余念がない各国のジャーナリストたちは毎日見ていることだろう。そう言った人たちが日本の記事を見てどういう感想を抱くか、ということを想像してみたことがあるだろうか。
これはおそらく、大多数の日本人は想像したことがないだろう。
ちなみに、海外では特集記事が組まれてしまうくらい日本の大手マスコミというものは信用されていないし、日本という国も独立した国だとも民主主義国家だとも思われていない。
数年前、すなわち中国の台頭が目覚ましくなってきたくらいから
海外記者たちが日本から離れていっているという情報を、最近知って、ああ、いよいよ日本が世界から見放され始めたな、と諦観にも似た恐怖を感じた。
海外記者が離れていくということは日本から得るものは何もない、という結論を出したからに他ならない。
で、この重大事を報道する大手マスコミは一つもなかったのである。
だから、自分で情報を得ようとしない国民は何も知らないままだし、今後、『報道』は大本営発表一本になることを意味することも知らない。
それでいて大本営発表が正しいと勘違いしているから救いがない。
実のところ、昨日もあった。日本の無料GSがようやく終了したというニュースが流れて、随分、無駄なことをしていたものだ、と内心考えていたのだが、周りから信じられない発言が飛び出して、「これでアメリカが日本を守ってくれなくなったらどうするんだ」という議論を真面目に始めたのである。一応、話に参加する状況にあったから、私は自分の考えで「アメリカは日本を守らない」と発言したところ、「何を馬鹿なことを言っているんだ! 徴兵制もない日本で自衛隊だけで日本を守れるわけがない!」ともうすぐ還暦の人が癇癪を起したのだ。
私は愕然とした。この人は自分の考えというものを持っていないのだということを痛感した。
なぜなら、『アメリカが日本を守っている』という情報は日本の大手マスコミのみが発信したことであるし、確かに学校の授業では『核の傘』に日本は守られている、と習った覚えはあるが、それは『核』を使えない均衡状態の平和であることを意味していて、日本を守っているといはまた別の意味でしかない。現に何度か北朝鮮からミサイルが飛んできてもアメリカは一切動かなかったのである。どうして「守っている」なんて信じることができるのだろうか。
で、この人曰く、日本人の半数以上はアメリカが日本を守ってくれていると思っているし、また別の人は7割がそう思っている、と偉そうに言ったのである。
別に私は自分が正しいとは思っていないが、否定される言われはないと思っている。それは個人個人の考え方だし、はっきり言ってしまえば否定する方が馬鹿だろう。
実際、有事になってみないと確証は取れない話ではあるが、守ってくれると信じていることが私には理解できなかった。
よっぽどボランティア精神に溢れた軍事国家ならやるかもしれないが、アメリカは朝鮮戦争を焚き付け、ベトナム戦争で化学兵器を撒き散らし、言い掛かりでイラクを攻め入った国である。
ましてやアメリカはベトナム戦争とイラク戦争のトラウマで地上戦ができない国だ。日本に上陸されたら日本人ごと空襲するに決まっている。現にテロとの戦いと言いながら、テロリストでも何でもない一般市民のイラク国民ごと空爆した国だぞ。
それを『守る』とでも言うのだろうか。
本気で私は理解できなかった。それとも日本に対しては特別だ、なんて馬鹿な勘違いをしているのだろうか。
ちなみに別に、私は反米とかそういうつもりはない。ただ、他国をそこまで信じ切れる心は分からない。
近所でも隣の家を信用して「留守番お願いします」なんてお願いできる人がいるのだろうか。
さて、そんな昨日の一例を持ち出してきたわけだけど、何が言いたいかというと、仮にこの人たちの言葉が正しいとするなら日本人の7割以上が大本営発表を信じているという現実があるということである。
ということは、今現在の検察の行動とマスコミの行動に疑問を持っていないという証でもある。
良く言えば清廉潔白で疑わしいものでも許さない、だろうが、はっきり言ってしまえば、単純馬鹿だ。
自分で多角的に情報を捉えて考察するということを放棄して鵜呑みにしていることにさえ気付いていないのだから、これを馬鹿と言わずして何が馬鹿なのだろう。
これだと、日本人は70年前と何も変わっていないことになる。70年前は軍部とマスコミが暴走して国民を巻き込んで無謀な太平洋戦争に突入したと学校で習ったと思うのだが、おそらく当時の国民の大半は扇動されていたことに気付かず、戦争万歳を叫んだことだろう。そういう本もいくつも見た。
そして現在の日本人の7割が検察とマスコミの暴走に気付いていないのだから、70年前と同じだ。
結局、日本人は70年前と頭の中は変わっていないということだ。これでは世界各国から見捨てられ始めるのも仕方ないだろう。70年前の歴史を今また繰り返している。当時はファシズムに走ったドイツ、イタリアと同盟を組んだわけだが、今度はミャンマー、タイと同盟を結んで無謀な戦争に突入するつもりなのだろうか。
ただ皮肉なことに70年前と違って、二十代、三十代、四十代も一部が新聞も見なければテレビも聞き流していることである。
無関心が功を奏して、この世代が大本営発表にも無関心で、テレビが毎日同じニュースを流すこと自体に煩わしさを感じているのだ。
これは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?
流されるのは良くないが、無関心もどうかと思う。
本当にいつもありがとうございます☆ 新作は2月入ってからか、ちょっとリンク様先にプレゼントするラノベがありますので、それをUPするか、です♪
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