先に断っておくが、私は別に小沢氏だから、という感情は無い。
良いものは良い、悪いものは悪い、という観点で普段も話をしている。
しかし、今日の異常さは常軌を逸していたと言わざる得ない。
今日の新聞、各誌一面を見て愕然とした。
まあ読売や産経、北國は分かる。こいつらのアイデンティティがそれだからだし、毎日、朝日、中日も発行部数のために追随したのだろう。
しかしまさか日経新聞までもがゼネコンや鹿島の家宅捜査を一面に持ってきた上に、社説で小沢非難を載せるとは思ってもみなかった。
今は、通常国会開催直前なのである。それなのに苔生した2004年の話を今さら持ってきたこともさることながら、虚偽記載というものはあれほど大袈裟に騒ぎ立てるほどの事なのだろうか、という疑念がぬぐえない。
ましてや法律では『推定無罪の原則』が存在すると言うのに、まったく証拠を掴んでいない段階で『悪』と報じているのである。
日経新聞の本分からすれば、証拠が出てくるか固まるまでは静観して、予算が日本経済にどういった影響を及ぼすかを検証すべきときだろう。
それを放棄して、ゴシップ新聞と化してどうするのだ。
テレビも然りで、あたかもとんでもない犯罪の如く、取り扱っていたが、肝心の何のための捜査か、ということになると力いっぱいぼかしていた。どれほどの重大な違反なのかを語るテレビは一つもなく、ただただおどろおどろしく捜査の実況中継をするだけで、いったい何の捜査かがさっぱり見えず、明らかに、『小沢一郎民主党幹事長の関連で検察の家宅捜査が一斉に行われた』というただ一点だけをフレームアップしていたのである。
捜査であるならば、何が違法行為で、どのレベルのものかをちゃんと言うべきだろう。それを言うマスコミは一つもなかったことが一斉捜査の異常さを際立たせている。
これが日本以外の国であれば、検察やマスコミの行動に大きな疑問を感じるだろうが、如何せん、日本の常識は世界の非常識で、印象操作のみで大局にしてしまう日本国民の愚かさが顔を覗かせないかと暗澹たる思いを抱く。
それにしても今回の捜査はマスコミと東京地検の頭の悪さか、それとも自己顕示欲の強さか。
権力を誇示したいつもりか何か知らないが、私的感情で国民を巻き込んだことの方が許されないだろう、と憤りを感じる。
国会直前、しかも、今国会では新政権が初めて挑む予算編成である。去年までとは違い、予算の配分も変わる。そのことによるメリットデメリットはどんなものかを知りたいと思うのが国民感情であるはずなのだが、もうこれで完全無視して、マスコミは検察の暴走を、あたかも正義のように報道するのだろう。
こんな事をすれば内政が大混乱するのは目に見えている。なんといっても既得権益集団の手先であり切り込み隊長でもある国民などどうでもいい自民党がその真価を如何なく発揮するからだ。
今回の大本営発表は、検察の暴走を糾弾し国会直前で混乱を招いたことを批判報道すべきマスコミが、検察の手先であることを完全に露呈した瞬間であるから、これで、この国は民主主義国家でないことを全世界に発信してしまった。
もう取り返しが付かないかもしれない。
私は以前、マスコミが国を滅ぼす、と主張したことはあったけど、それが現実になりかねない情勢だ。
経済学における基本、政経分離の法則が市場にあれば、まだ助かる可能性は残っているかもしれないが、こればっかりは楽観視できない。政情不安はそのまま国の信用失墜に繋がるからだ。
マスコミの重大な失態に国民は気付いているのか?
ようやく景気回復の足音が聞こえてきそうだと言うのに、それを潰そうとしているマスコミに異常を感じないのか?
虚偽記載があれほど大袈裟なものだと本気で思っているのか? いやそもそも虚偽記載自体、何を意味しているのか理解しているのか? 法律的に言えば、何の問題もないものなのだから。
それが贈収賄に繋がるならまだ、分からないでもないが、私も、そして見識家ブロガーたちも指摘している通りで、2004年と言えば小沢氏は『野党』の一員である。どれだけ政治家として有名だろうが、予算決定の権限なんて持っているはずがない。よって収賄罪は絶対に立証できないのである。
そのことにちゃんと国民は気付いているのだろうか?
献金が悪と断罪できるのは、あくまで贈収賄があったときのみである。
贈収賄があり得ないというのに、なぜ、ここまで虚偽記載に大騒ぎする必要があるのだろうか。
また、こんなに大騒ぎした以上は、当然、その顛末を報道するんだろうな?とか思う。
しかし、おそらく何もなかったときは報道しないだろう。それを見て国民がマスコミをどう判断するかなのだが、私は正直言って、国民性の低さからして、小沢氏関連の家宅捜査があったってことだけで、小沢氏を『悪』と断罪する可能性を捨てきれない。現に今でもそうだ。
別段、国民生活に何の悪影響も与えた事のない小沢氏をマスコミの風評だけで『悪』と判断してしまっている現実がある。
今回の件は、国民はどこまで『推定無罪』の精神を持つ事ができるかどうかである。
もし、『推定無罪』の気持ちがあれば、この時点で小沢氏を『悪』と判断する事はない。なぜなら何も物的証拠がないからだ。
巧妙に隠したんだろう、というのは下賎な憶測でしかない。
それが罷り通るならイラクの大量破壊兵器が存在していたことになるのだが、実際はアメリカの言いがかりだった、ってことは最早、世界の常識だ。
今、日本は国家存亡の危機に立たされている。
国民はそのことに気付かないと、結構、多くの人が指摘している通りで、太平洋戦争のときと同じ過ちを繰り返す恐れがある。
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