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さて、前回のドラゴンクエストⅠの私見からずいぶん時間が経ったような感じですけど!
ようやく、今日ドラクエ考察その2。
ドラゴンクエストⅡについて語ります。
え? 「そんなことやってたっけ」ですか?
はい。やっていたんです。まだ2回目ですけど前回は7月14日でしたから実に二ヶ月間が空いたのです。(ヲイ)

さて、『ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々~』が初めてFC版でリリースされたのは今から22年前の1月26日のことで、その後、色々なゲーム機種にリメイクされましたけど、個人的にはこの作品を機にDQシリーズのブームが始まった、と見ています。
んで、このⅡでございますが、これ以後のDQシリーズのみならず多数のRPGに影響を与えましたパーティークエストの先駆けでございます。正確には米国で『ウィザドリー』というダンジョンRPGがありましたので少し違いますが、日本では間違いなくDQⅡがパーティープレイの発端でしょう。
しかも、仲間を増やすためには(難しくないとはいえ)いくつかの謎解きをしてやっと出会えますので、仲間ができたときの嬉しさはⅡに勝るものはないかもしれません。Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅶも出会いが無いこともないですけどストーリー上の展開で自然に出会えますので、Ⅱほどの感動はありませんでした。特にⅡの3人目の仲間を得るためにはすっげえ苦労して、初めてやったときは、とっくに別の場面にいっていてもおかしくないほどのレベルだったことを覚えています。
またⅡで『大海原』を船で渡る、ということが可能になり、ストーリー上で進めるまでもなく、一気に世界が広がった、という壮大感は今なお、これを超えられるものはないと言っても過言ではありません。ましてや心憎い演出があって、『Ⅰ後のアレフガルド』を堪能できたのもポイント高いです。
しかし!
このゲームは色々な方が言われているんですけど、当時のFCにしては激ムズでとてつもなくシビアなものだったんです!
パーティーを組むのに苦労するわ、二番目に仲間になる魔法戦士はとにかく武器防具が前半で決まってしまっていて強い武器を装備できないわ、おまけにこの仲間の使う魔法は中途半端なものが多くて使えないわ、保存がパスワード形式でしかも長い! 一文字でも記載を間違えてしまえば大変な状況に陥る訳で、何度も何度もテレビとにらめっこした記憶がございます!(><。)
さらに!
冒険を進めていくと、輪をかけて苦難の道を歩む訳で、特に後半「ラゴスはどこにいるんだ?」とか、最終ステージ、ロンダルキアまでのダンジョン「ロンダルキアへの洞窟」のトラップの多さはもちろん、ラスボスが「ベホマ」を使うこともそうなんだけど、とにかくその道のりで出てくる敵キャラが半端なく強くて何度も何度も挑戦しては引き返すを繰り返し、ようやくたどり着けるという代物でした!
んで、何がもっともシビアだったかと言いますと、Ⅲ以後は『ザオリク』という蘇生魔法で仲間を生き返らせるとHPも完全回復するようになりましたが、このⅡに関して言えば生き返っても『HP1』でございます。
ええ、もちろん狙われてしまえば一撃即死でございますよ。ですから戦闘中には使用できなかったと思っているんですけどどうだったかな?

とまあ、これほどまでに苦難の道のりを進まなきゃならないドラゴンクエストシリーズは後にも先にもⅡしかございません。
ですが、このシビアな臨場感がユーザーの心を掴んだのはないかと分析します。諦めずへこたれず、ここまでやられるんだったら絶対にやってやるぞ!という気持ちと、ロンダルキアの洞窟を抜けてその地の祠に到達したときのとてつもない安心感はゲームのことなんだけど何物にも代えられませんでしたし、ラスボスを打倒したときの達成感は今でもはっきりと覚えています。
同じことを感じたユーザーも多く、先にも言いましたけど、それが後のDQブームを生んだと言っても、私は過言ではないと思います。


以上、『ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々~』の私見でございました。
次回はⅢ。
問題はいつやるかですがそれは神のみぞ知る、ということで。(コラ)
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何度も言いますが私はマンガオタクではありますが、アニメオタクではありません。
違いを説明する気はさらさらありませんがそれはさておき、今日はマンガオタクらしい話などを。


以前、毎週欠かさず読んでいる作品として『キン肉マンⅡ世』を挙げましたけど、それと同時にこれも毎週欠かさず読んでいる作品として『境界のRINNNE』という高橋留美子先生の新るーみっくわーるどもきっちり読んでいます。10月に1、2巻が同時発売されるそうなので、購入しようかなと計画中。
さて、私は基本的にはネタバレはやらない、と前々から言っていますが、今回は若干、ネタばらしになりますけど、るーみっくわーるどはラブコメが中心でございますから、当然、主人公に対する恋敵、ヒロインに対する恋敵は登場します。
ご多分に漏れず、『境界のRINNNE』にも先週来、主人公に対する恋敵が登場しましたけど、はたして、今回はどうなるのでしょうか。
前作までの高橋留美子先生のお話において、主人公に対する恋敵とヒロインに対する恋敵とでは扱いに雲泥の差があり、またヒロインはかなり擁護される節がありますが、主人公はとってもぞんざいに扱われるようになっています。
これはまあ作者が女流作家ですから仕方ないのかもしれません。
ですが、今回は少し違うことを期待したい主人公のキャラ立ちです。
というのも、この主人公。
まず前作までと違って感情をほとんど表情に出しませんし、またかなり冷静な扱いになっておりますから、これまでのように、あからさまに陰険に(ボディタッチも含めて)ヒロインが主人公に当てつけたところで、それほど率直な感情を出すような展開にはできないだろうと思っているのですが、はてさてどうなることやら。


私は基本的にるーみっくわーるどは大好きなのですが、唯一、恋敵が登場したときの主人公の扱いとヒロインの扱いの差が大き過ぎるこの点に不信感を持っています。
特に『らんま1/2』では憤りに限りなく近い嫌悪感を抱きましたからね。
普通、あんな態度取られたら主人公はとっくにヒロインに愛想尽かして、自分を好いてくれてまた浮気なんて絶対しないヒロインに対する恋敵に走ると思うんですけど、それでもヒロイン一筋でしたからねー。
あんな、人の良い奴はいませんので、そのような話を私は別館で二次創作しましたが何か?
今回は違うと信じたいところですが――
また裏切られるのかなぁ……(--;)
前にも少し言いましたけど、私、昔のゲーム動画を見ることに嵌っております。
ゲーマーなのか改ざんなのかはさっぱり分かりませんが、最近特によく見ているのは、TASとかいう動画ですね。
んで、これ、実のところ、私、最終面どころか、たぶん半分も行けなかったゲームなんですけど、さすがにこういうやりかたされたら笑うしかありませんでした。

おっかしいぃなぁぁぁ。
パズルゲームのはずなんですけどね。(^^;)
んで、夏と言えば本当に昔は小学館コロコロコミックの主催でハドソンのシューティングゲームを使った全国大会があったんですけど、その内の一つに私も参加してきたわけですが、残念ながら予選落ちだったこの大会の決勝ラウンド5分間プレイのやつもあったんです。

いちおー練習はしましたけど75万点ほどしか取れませんでしたけど何か?


ホント、昔のゲームを見るのって結構面白いんですよ。時代、ってのもあるのかも知れませんが私的にはグラフィックや演出に凝ってゲーム本来の楽しみを失ってしまったような気がする最近のゲームと比べるなら、この時代のゲームの方が面白かったような気がします。
どうもご迷惑おかけしました。
どうやら昨日の午後9時ごろにはメンテナンスは終わっていたようです。

さて、今日はこういう記事を見かけましたので、まあ私はDSを持っていませんし、8でDQは終わった、と感じてしまいましたから9は購入していませんが、ならⅠから順番に私なりの感想を書いてみようかと。ただし掲載時期は不確定。連続でやることもあればかなり間が空くこともあるでしょう。その点はご了承いただけるとありがたいです。
もちろん私も数多くいるDQ愛好家の一人で、ⅠからⅧまで一通りやっております。
何度もプレイするのはⅣとⅤですが、まあそれはその時にでも語るとして、今日は順番にⅠから行ってみましょうか。(ネタ埋めなんて言わないで^^;)

ドラゴンクエストⅠと言えば、販売されたのが1986年ですからすでに20年以上の月日が流れております。
しかし私の記憶からはいまだに鮮明に焼きついており、当時はモンスターのグラフィックが綺麗でコマンド式の戦闘方式に『戦略を練る』とまでは言いませんけど、ある程度考えてプレイさせられるものでしたし、この形式の戦闘シーンがやっぱり斬新的でしたね。あんまり誰にも知られていないんだけどウィザードリーという迷宮RPGが元になっています。あ、これも面白いんですよ。私はⅠ~Ⅲまでやってます。
とと、話はそれましたけどDQの原点はやっぱりここにあって、ⅡでもⅢでもⅠの舞台となったアレフガルドは登場するんだけど、そこに降り立つとDQユーザーの誰もが、ある種の感慨を抱いたものです。
んでもって、RPGですからレベルを上げて装備を充実させて進まなければならず、その辺りのもどかしさと目的の武器が手に入ったときの喜びは何者にも変えられなかったことを覚えています。特にFC版だと最強武器一歩手前の『炎の剣』と最強防具盾『水鏡の盾』を得るのにどれだけ苦労したか……なんせ最高でも『ゴールドマン』が持つ100G前後が最大収得Gでしたからね。それで23800G貯める苦しさ。でも貯まっていざ、メルキドの町に買い物に行く時の緊張感はホント今でも忘れません。一度、途中で死んでG半分になって貯め直す羽目に陥ったのは今でもトラウマです。(笑)昔はよくやれたもんだと、当時の自分に呆れたり感心したりしています。ちなみにリメイクされたSFC版では確か600Gくらい落としていきましたのでずいぶんと楽になってはいましたが。
んで、Ⅰのいいところはなんと言っても臨場感ですね。一人旅ですから戦闘でも気を配らなきゃいけないし、洞窟なんかは明かりなんてなくて松明とか呪文で見える範囲だけを明るくして、この先に何があるのか分からない、と言った緊張感が好きでした。ラスボスも強いし、クリアした感動は今でも忘れません。
「ああ、やり終えたんだ」という充実感に包まれるのがこのⅠでした。
もしⅠがDSじゃなくてPS2あたりで、Ⅴのグラフィックレベルがあれば購入するかもしれません。というか、します。(笑)
今月も頑張りました。
たぶん、ブログを付けてから初めてだと思うんだけど、一ヶ月休みなしの完走を達成しましたよ。
どうでもいい話から時事ネタ、政治ネタなんだけど何の裏付けもないんで独断と偏見だけで書かれている感想を中心に本当に頑張りました。
これでサイトを更新できていればもっと良かったんだけど、結局は別館に贈り物SSを2点展示しただけになってしまいましたね。7月8月は本館の方で時候挨拶イラストがあるんで必ず、2点の新作は上がるでしょうけど別館はどうなるでしょうか。(ヲイ)

さて、そんな取りとめのない挨拶はこれくらいにしまして、今日はマンガオタクらしい話など。
というのも私は今、大変、毎週待ち遠しくなってしまうくらい楽しみにしている作品がございます。
それは集英社『プレイボーイ』で絶賛連載中の『キン肉マンⅡ世』。
1980年代にダントツで一世を風靡した超人プロレスマンガ『キン肉マン』の次世代モノで、当時、この『キン肉マン』をきっかけにプロレスブームが巻き起こったとも言われております。心当たりのある今は三十代になった方は多いのではないでしょうか。
私もしばらくはプロレス見ていたのですが、あまりにショー的要素が強すぎてすぐに離れてしまいましたが。(ヲイ)
で、何でその次世代版『キン肉マンⅡ世』に心躍らせているのかと言いますと、なんとなんと旧主人公・キン肉マンVS新主人公・キン肉マンⅡ世の対決が始まったからです。しかも今週からは何の憂いもない真剣勝負。
どちらが勝つかはだいたいの見当はついてますけど、この『夢の対決』が『公式』で見られるなんて思ったこともありませんでした。
そもそも『夢の対決』というものはゲームやパロディ、二次創作の世界のものであって公式には実現不可能のものです。だって主人公同士ですよ。作者は両方に愛着があって当然です。どちらが勝つにせよ、できればどちらかが負ける姿なんて書きたくないでしょうし、新旧主人公を活躍させたいから長くなるのは目に見えています。でもそれでいい。ファンだって一話でも長く『夢の対決』を堪能したいのですから。
そしてこれは旧主人公から新主人公へのバトンタッチの意味も込められていますからね。
本当に新主人公が、絶大な人気を誇った旧主人公を引き継げるかどうか、ファンが納得して新主人公を容認する対決でもあるのです。
となれば、もちろん陳腐な展開にはできないし、作者も必死に考えて今まで以上に魂のこもった作品にしなければならず、だからこそ、面白さが生まれるのです。
これで失敗したのはおそらく鳥山明先生なのかもしれません。
『ドラゴンボール』において、鳥山先生は孫悟空からその息子・孫悟飯にバトンタッチさせようとした時期はあったのですが、結局はそれができませんでした。孫悟空VS孫悟飯を実現させなかったからできなかったのでしょう。
別の方法で、新旧主人公を上手く継承させていたのは荒木飛呂彦先生ですね。『ジョジョの奇妙な冒険』は新旧主人公を協力させた上で、旧主人公たちをフェーズアウトさせていき、ファンは新主人公にいつの間にか愛着を持たされていました。
随分時間が経ってからの次世代版ですけど、それでもファンは旧世代にも愛着を持っているから見るんです。つまり次世代は旧世代を乗り越えなければならず直接対決なしで乗り越えるところを見せられるわけがないんだけど、現実的には(時間的に)そんなことは不可能でファンも半ばあきらめていたことでもありました。
同じように無かった新旧主人公対決は『リングにかけろ』の高嶺竜次VS剣崎麟童、『銀河―流れ星銀―』の銀VSウィード、でしょうか。(他にもあったら教えて♪)
おそらくですけど、この作品のファンの人たちは新旧主人公対決という夢のイベントを思い描きながら、それでも果たされないことだと割り切っていたかもしれません。
しかし『キン肉マン』は、誰もが願ってやまなかった対決を実現させてくれました。
これは大袈裟じゃなくて漫画界の革命かと思います。だって本当に今までなかったことなんですから。
結果は勿論見えています。ですがどのような決着になるのか、それと同時にできるなら終わってほしくない、というなんとも贅沢な思いを持っているファンは多いのではないでしょうか。
基本、私はマンガオタクであってアニメオタクではありません。
違い?
確か、この言い回しは三回目なんで最初の一回目にあったはずですからそちらを参考に。
まあだからと言ってアニメを全く見ないかというとそうではなくて、少なくとも『原作』を持っているもので放映しているものに関して言えば、実はきっちり見ています。

という訳で今回のタイトル!

何の話かはおそらく原作を知っていて先週の、この原作のアニメを見た人にはすべて分かることでしょう。
正直意外でした。
今週で終わると思ってたんですけど、どうも残り時間が少なかったのと、主人公が終盤ではなく、途中でとあるセリフを言わなかったんで気になってたんですけど、まさかまた引っ張るなんて思ってもみませんでした。
と、同時に、これまたとある登場人物の様子を見ていると、どうもこの先の伏線のような気がしてなりません。
どうやら本気でやるようですね。
しかし、今回のお話は、その『とある登場人物』が可哀想でした。
誰にも理解してもらえない中、たった一人、孤独に行動する姿は寂しすぎました。
解決方法は原作を知っている人は皆知ってる訳ですけど、今回の引っ張り方はあまりに、あの子が不憫だったなぁ……(--;)

え? 何のお話かって?
世の中、知らないことが幸せ、ってこともありますよ。
ホビーというカテゴリーの割にはなかなか深そうなタイトルではございますが、今回は『趣味』の話じゃなくて『趣味にまつわる話』ということで。
まず私自身、趣味を持っているかと問われれば、たとえ就職面接の場であったとしても胸を張って「イラスト(マンガ絵)作成と私小説(ほとんどファンタジー)執筆」と答えますし、実際、そう答えてきました。なぜならそれは何ら恥じるべきことではないからであり、人の趣味をとやかく言われる筋合いはないと思っているからです。
んで、面白いことに数多くの面接官はそこに興味を持ち、その部分で熱心に話され、常に高い評価をしてくれていたのが印象に残っています。(事実、今の会社はイラストとも小説とも関係ない会社ですけどそれで採用されたようなものでした)
私なりに何故、その趣味の受け答えが高評価を得たのかを考えたときに思い至ったのは、イラストにしろ小説にしろ『自分で白紙の状態から創る』からではないか、ということです。それはすべて自分で考えなければならず、極端な話、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞と言った、与えられたものを見るだけで何かを考える必要性が乏しいものに比べれば、逆に(ある意味)崇高な趣味だと思われたのではないかと推測しています。そもそも読書、映画、音楽といった趣味は単に当たり障りのない模範回答でしかありませんしね。それで個性を訴えるのはなかなか難しいのでしょう。
『思考する』、『創造する』するという行為はなかなかできるものじゃなくて、たいていの人は仕事でもない限り、人任せにしているところがあるのではないか、とか思うのですがどうですかね。


さて、そんな趣味の中で一つ、小説執筆についてでありますけど、これはおそらく、私的には、この趣味を持っている人は相当ものを考えることが習慣化しているだろうなという推測を持ってますし、また普段から物事を多方面で捉えているのではないかと思ってます。
事実、私の知ってる小説書き趣味を持っている人で選挙権を持ち、ちゃんと投票に行く人の大半は(嘘か本当かは確認のしようがありませんが)2005年の総選挙で自民党に投票しなかった、、、、、、、のです。
むしろ、小泉の掲げていた郵政民営化の裏を読み取っていたほどでした。
これは何故、こういうことが起こるのかと言いますと単純明快で、物書き趣味の人は情報というものを多方向から見るよう心がけ、また習慣付けているからです。趣味ですから誰に媚びるわけでもない、何かに従う訳でもない、そして締め切りがある訳でもない。
それこそ自分の創りたいものを創るのですから(正確には文章表現というところでありますけど^^;)妥協なんて存在するはずもなく、また物語には多数のキャラクターが登場する訳でそれぞれの立場も考えなければならず、となれば常に多方向から物事を見るようになってしまうのです。必然的に。
また妥協しないとなれば、色々な資料に目を通すでしょうし、たくさんの文章を読んで表現や漢字を勉強します。趣味ですとお金に糸目をつけませんので、本当にとことんです。
下手をすれば巷のジャーナリストより調べている時もありますし、最近の新聞記者よりもうまい文章を書きます。
それゆえ、大手マスコミの扇動報道にも惑わされない、政治家の仰々しいパフォーマンスにも騙されない輩が育つのです。
だって自分で『調べる』から。
自分で、本当の意味で、、、、、、『創造することができる』から。
(暴走すると独りよがりになっちゃいますけど)自分で、いい意味で、、、、、『周りに流されることを無意識に拒否している』から。


そんな私ですから、もしこの文章を読めばご本人が気を悪くされる可能性は高いとは思うのですが、それを承知であえて書かせていただきますけど。
私自身、最近少しメールでやり取りした、とある方を本当に高く評価しています。三十代半ばにして数多くの著書に目を通し、毎日多数の新聞も読んでいる雰囲気で、私なんかよりもはるかに幅広い見識をお持ちですから。
ですが、ご自身で『多方向から見る』という視点には少し欠けているかな? ちょっと扇動パフォーマンスに乗せられるタイプかな? という印象も同時に持っています。また、そういうメールの返事も来ました。内容は割愛させていただきますけど、どこかいつも仰々しいパフォーマンスを見てしまうと集団心理に引っ掛かり思考停止に陥って同じような過ちを繰り返し、ずいぶん経ってからまた同じような後悔をする、という風に映るような内容の。
それがなんとも残念だな、なんて少し感傷的にもなったりして。


今、これを書いたのは朝ですから夜にまた何か書くかもよ♪
今回は、つい先日クリアしたDQ5のお話。
私はDQ派でFFは6までで止めてしまいましたし、FFシリーズだと何年か経ってから「またやろうかな?」と思えたのは一つもなくて、せいぜいが一度か二度のクリアが関の山でしょうか。別に嫌いじゃないんですけどなんと言っても長過ぎます。それと6までの感想で申し訳ないのですが敵モンスターのドロップアイテムが多いので何か、その辺りの醍醐味がないというか。「うぉぉぉぉぉ! これを落としてくれたぁぁぁぁ!」という感動がないことが、確かにストーリーや設定は面白いんですけど、敵は倒すだけ、って感じで、その辺りに面白みを感じないんですよね。
DQでしたらストーリーをこなすだけじゃなくて、ミニゲームにのめり込むだけじゃなくて、敵の落とすアイテムなんかにも狙いを定めて遊べるところが私的にツボでした。昔はよくRPGをやってたんですけど、今では本当にDQ以外のRPGをやらなくなっちゃいましたね。と言ってもDQも主には3、5ではありますが。なぜならこの二つのシリーズのドロップアイテムはどれもレアでなかなか手に入らないものばかりですから燃えます。
FC版に比べると出やすくなりましたけど、3の幸せの靴とか雷神の剣とか不思議な帽子とか、5であれば小さなメダルとかはぐれメタルの鎧とか、とにかく普通にやってたんじゃクリアまでに手に入らないものもある訳で、これだと俄然戦闘でのやる気モードが段違いになります。ただ倒すだけじゃなくてその先があるから楽しめるとでも言いましょうか。気が付けばクリアよりもドロップアイテムに熱中してしまうことがしばしばあって、あと5ですとドロップアイテムだけじゃなくてモンスターが仲間になりますから、仲間にしたいモンスターを狙い戦い続けることもあります。特にキラーマシン(確率256回の戦闘で1回仲間になってくれるかくれないか)な。
今回のプレイでは狙ったモンスターすべて(キラーマシン含む)を仲間にできたので満足でございます。
ただDQって本編クリア後にもう一つストーリーを作ってあって、これはSFCの5から始めたんでしょうけど、本当に楽しめるのは、私的にはPS版の4だけでしょうか。
3、5、7は別にやってもやらなくても、って感じですし、6もどちらかと言えばそれに近いですね。8は主人公の出生の秘密やハッピーエンディングでしたからまずまずでしたけど、そこまでが長過ぎるのともう世界観がDQではなくなってしまっているので、もう一回やろうとは思いません。
しかし4に関して言えばFC版の時に感じたもやもやが晴れるので、これは何度プレイしようとも必ず『クリア後』のストーリーをやるようにしています。やっぱ終わらせるにはプレイヤーも納得して終わらないといけませんからね。
その点で本当にPS版4は面白かったです。ただ、ドロップアイテムにあまり価値がないところが少し残念でしたが。

以上、いい年こいた大人がゲームに熱中しているというお話でした!(ヲイ)
事実は小説より奇なり。
という言葉があるけど、私は小説やゲーム、マンガというものは基本的に幻想であって多少リアリズムが混ざっていようと、客観的に言えば誇張が作り話と思っている節があります。
が。
18禁ゲームが有名なんじゃないかと思うシーズウェアのサスペンスアドベンチャーはなかなか侮れない部分があるんじゃないかと思ったり。
私の好きなゲーム『EVE』の総元で、『EVE』に関して言えば、当初は18禁ゲーム『悦楽の学園(だったかな?)』の続編として登場したんだけど、そのストーリーの完成度の高さに18禁じゃ勿体ない、というユーザーの声に後押しされてシリーズ化し、本格的なサスペンスへと発展していったという異色作でございます。
アメリカCIAの暗躍を疑っている人にはぜひ、『ZERO』『TFA』をプレイしてもらいたいですね。
なんとも、ドキッとするセリフが飛び出してきます。
もちろん、私だって、国と国の取引なんだから裏で何かドロドロ血みどろの抗争が繰り広げられているんじゃないかと想像はしてるんだけど、今現在、そんな世界に身を置くことなんてまずあり得なくて、半信半疑というか、眉唾で見ている話です。
ちなみにプレイされるときはメインではありませんのでお見逃しなく。(笑)
6月に入ってブログペースは落ちます、と言った通り、少し落ちてます。これが5月でしたら1日に2回書くことも、毎回長文になることもあったりしてたんですが、先週予告した通り、ただいまドラクエ5(PS2版)をプレイしてまして、まあ仕事してる社会人ですからそうそうやる時間を取れるわけもなく、会社から帰って夕食取って、風呂入って、その後、寝るまでやってたりしてますけど、じゃあ何で毎日、ブログが更新されてるんだ?と問われれば、何のことはなくて、単にやる前に付けている、というだけのものでございます。
うむ。私もなかなか大人になったじゃないか。(つーか、年齢的には大人なんだけど)
昔はそれこそ、寝る間も惜しんで一日中やってましたからね。おかげで初めてやったときのドラクエ4(FC版)は一週間、5(SFC版)は五日間、6(SFC版)は……ひょっとして四日くらい?
いやぁ、若気の至りというやつですな。ちなみに7と8は社会人になってしまってたので一ヶ月以上かかりました。つか、あの二つは長過ぎだ~~~(><。)

そんなドラクエ大好きな私でございますが、5をやる時に必ず仲間にしたいモンスターは仲間になるまで粘るものでして、気が付けばもうとっくに青年時代後半になっててもおかしくないレベルであったとしても、まだそこまで至っていないことが多々あって、というかドラクエ攻略の情報がたまに本当なのかと疑ってしまうことが起こってたり。
ドラクエ5には仲間になるモンスターがいるのは有名な話で、そのモンスターを仲間にできる確率というのも存在している訳ですが!
何故でしょう? 私がやると1/64確率の狙いモンスターは10回くらい狩れば結構仲間になってくれることが多い(事実、今回も現時点で2匹の1/64がなっている)のですが、どういう訳か、1/16確率のモンスターとなると50回狩ってもならないことが多くてその時点で確率2%以下ですからいったいどっちが1/64なんだとツッコミを入れたくもなってます。(笑)
無論、今回も例外なく、現在100匹狩っても仲間になってくれない1/16狙いモンスターがいたりして。
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