地元一発行部数を誇るのが、毎回言っているけど、石川県の自民党広報誌・北國新聞である。
特に政治記事に関して言えば、産経以上読売以下なくらい、見るに堪えない民主党パッシング記事を飽きもせず毎日毎日載せているし、社説も然りだ。
昔、お世話になった人が北國新聞の販売店を辞めてくれれば迷わず即座に北陸中日新聞に切り替えることだろう。
それくらい酷いし、経済記事に関しても頓珍漢な報道ばかりしている。
景気が良くないから少しでも鼓舞したい気持ちは分からんでもないが、嘘八百を並べるのだけはやめてもらいたい。
少なくとも外で勤めている人間であれば、北國新聞の馬鹿っぷりは見るに堪えないことだろう。
昔はそうでもなかったのだが、最近は、特に政権交代が確実視されるようになった2009年に入ってからは、あまりの偏向報道に呆れてしまう。
かと言って家は二部も三部も新聞を取れるほどゆとりがある訳ではないので我慢するしかないのだが、そんなわけで最近では地方記事とスポーツ記事くらいしかまともな記事がないから、じっくり読むのはそれくらいだ。しかしスポーツ記事でも甲子園大会となると扱いのあまりの小ささに嘆かわしくなってしまう。
朝日新聞、毎日新聞が主催しているからという理由だけであんな小さな扱いになっているのだとしたら論外だ。
なぜなら甲子園大会は日本の伝統行事であり、世界からも注目されている大会で、それを大々的に取り上げないなど言語道断である。というのも甲子園大会への関心は老若男女問わず高く、誰もが知りたい情報なのだからもっと紙面を割くべきだろうにわずか1ページ、ひどい時になると半ページにすらなることがある。
これも昔はここまで酷くなかったのだがいったい何が北國新聞を凋落させているのだろうか。
プロ野球独立リーグBCリーグ情報と松井秀喜情報は、まだ結構面白いのに、政治記事、経済記事、国際記事、社説、読者投稿となると目を覆いたくなるほど劣化の一途を辿っている。
何が原因なのかと考えることはある。
まあありていに言ってしまえば、どこぞからの介入があるのだろう。
しかしそれを受け入れてしまっているところに、もう北國新聞にはメディアとしての良識と常識は残っていない可能性すら感じられるのだ。
一番端的な例は挙げれば北陸新幹線だろう。
構想44年。
しかし現状は金沢以東は知らないが、以西となると群馬県の八ツ場ダムより訳が悪くて、線路や橋桁がないのは勿論、周辺住民への騒音対策がまるでなされていないのである。新幹線を低速で在来線を走らせるつもりなのだろうか。
というくらいまったく進行してなくて、今の政権が凍結ないし中止を言い渡したとしても県民は誰も文句を言わないことだろう。それくらい県民からすれば北陸新幹線に関心はない。
そもそも、飛行場2つ、高速道路、港もあるし、大阪方面名古屋方面供に特急だって走っているのである。
誰しもが「本当に北陸新幹線は必要か?」と首を傾げている始末なのだ。
にも関わらず、あたかも石川県中で非難の声が上がっているような書き方をしているのだから、いったいどこを取材したんだ?とか思う。
んで、今日が極めつけの酷さで、昨日、サモアで大地震があったというのに一面トップが民主党の政治資金に関しての話である。
それも違法でも何でもない、後から調べればそこが天下り団体であることが分かった、という程度の記事でそれも献金額は(あえて表現しますが)わずか776万。
与謝野の迂回献金5000万も、佐藤元総務大臣の違法献金2000万もほとんど取り上げなかっただけに異常としか言いようがない。
これを一面トップに持ってくる新聞社が他にあるとすれば、それこそ産経か読売くらいなものだろう。
いや、産経はともかく、いくら読売でもサモア大地震を差し置いて合法献金776万を一面トップにするなんて馬鹿な真似はしないだろう。今日の読売新聞を見たわけじゃないので実際は知らないが。
本来であれば、サモアとその周辺の状況はどうなのか、日本から自衛隊や物資は派遣されるのか、邦人が被害に遭っていないのか、といった報道が為されて当然なはずなのに、大事な大事な一面トップは使い古された献金問題である。サモアに関して言えばテレビ欄前の最終面の1ページだけしか取り上げていない。これが何年か前に能登沖で大地震があった地方なのにこれでいいのか、と嘆かわしくなった。
ここに北國新聞の愚かさ極り、としか言いようがない。
特に今日の紙面は政治献金問題を、民主党側だけ取り上げてネチネチとやっていた。
本来は自民党の方がもっと酷いことをやっているというのに、だ。
西松問題や虚偽記載という名の書き間違いがあって、かつ、それを半年以上もワーワー騒いだのに国民はそれを無視して民主党を選んだ意味をもっと理解すべきなのだが、それができないのが今の新聞という分野の情けなさなのだろう。
情報伝達という点において新聞はインターネット、テレビの後塵を拝している。それはどうしようもないことなのだから、これから新聞が生き残っていくためには内容で勝負するしかないというのに、この体たらくである。まったくもって救いがない。
新聞は鋭い観点と文筆に優れた記者を登用すべきだろう。
それができなければ間違いなく衰退の一途をたどるしかない。
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