9月22日に鳩山総理大臣が国連総会で、日本の温室効果ガスの削減目標を25%に掲げまして、さっそく、翌日には無理だ無理だの大合唱を、産経、読売、地元ローカル紙・北國の自民党広報誌は喚いていましたけど、そんな中、もちろん自民党広報誌であるはずの日経新聞が、今日の社説に関して言えば、久しぶりに、社説らしい社説を見た気がしました。
【鳩山演説を温暖化交渉の加速に生かせ】9月24日第1社説
鳩山由紀夫首相が国連の気候変動首脳会合で、日本の温暖化ガス削減中期目標について「2020年までに1990年比で言えば25%削減する」と表明した。
首脳会合は、地球温暖化対策の新たな国際枠組みを決めるポスト京都議定書の交渉期限が12月に迫る中で開かれた。鳩山首相の前に登壇した中国の胡錦濤国家主席と米国のオバマ大統領の演説は、合意への道の険しさを改めてうかがわせた。
胡主席は発展途上国に削減を義務付けないようクギをさす発言を繰り返し、オバマ大統領も温暖化対策に取り組む米国の姿勢の変化を強調するにとどまった。合わせて世界の温暖化ガス排出量の4割を占める両国の首脳の演説には不満が残る。
鳩山演説は、交渉の弾みを保つ一定の役割を果たしたといえる。
鳩山首相の約束は、米国や中国など「すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意」を前提とする。温暖化の悪影響を最小限にとどめるには「共通だが差異ある責任」の大原則の下、すべての主要国がそれぞれの責任に応じて温暖化ガス削減に協力することが不可欠だ。
米中両国には、合意に向けもう一歩踏み込んだ姿勢を求めたい。鳩山政権は、主要国への働きかけを強め、将来の地球環境を左右する交渉を加速する役割を担ってほしい。
途上国の温暖化対策を後押しする「鳩山イニシアチブ」は「全員参加」への足がかりになりうる。今回はその原則を示すにとどまった。資金規模や技術支援の進め方などイニシアチブの具体的な内容を詰め、早期に各国に示す必要がある。
国連での約束は、鳩山首相に国内の合意形成という課題を残した。
新たな中期目標に対し「高すぎる」との批判がある。その根拠として、家計への負担を「年間約36万円」などとする過去の政府試算が引き合いに出される。麻生政権での検討会がはじき出した数値だ。
この試算は技術革新に伴う新産業の創造を考慮しておらず、今の産業構造を前提に対策コストを積み上げた結果だとも指摘されてきた。政府が明確な目標を掲げれば、企業は確信をもって関連分野での技術開発や設備への投資を推進できる。
国際的な約束が国内で確固たる支持を得るためには、排出削減が新たな市場をつくりだし経済成長の支えにもなるという共通認識の形成が必要だ。負担の多寡だけの議論は的はずれになる。負担をできるだけ軽く公平にしつつ、持続的成長を可能にする国家戦略の議論を望む。これが社説なんだと本気で思う文章で、それも第1社説であったところに意義がある。
日本『経済』新聞の名に恥じない経済を前提としてのプラス思考。排出大国である中国やアメリカにさえ新しい日本の立場として注文をつけるのはもちろん、25%削減目標に対して、批判的な産業界の対応を非難し、麻生が打ち出した誤魔化しの目標を一蹴して、算出された各家庭あたり36万負担さえも例示をもって否定し、「できないできないと言っているんじゃなくて、明確で高い目標だからこそ、達成するために新製品や新設備を開発するチャンスじゃないか。そこから生まれる新しい技術が経済の活性化に繋がる可能性があんだぞ」と主張している。そこには日経新聞が日本の技術力を世界一だと誇りを持っていることさえ読み取れる。
やはり、社説とはこうあってほしい。
ネガティブで低俗な非難文章を社説にするんじゃなく、困難でも達成するために新たな道を切り開こう、と前向きに訴えかけて主張する文章こそ、社の主観主張である社説にふさわしい文章であると言えるのではないだろうか。
同じく『経済』の名を冠する産経新聞は、どうやら自分たちの存在意義を忘却しているらしく、この25%削減目標に対しても新しい産業経済の活性化の可能性を探るのではなく、批判と非難の対象としてしか扱わないさもしが滲み出まくっている。低俗すぎて抜粋する気にもなれないほどだから載せるつもりはさらさらない。
できるなら日経新聞はこの姿勢を貫いてほしいものなのだが、たぶん、期待はできない。
このような高尚な社説を書きながら、その隣ではやっぱり、今日も民主党叩きの記事をいくつも載せていたのだから。
税金を食い物にしている自覚がまったくない推進派住民総既得権益集団の八ッ場ダムのことより国連総会のことに紙面を割いていたことは評価できるし、財務省の評価最悪記事を掲載していたことも褒めてもいい。
しかし、それでもまだ民主党パッシング記事を載せ続けていることはいただけない。
どの企業でもそうだが、ルーキーをいきなり一人前扱いするところがどこにある?
これから紆余曲折が待っているんだし、壁にだってぶつかることだろう。
その時に叩くんじゃなくて、こうしたらどうだろうかという助言めいた記事を載せるのがジャーナリストの本分であろう。
あまりに正反対過ぎる記事を載せる日経新聞を見て、日本メディアのレベルアップにはまだまだ時間がかかるな、と感じたのは気のせいではないだろう。
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