人は誰しも、生まれて成長し、成長が止まれば衰弱が始まりやがて老いを迎え死に至る。
これはどうしようもない決まりなんだけど、私自身も最近、自分の身体にガタが出始めたな、と感じることがある。
いつまでも若いつもりでいられない、という言葉をすんなり受け入れたから、認めることができたのだろうか。
年齢的には、これはネット上では初めて明かすんだけど、私はすでに三十歳を過ぎている。
何年過ぎているかは秘密だけど平均寿命からすればまだ半分には到達していないということだけは言っておこう。
まあとにかくそういうことで、本館プロフィールには『心はいつまでもTeenager』にしてあるんだけど、ネットデビューが2001年で、それから色々なサイト巡りもしたし、その中には2001年からの付き合いサイトもあって、そこで知り合った人たちには正確な年齢は言わなかったけど、当時、知り合った人たちも、もう私が三十を越えていることに気づいているだろうから、今回、初めて少しだけ年齢について言った。
……たぶん、ショックを受ける人はいないと思うんだけどなぁ……いたらいたで嬉しいけど、まあそういうことだから。
というか、今回のテーマを持ってきた以上、ある程度は自分の年齢を明かさなきゃいけないわけで、今まで黙ってきたことだし、これもいい機会かなと思ったのだ。
まあ、一部本当に私の年齢を知っている人もいるんだけどそれはまた別のお話。
さて、やっぱり三十を過ぎるとどうしても身体に無理がきかなくなってくることを実感して、どんなときに気づくのかと言えば、夜遅くまで起きていた次の日は全然回復していないとか、風邪なんか引いたときに十代の頃は半日で治ったものが今では一日かかるようになったりとか、体力的にはまだ大丈夫なんだけどところどころ身体の一部が反応してなかったりとか、いやはや、やっぱ衰えって自分の体を蝕んでいるんだな、と思い知らされる。
最近でも左腕がふとした時に何か引きつるように痛むし、ちょっと腰を思いっきりひねっただけで目の前を星が回ったりもする。物覚えも正直言って悪くなってきた。
ああ、やっぱ私も衰え始めているんだな、なんて少し落ち込んだりもするのだ。
幸いなことに今のところ視力の低下と健康状態には異常がないのでまだ安心している。でも、いつ始まるかは分からない。もしかしたら明日から始まるかもしれないし、すでに始まっていることを否定はできないのだ。
それでも、天寿を全うするまではこの体と付き合っていかなきゃいけないわけで、どこが悪くなろうが弱くなろうが、その都度、それに合わせた生活に変えなきゃいけないのだろう。それは仕方がないことなんだけど、やっぱり寂しい気持ちはある。
今でさえ、昔は平気だったことができなくなっていることもいくつかあって、それが衰えだと分かるから、もう二度とあの頃には戻れない、ということを認めなくちゃならなくて辛く悲しい気持ちが湧いてしまう。
人はこうやって寂しい気持ちを抱えながら最期の時を迎えるのかな、と思うとなんだか切ない。
これからも私はどんどん色々な面で衰えていくのだろう。その度に物悲しさを味わうのかと思うとやるせなくなってくる。でも、それは避けて通れないわけだから、その都度、自分を奮い立たせていくのだと思う。何て奮い立たせるのかは今は分からないけど、単純に考えるなら「無理はしないようにしよう」だろうか。
今後は『自分がどこまで無理ができるのか』を見極める年齢に差し掛かる。
なるだけ無理をせず、まあ時にはしなきゃいけないこともあるだろうけど、それでも自分の限界を見極めながら、人生を歩めたら、と考えてしまうようになったなぁ。(遠い目)
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本当に励みになります。マジで新作を準備しなきゃいけないんだけど、まだできてなくて申し訳ないくらい。
あっと、でも拍手を今回三つ変えて、一つ追加しました。喜んでいただけると嬉しいのですが……