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昨日、4月26日に小沢氏の政治資金規正法違反疑惑の判決が出た。
もう、知らない人の方が居ないだろうという結果で、正直言って、はっきり言って、私はこの判決は意外だった。
なぜなら、まず有罪が出るだろうと考えていたからだ。
むろん、今回の裁判沙汰になっている起訴案件は、被告側は文字通り『事実無根』であり、犯罪性もなければ事件性もない案件であることは、これまでもずっと語ってきたから今さら深く言う気はさらさらないが、そんな案件が裁判沙汰になったという時点で、これは是非を問うものではなく、結果ありきの茶番だから、有罪しか出ないと思っていたのだ。


ところがどっこい『無罪』である。


判決主文を読んでみると「どうしてこれで無罪判決になったの?」と言うくらい、検察側の主張をほぼ認めていたようなものだったのだが、これは上手い解説をして人がいた。

小沢無罪判決、控訴もなく確定判決に 判決に籠められた暗示と今後の政局

言われてみればなるほど、である。
検察は、どんなに下手だろうと投稿してきた持ち込みの作家と同じだった。
ただし、その検察は裁判所という出版社に大きなコネがあって、これまではどんなにくだらない作品でも入選してもらえてきたが、今回ばかりはコネも通用しないほどの稚拙な文章で、リアリティも訴えるものもなく、「これじゃちょっと……もっと上手くやらないとダメだよ……」と言われてしまったも同然と言えよう。


しかし、である。


この日本という国は再三言ってきたが、世界最底辺の国民性が蔓延る国であり、やっぱり案の定、もう理解力すらない連中が揃っているなと感じる出来事を今日の朝から耳にしてきた。
まず根本的に「小沢一郎がどんな裁判をやっているのかを知らない」で喋っている。
試しに聞いてみたら「4億の不記載」と答える奴ばっかりだった。
もちろん、そんな裁判はやっていない。やっているのは記載のズレに共謀性があったかなかったか、だけである。
で、さらに続けて、「それにどんな問題があるの?」と聞くと、「裏金だから、疚しい金だから」と返って来る。
ちなみに、それなら検察側も堂々と収賄、斡旋利得という罪状で引っ張れるのである。ところが検察自身は証拠がまったく皆無だったため、『不起訴』としたのであるからして。
つまり、その4億は裏金でも疚しい金でもないことになる。
で、こういう連中が最終的に何と言うか。
「黒に限りなく近いグレー」、「本当はクロ」
心の底から馬鹿だと思う。
『白黒をつける』裁判が『シロ』と言ったのである。もちろん、検察側が控訴しないとは言い切れないが、現時点では『シロ』であり、潔白であることを示しているにも関わらず、己の想像だけで『クロ』と決め付けているのだ。
つくづく想像力豊かな馬鹿である。まあ、これはこの馬鹿も悪いが、もちろん、それを扇動するマスゴミが悪いのは今さら言うまでもない。
「疑惑はさらに深まった」と言う馬鹿ばっかりだが、その疑惑に決着をつけるのが『裁判』という制度なのだから、判決後に「疑惑が深まった」なんて意味不明のことはあり得ない。だったら裁判なんて最初からやる必要はないし、裁判制度そのものが必要なくなる。
――――わけなのだが、それすら分からないのが馬鹿の集団・日本人である。
本当にこの国はダメだと思う。新聞テレビ以外の情報を得ないから、こういう馬鹿が際限なく増え続けるのだろうとつくづく感じる。
自分が何を言っているのかくらい理解してほしいものだが、どうやら理解できていないらしい。自分の発言に矛盾を感じていないらしい。
ついでに言うなら、「小沢は悪い奴だ」とほざいている連中が、もっと悪いことをしている、言い換えれば国民の生活を破壊している現実が見えていないのだから、もはや馬鹿の末期症状である。


さて、そんな中でも、これは光明ではないかと感じる一文を拾えた。
私の中は今でも、その評価の高さは変わっていないつもりの岡田克也氏がこう言ったそうだ。


岡田副総理「小沢氏無罪うれしい」「いつでも話する」


野田、仙石、前原、枝野、玄葉、安住、小宮山と言った連中は憮然として、いまだに悪あがきをしているようだが、世間からは同類に見られていた岡田氏は小沢氏の無罪を歓迎する姿勢を見せているようなのである。
これが本当なら喜ばしいことだし、同じ党所属の幹部として当然の反応でもある。小沢氏が本当に復権することが出来るなら岡田氏もようやく四面楚歌に陥って自棄になっている今から脱却することが出来るかもしれない。
私はそう信じたい。小沢氏と岡田氏が組めるなら、小沢氏は橋下なんぞに日和る必然性はなくなるはずだ。
橋下なんかと組むのではなく、名古屋市長・河村氏と組んで、国民の生活をこれ以上、破壊しない方策をとってもらいたいものである。
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消費税増税のごたごたでついに国民新党の亀井氏以外の頭が狂ったようだ。
総じて権力欲とは下に恐ろしい。
それと言えることは分相応という言葉を知らないボンクラ国会議員が、もう手の施しようがないくらい蔓延してしまっていることである。
権力を持つ器量がない人間が権力を持つとこうなる、という見本としか言いようがないのが今の日本政府だろう。


それはさておき、現在、野田政権と財務官僚が大手マスゴミを伴って大々的な消費税増税を施行しようと躍起になっているわけだが、これははっきり言って振り込め詐欺と同じである。
振り込め詐欺はその昔、「オレオレ詐欺」と言っていたわけだけど、子供を装って年寄りから金を騙し取る手口で、前にも言ったが、こんな詐欺が横行できるのは日本だけである。
考えてもみてほしい。
自分の財産を、いくら我が子を名乗ったからと言って、証拠もなしにおいそれと給金できるものだろうか。
ところがこの日本という国は、この詐欺に引っかかる団塊世代以上の大馬鹿老害人と馬鹿正直とうっかり者の区別がつかないもう直ぐ現役引退世代が多数いるので給金してしまうのである。まさに馬鹿の真骨頂。振り込め詐欺に注意、と促しても、馬鹿の耳に念仏である。所詮、この連中は考えることを放棄し、流されるままに生きている連中だから少しも注意しないのは自明の理というやつだ。


で、この連中がまた馬鹿をやっている。
今度は政府と財務官僚の、要約すれば「俺たちのお金が足りないので振り込んでくれ」なのに、財政とか社会保障とか言ってる屁理屈を真に受けて、消費税増税を良しとする風潮に乗せられてしまっているのである。
これも前に言ったが、これに引っかかることは『今』を破壊し、『未来』を放棄することである。
言い換えよう。
現役もうすぐ引退世代より上の連中は、自分の子供や孫たちの未来を破壊しようとしていることに気づいていないのである。
まったくもって馬鹿げている。
「子供のことを考えない親はいない」というどこか常識っぽい言葉があるようだが、消費税に賛成している時点で、これは嘘であることを曝け出している。
つまり。
子供のことを考えている両親などいないということだ。
孫を大切に思う祖父母など存在しないということだ。
違うと言うのであれば絶対に消費税に賛成するはずがない。良しとするはずがないのである。
なぜなら、少し調べれば分かるからだ。
さんざん言ってきたので今更、細かく言うつもりはないが、消費税が財政再建にも社会保障費にも繋がらないことは明白なのだ。
にも拘らず、「国がなくなったら子供や孫が困る」などと勘違い甚だしいことをぬかして消費税増税を良しとする馬鹿親から馬鹿爺婆が後を絶たないので呆れてしまう。
消費税が増税になると言うことは、景気が後退し、さらに子供や孫が苦しむ羽目になることは間違いないのに、それに気づかない。
まさか、子供や孫の会社や生活と消費税は別物だとでも思っているのだろうか。そうとしか思えないほどの馬鹿が多すぎる。
消費税は会社や生活を直撃するのである。
どうしてそれに気づかないのだろうか。後から気づいても遅いし、手遅れなのである。


日本は今まさに破滅の道にまっしぐらに進もうとしている。
気づいている人間は結構いて、声を上げているんだけど、聞く耳を持たない老害どもや無関心人の数が、気づいている人間をはるかに凌駕してしまっていてすべてを台無しにする。
後から悔やんでもどうにもならないのである。
もし、後から気づいて本当に子供や孫に悪いと思った『もうすぐ現役引退世代以上』は腹を掻っ捌いて日本からいなくなればいい。
相当乱暴な言い方であるが、私はこう思ってしまうほど、今の年寄りどもに怒り心頭なのである。
前回の更新からなんと半年が過ぎていた。
ブログを書くのが億劫になってきたわけではなく、あまりに時間が早く経っているように感じてしまっていることが一番の理由だろう。
まったくもって歳は取りたくないものだが、生きとし生けるもの全てにおける普遍の法則なのだからどうにもならないものである。


はてさて、何故か日本中を揺るがしている事件(?)が去年からあって、その名を陸山会事件と言うらしい。
私にはいったいどこに『事件性』があるのかが理解できないのだが、誰に聞いても明確かつ芳しい回答は得られなかった『事件』である。
なんせ誰に聞いても『道義的』とか『真相究明が為されていない』とか抽象的な表現が多く、少なくとも『真相』は検察が捏造しまくった案件だ、ってことが明るみに出たはずなのだが、どうやら『大多数の国民』にとっては、それは『真相』ではないらしい。なんとも想像力が豊かな国民だなと諦観している自分がいる。
それくらい大馬鹿者どもの集まりだ、この国は。
ちなみに、今さら中身を話すつもりなどさらさらないのは、あまりに馬鹿らしい案件だからである。世界中を見渡しても日本を入れて数ヶ国くらいしか裁判にならないんじゃないかという裁判を、国民の血税を浪費してやっているのだから、すでにこの国は正気ではない。正気ではないのだが、そのことに気づいている国民の方の絶対数が少ないのだから本当にどうしようもないのである。


で、その裁判の判決が4月26日に出る。
そして、同時にこの日が日本終焉の序章になることだろう。
なぜなら、この判決が今後の日本を左右するからである。そして、私はこの判決は悪い方へ向かうと推測している。
理由は至極単純。
この日本という国が『法治国家ではない』という前提で考えているからだ。
そもそも、真っ当な『法治国家』であれば、こんな馬鹿げた裁判はあり得ないし、また、裁判になったからと言って被告が『犯罪者』であるわけでもない。単に嫌疑をかけられている、ってだけのことだ。しかも、この裁判は嫌疑自体が難癖であり、これを犯罪とするならば、言いがかりとデッチ上げとサクラを準備するだけで誰でも犯罪者に仕立て上げられるからである。火のないところに煙は立たない、と言うが、世の中、『放火魔』という名のマスゴミという存在がいるので、火が立たないところでも無理矢理立てることができるから、「火のないところに煙は立たない」という言葉は誤りである。
そして、こんな『法治国家』はあり得ない、ではなく、これで『法治国家』とは言えない、のである。
なんと言っても『法治国家』の基本概念は『推定無罪』である。それが無視されているから私はこの国は『法治国家ではない』と言い切っている。
この裁判で小沢一郎氏に有罪判決が出れば、この国は終わる。
なぜかといえば、良し悪しは別にして小沢氏だけが破壊魔である官僚体制にヒビを入れることが出来るからだが、この裁判で有罪が出れば、既得権益集団と子飼いの大手マスゴミが決定的に彼を社会的に抹殺するための方策を取ってくることは想像に難くないし、日本国民の大半は大手マスゴミの扇動に疑いもせず鵜呑みにするから、これを機に、反増税派が完全に押さえ込まれ、大増税時代が到来し、『今』が破壊され『未来』はなくなることに気づくことなく、大手マスゴミに賞賛の嵐を送ることが目に見えている。それが自分達の首を絞める第一歩だとしても、それに気づかないままで。
それは歴史が証明している。私は以前、2005年が分岐点で、ここで選択を間違えたので、日本は衰退の一途を辿ると書いたことがあった。しかし、2009年9月に、もしかしたら踏みとどまったかもしれない状況が出来上がっのに、それを潰そうと躍起になった連中に、大多数の愚者国民が乗せられてしまい、結局、現在、元の木阿弥となってしまったことがあったことで明らかである。


もう一度言う。
この国は『法治国家』ではない。
よって、本来の『法治国家』であれば無罪が出る案件どころか、裁判にすらならない案件であるにも関わらず、小沢氏に有罪が出る可能性は高いことだろう。
また、それを拍手喝采する国民が大多数いる限り、70年前と同じく、日本国民は破滅の道へと踏み出すのである。
以前、私は2015年を迎えることは出来ないかもしれない、と言ったが、どうやらその通りになる公算が高くなってきたようだ。
今日、小沢氏の元秘書三人の、いわゆる陸山会裁判の判決が出た。
結果は全員有罪。
不思議な話である。
裁判所は検察が提出した証拠のほとんどを却下したというのに、その却下した証拠など最初から無かったかの如く、想像だけで有罪判決を下したことになるのである。
じゃあ、証拠なんて要らないじゃん。でっち上げで誰でも犯罪者に仕立て上げることが出来る、ってことじゃん。
という結果なのだが、実のところ、この結果を私は予想していた。
嘘だと思うのなら、こちらを見ていただきたい。
ここにコメントを残しているRevolutionというHNが私である。


2011年7月7日のコメント

2011年8月14日のコメント

2011年9月4日のコメント



今回の裁判は、最初から有罪ありき裁判だったということは分かっていた。
なぜなら、この裁判が有罪にならない限り、小沢氏が裁判にかけられることはないからだ。
小沢氏を強制とは言え、起訴した以上、どうしても裁判をやらなければならない。
どうしても裁判をやるためには、小沢氏の関与を認めなくてはならない。
今回の有罪判決の理由はただそれだけである。
証拠や証言など茶番に過ぎなかったのである。
不当判決であることは疑いも無いことだが、別の見方をすれば、ある意味、不当でも何でもない正当な判決なのである。
日本という国は、裁判官と検察がどっぷりで、検察の面目を保つためだけに、馬鹿げた判決が出るという国である。
でなければ、検察が起訴した裁判の有罪判決率が99%などと言うことはあり得ない。
というのも、裁判とはあくまで、是非の裁きの場であり、決して、犯罪者の刑を決める場ではないことは、それこそ『グローバルスタンダート』なのである。
こんな意味不明の有罪率は日本の他では世界では、中国か北朝鮮しかない。中国は警察国家だから、どんなに国民が反発しようとも力で抑え込まれるのでどうにもならないが、日本と北朝鮮はまったく違う。
『警察に逮捕された者は犯罪者』、『裁判にかけられたものは有罪』という誤った常識を国民が植えつけられた、言わば洗脳国家であるから、こんな馬鹿げた常識が罷り通るのである。
それゆえ、小沢氏を何が何でも犯罪者に仕立てるべく、この裁判を有罪にする必要があったのである。
もう一度言う。
物的証拠や被告側弁護など、まったく考慮されていない判決である。他のまともな国なら絶対に無罪判決が出る案件である。
つまり、この国は北朝鮮となんら変わりない国民の大半が考えることを放棄し、垂れ流されるミスリードを何の疑いもなく、真に受ける愚民が集う世界最底辺の国家に過ぎなかったということだ。


新聞テレビといった大馬鹿なマスゴミと何も考えていない愚者国民。
本当に、この国は七十年前から何も変わっていない。
太平洋戦争の反省などしていない最悪の国だ。
もうすぐ破綻が訪れることだろう。2015年は迎えられないかもしれない、と強く思う。
しかし、国民は気づかない。
本当に最後の最後、破滅のそのときまで気づくことはない。
誰かは忘れたが、上手いことを言った人がいる。

『馬鹿は死ななきゃ治らない』

まさしく、この国はそれを体現している。
ときどき、自分は凄いなぁ、と思うときがある。
それは誰しもが感じることだろうけど、自分の予想通りに物事が流れていく時に、図らずも思ってしまうことだろう。
私は一年前に『日本人は70年前と同じだ』と主張して、現在、あの『大政翼賛会』が復活しようとしているし、参院選の時に、『管は最初から勝つ気がなくて民自連立の為の敗北だ』と書いたけど、『大連立』という名の『大政翼賛会』が形成されつつある。
同じ時期に、「これでインターネット規制法ができる」、と言ったんだけど、現実、今国会でインターネット監視法が成立したし、福祉が全て破壊されるとも言ったけど、その通り、子供手当てや高校無償化の存続も怪しくなってきた。増税についても触れたけど、復興という名の下に色んな増税案が目白押しである。
んで、こうなったら、日本は底なし不況に陥る、と言ったわけなんだけど、予想した理由とは違ったが、想像した原因によって、はてさて、どうやらその通りになりつつある
ようだ。
こんな想像は当たってほしくなかったんだけど、去年の夏の時点で見えていたんだから仕方がない。震災復興のための大連立なんて大嘘だ。元々、大連立をやりたかったくせになかなかきっかけがつかめなかっただけで、菅執行部と自民党はいい口実ができたとしか思っていないことだろう。


さて、そんな私が判断するのだが、震災が原因の不況だ、と、思っている人は大間違いである。
確かに震災によって、“いっとき”経済が停滞するのは至仕方ないとは思う。それは私も認める。しかし、長期化する可能性は無いと考えている。
それは1995年の阪神大震災のときもそうだったわけなんだが、実のところ、(バブル破綻の影響はあったにせよ)震災後も1997年4月に消費税のパーセンテージがアップするまでは景気は悪くなかったのである。
つまり、どんなに酷い震災だろうと、それから数ヶ月で立ち直れるものであり、長期化することはまずあり得ない、はずなのだ。
2004年の新潟沖地震や2007年の新潟中越地震、2003年にも十勝沖地震と、案外大きな地震は頻発しているわけだが、その全てが不況の原因となったことは一度もない。
そもそも、不況とは人災であり、それが天災でもたらされることは無いのである。
ところが、ここは世界中でもっともお馬鹿が集う日本という国である。
特に最近は、どうもポピュリズムに走りがちな傾向があり、冷静な判断を出来る人がいなくなったのか、新聞テレビという悪しき既得権益集団の扇動に引っかかって、なぜか震災が原因で不況になると思い込んでいる人が多い。
結果、国土で言えば、被災地域は限定されているし、被害が小さかったり、被害が無かったりしている地域も多々あるのに、国中で過剰とも言える自粛や無意味な節電が方々の現在の指導者の立場にある人間主導で行なわれてしまっている。
自分たちの生活源を破壊してしまえば、不況になるのは当たり前の話で、自分たちで不況を作ってしまっていることに気付いたらどうかと思うのだが、そんなことに頭が回る輩は少ないらしい。
それと例の福島原発だ。
あれも天災によるものだと思っている人は、さすがに少なそうではあるが、こと、放射能漏れが起こった原因だけみれば、津波によるものだと持っている人は多い。
もちろん、現実は違う。
原発が津波を被った時点では、まだなんともなかったのである。
ついでに言うなら、実際に揺れが来た時もなんともなかったのである。
緊急停止はしていたが、その後の処理さえ間違わなければ、被害が拡大する可能性は低かったのである。
それは、新聞テレビ以外の情報発信者や海外メディアの一致した見解なのだ。
何しろ爆発があったのは、震災翌日の3月12日の昼過ぎ。
もうこれだけで、今回の放射能漏れと地震や津波が直結しないことを分かりそうなものなのだが、もちろん、分からない輩はたくさんいるのが日本である。


とまあ、とかく日本人は騙されやすく、しかも救いが無いことに、「自分は騙されていない」と、一つの事柄に対して何の検証もせずに、鵜呑みにするから、どんどんどつぼに嵌っているわけなのだが、これと同じことが今から、70年前にあったのに、そのときと今が何が違うのかを、少しは自分で検証してみた輩はどれだけいるだろうか。
んまあ、周りはほとんど皆無。無関心か新聞テレビを鵜呑みにするかの二つに一つだ。
70年前と今の状況と何が違う?
と、問いかければ、たいていの人は、あの時とは違う、と自信たっぷりにのたまうことだろう。その根拠は戦争を経て、当時の反省をしているから、と言うのだろうが、この時点で、その人は自分が馬鹿であることを曝け出している。
実のところ、今回の春の番組改編で、テレビやラジオから、東電や政府に対して、理論的に正論を述べる人材の大半は番組を降ろされ、残ったのは単なる(巷では御用学者と言ってるが)大根役者と太鼓もちの連中ばかりになったのだが、それにちゃんと気付いているのだろうか。
芸人である古館やみのもんたニュースキャスターとして相応しく見えるものなのだろうか。
つまりは70年前と同じで、政府や大企業、官僚にとって、都合の悪い人たちの情報は一切遮断され、一方的な情報のみが、新聞テレビを通じて刷り込まれているわけなのだが、これで70年前と違うと言い切れる辺りに呆れてしまう。
70年前は、戦争万歳に走ったわけで、ちなみに今回は何かと言うと、増税万歳だろう。
政財官の懐をせっせと暖める為に、国民一人一人が私財を投げることを良しとする風潮を形成されつつあるのに、気付かないんだから、お題の風潮的には目指すものが違うだけで、状況的には70年前と同じだ。
消費税増税は絶対に財政再建にも社会福祉にも復興支援にも繋がらない。大企業の法人税を下げる為の穴埋めに過ぎない。現に消費税が導入されてから210兆の税収があったのに、170兆の法人税減税が税収を圧迫しているのである。ちなみに残りの40兆は特別会計とアメリカ国債に消えている。加えるなら、何故大企業が消費税増税に賛成なのかといえば、海外取引に消費税は掛からないからである。知っての通り、日本は輸出大国だ。それも大企業が大半で、つまりは大企業は売上の大半は消費税を掛けても、その消費税は払う必要が無いし、仕入先を日本企業にしてしまえば、仕入に掛かった消費税を取り戻すことが可能なのである。だからこそ、現在、消費税は内税方式になっている。便乗値上げ促進のからくりはここにある。
んで、増税はそのまま政治家や官僚の給料UPに繋がるものだ。
消費税が財政再建や社会福祉なんてのは大嘘だという理由はここにある。でも、大半の日本人は『消費税』の仕組みを少しも検証しないから、この現実に辿り着くことはない。難しいから、とか、専門外だから、ではなく、消費税を他の税金との兼ね合いを見比べれば分かりそうなものなのだが、とかく日本人は木を見て森を見ず人種だから絶対に気付かない。調べるのが億劫なら、インターネットで探せばいいのに、それすらもしようとしないで知った気になっている。


これが一例なんだけど、本当に70年前と今は違うと言えるのか?
似たような報道は、それが事実だから、なんかじゃなくて大本営発表だからってことなんだけど気付いているのか?
事実ってのは是々非々をもって多くの角度から見ることを言うんだけど、そうなっていると思えるのか?
70年前と同じ歴史をまた繰り返すことになりそうだが、いったい、日本人はいつになったら自覚するのだろうか。
たぶん、破滅のそのときまで気付くことは無いのだろう。
本日は私の生誕の日である。何回目の誕生日かは秘密だが、そろそろ誕生日を迎えるのが億劫になってきた、とだけ言っておこう。(笑)
さて、誕生日に関連して、周りの人たちは言う。
「生まれてこれたことを両親に感謝しなさい」と。
だが、これは、裕福とまでは行かなくても『まともな夫婦』から生まれた連中が、自分たちの環境だけを見て言っているセリフである。
前にも言ったが、私は両親に感謝などしていない。昔は感謝していたが、今はまったくしていない。
全ての負債を子供に押し付け、自分たちは勝手気ままに、己の欲望に忠実に老後生活を送っているからだ。
しかも、老後生活を送っているだけならまだしも、その生活において、さらに子供に負担を押し付けているのだ。
許容範囲内ならそれでもいいだろう。
しかし、今、私の置かれている状況は許容範囲内をはるかに越えている。怒りすら覚える負担なのである。
これで感謝しろ、なんて不可能だ。まともじゃない夫婦から生まれた子供たちは両親に感謝する必要など無い。与り知らぬ不幸を背負ってまで感謝する、なんてのは間違っている。


とまあ、私の持論はさておき、最近、巷では大連立がどうとか言い始めているようだ。
東日本大震災があったんで、安定した政府が必要だろう、などという戯言を駆使して、大政翼賛会への道を走り始めたらしい。
はたして国民はどう判断するだろうか。
日本人は相当の馬鹿集団であるから、「非常時だから仕方がない」などと考えてしまうかもしれない。
だが、この考え方は大間違いである。
大政翼賛会は70年前に日本中をどん底に叩き落した太平洋戦争時代の悪しき記憶でしかないのだ。それをまた繰り返すつもりなのだろうか。
一年前に私は、日本人は十年一日で70年前とまったく変わっていない、と指摘したが、なんとも、その通りみたいで眩暈がする。
太平洋戦争でいったい何を反省したのだろう。少なくとも団塊世代は、太平洋戦争時代の大政翼賛会について否定的な教育を受けているはずなのだが、戦争経験者であるはずの団塊世代の親たちは何も教えなかったのだろうか。
大政翼賛会は完全な独裁政治であり民主主義からは程遠い制度である。
やったが最後、緊急時の暫定なんて言葉は、舌の根も乾かないうちに翻すこと間違いなしだ。
またマスゴミも大政翼賛会と一蓮托生だから賞賛はしても絶対に批判はしない。
政府に国民の声は届いていないという言葉は正解なのだが根本的に間違っているのである。
マスゴミは国民の声を届けるつもりなんてこれっぽちも無い。洗脳することしか頭に無い。
それは新聞テレビの偏向報道で既に示されてしまっている。事実とは是々非々をもって流されるものなのだが、今の報道は事実とはかけ離れた報道になっている。
こんな連中が大政翼賛会を形作れば、悪法が罷り通り、検察は横暴を極めて特高警察に回帰し、大本営発表の情報統制化の中で国民の自由は全て奪われる。
福祉など脇に追いやり、負担だけが莫大に増加する。
そんな暗黒の時代をまた繰り返すつもりなのだろうか。日本人とはそこまで大馬鹿者なのか。
そもそも、参院選で菅執行部は否定されたのは確かだが、2009年衆院選で自民党も否定されたのだ。国民が否定した双方の大連立など、もっとも国民が望むべき姿からは程遠いものとなるのである。
それでも大連立という名の大政翼賛会を良しとするのか。
もう一度言うが、緊急時だから、というセリフは単なるまやかしである。緊急時だからこそ、健全な与野党関係がなければ、それこそ国は破綻する。なぜなら反対する者が誰もいないからだ。反対する者がいないということは、どんな悪法であれ、検証すらされずに成立してしまうことを意味するのだ。
何度も言うが、それを70年前に日本は知ったはずだ。学んだはずだ。
あの時も関東大震災を機に、世界大恐慌を経て、日本はどん底へと落ちていった。
それも当時の政財官軍+マスゴミといった既得権益集団が道を誤らせたからだ。
今現在、そのときとまったく同じ道を辿っている。軍が検察の検になっただけで、まったく同じ道を歩み始めている。
また、70年前の悲劇を繰り返すつもりなのか。本当にそんな世の中になってもいいのか。
こればっかりは喉元過ぎれば、は通用しない話である。というか、喉元過ぎれば、という喩え自体間違っている。
緊急事態だからこそ、現在、小沢氏と鳩山氏は黙っている。それはまず、予算を成立させて、支援や復興のための手順を組むためなのだろう。
それを邪推し、「小沢と鳩山は何もしない」と否定的に見ている人間がいるようであるが、本当にそうなのかどうかはこの二人が大政翼賛会に走るか走らないかで見極められるはずだ。走れば批判すればいい。しかし走らなかったときは自分たちが風評被害の加担者であることを深く反省しろ、と言いたくなる。


70年前と比べるなら、危うい道へ歩み出していることに気づいている人たちは、まだ多い。
また当時と違って情報が多角化し、一人で抱えなくても、同志がいることが分かるから、大丈夫な時代にはなっている。
それでもまだ足りない。
傲慢で自己主張の激しい大阪府の橋下や東京都の石原なんかが当選できるようでは何も変わらない。
国民一人一人が、現在が70年前と同じであることに気がつかないと取り返しのつかないことになる。
悲劇が始まってからでは遅いのだ。
ただ、日本人は悲劇の真っ只中にいても自覚が無いことが多いので頭が痛いところではあるのだが、いや、本当に北朝鮮やオウム真理教のマインドコントロールを笑えない。
今度の統一地方選で自民党と(菅執行部に付き従う)民主党以外の候補者たちに票が集まることを心から願う。
『今』なくして『未来』はない。
『未来』を本当に憂いでいるならば、1999年のように、大政翼賛会を阻止するために、国民が選挙権を放棄することなく行使してほしい。
3月11日の東日本大震災から5日が経過した。
物不足、水不足といった現象が、震災被害のなかった私の居住地・石川県にまで押し寄せている。
そりゃ確かに、被災地は物不足に困っているだろうし、生活にも不便な思いをしていることだろう。
そちらに回す救援物資があってもおかしくないし、向こうからこちらに出荷するのも難しいことは認める。
たとえば、今日発売予定の週間少年誌は入荷されなかったこととか。
しかしだからと言って、何で、石川県に住む人たちまでもがパニックに陥っているのだろうか。
言っておくが、この地域は、ちゃんと電気も通っているし、蛇口を捻れば水も出る。
放射能に汚染されているわけでもなく、都会の水に比べれば、水道水でもはるかに美味しいし飲むことも可能だ。
それなのに何故か、コンビニやスーパーでは『水』が姿を消しており、懐中電灯を中心に非常グッズも底を付いている始末であるし、トイレットペーパーや灯油を中心に買占めまで起こっている。しかも奇怪なことに、食料品売り場で不足しているのは『水』だけなのだ。他の食品、カップ麺とか缶詰とかは普通に大量に置いてある。
本気でアホかと言いたい。
被災地や首都圏住まいの人なら、まだ理解できる。
これから、(絶対に避難したほうがいいと思うのだが)何日も自宅待機が命じられるかもしれないし、計画停電や計画断水なんかもあるだろうから、備蓄のためには、ある程度やむを得ないと思う。
しかし、この石川県は今のところ、何も起こっていない。何も起こっていないのに、どうして、『備蓄』に走る必要がある?
食料品売り場から『水』以外のものが消えたなら、それは来たる災害のための備え、と、まだ思えないこともないが、それにしたって馬鹿過ぎる。
『こうしている今』~『いつ起こるか分からない』という災害を想定して行動して何になる?
「起こってからじゃ遅いじゃないか!」と憤慨する人が多々いそうで、呆れてしまう。今の心意気をこれからずっと抱えて生きていくなら賞賛してやるが、そんな訳がない。
どうせ、一週間から十日ほど過ぎて、今、向こうで続いている余震が収まれば、また、普段の生活に戻るのだ。
今の自分のパニック状態を忘れて平常に戻るのだ。
んで、パニック状態に買い込んだモノに振り回されて立ち往生するのだろう。
まったく持って馬鹿の集まりである。被災地ならまだしも、今はまだ、何も起こってない地域で、この状態でパニックになってしまっていたら、いったい、本当に災害が起こったらどうなるのだろうか。
本気で、「もっと冷静になったら?」とツッコミを入れたくなる。
特に『水』に関してなんだけど、今日、複数のお店で聞いたら、どこもかしこも「被災地に送るので買っている地元のお客が多い」という答えだったので、石川県民の頭の悪さに眩暈がした。
もう一度言うが、今現在、石川県はちゃんと『水』が出るし、水道水でも充分飲める。
何で、『飲み終わったペットボトル』を洗って水を入れよう、という発想が無いのだろう? その気になれば、店で買うよりもはるかに安価で、大量の水を送ることができると思うのだが、どうも、そこに辿り着いている人は居ないらしい。
あと、急に節電を始めた店舗も多い。
なんだか経済産業省から通達が来たそうだけど、力いっぱい騙されちゃいないか?
石川県の基本は北陸電力。んで、その北陸電力からは「今のところ、計画停電は考えておりません」と、ご丁寧にウェブ上で貼り出されている。
理由は、北陸電力から東京電力に電気を供給できるシステムになってないからだそうで、ちゃんと調べてから行動した人はどれだけいたのだろうか、とさえ考える。
んで、素直にこう言って、神経質になる必要は無いんじゃないか?と進言したら、何故か周りはヒステリックになって私の考え方を否定した。
事実をありのままに伝えているだけなんだけど、ねぇ?
別に節電は悪いことじゃないと思うよ。地球温暖化を防ぐとか家計を助けるとかクラッキング火災を防ぐとかいう観点で考えれば、だけど。
でも、石川県だよ? それも片田舎だよ? 夜の11時過ぎに電気が点いているのはコンビニか飲み屋か外灯くらいだよ? 消費電力は首都圏の1/100以下だよ?
そんな地域で神経質に節電したって、その分が東京電力に回るわけでもないし、何の意味がある?って、考えるんだけどね。
同じように、県内のほとんどの行事が中止になった。被災地の人たちに悪いから、って、思い込んでそうなったらしい。
これと同じようなことが被害が無かった日本中で起こっているらしいけど、おかしくないか?
ただでさえ、震災の関係で、これから日本は不況期に陥ると言われている。まあ、さすがにこれは私も間違いないと思う。
でも、だからと言って全ての行事を中止にする意味は無いだろう。そんなことをしたらますます日本中が暗くなって不況の底なし沼に嵌ってしまうよ。
しかも、今の日本政府は菅と言う大ボケがやっているわけで、早速、この震災を悪用して、やれ消費税増税だの、子供手当て、高校無償化、高速道路無料化を凍結しようとしている現実があるわけで、ちゃんと、考えないとでっかい落とし穴に落ちるんだけど?
これも言ったら否定された。被災地じゃ困っている人たちがたくさんいるのに、何を自分だけ楽しようとしているんだ、と。
そうかぁ?
否定した連中こそ、もっと冷静に考えた方がいいんじゃないか?
今現在、日本は1000万人が年収200万以下のワーキングプアで、3割が年収300万以下。んで、平均の年収も400万台まで下がっている。
んで、子供手当てと高校無償化が制定された代わりに扶養控除は廃止されたんで、今年から所得税は子供一人につき年間38,000円(年間所得330万以下なら19,000円)増税になることが決まってるし、社会保障料もまだ増加傾向にある。その上で、消費税がアップされて本当にやっていけると思っているのか?
子供手当てや高校無償化は少子化対策だし、高速無料化で流通費用軽減による景気回復効果が期待できる施策だ。
それを放棄したら、ますます少子化は進むし、景気悪化も加速する。
しかも、日本政府だよ? 鳩山政権時代ならともかく、今の菅政権は21世紀の自民党政権と同じなんだよ?
暫定とか時限立法とか言ったって、延長延長でなし崩しに恒久化されるのは目に見えてるじゃない。そんなことも分かんないの?と本気で思ったよ。
こういうのを、被災地の人たちと思いを共有したいというその場限りの自己満足という。
それだったら山ほど救援物資を持って被災地に行けばいい。そっちの方がよっぽど感謝されると思うけどな。
まったく無傷の地域で現場も知らない人間に「私たちもあなたちと同じで色々我慢してるんだよ」なんて姿勢見せたら、逆に顰蹙(ひんしゅく)と怒りを買うんじゃないか?
加えて、生活が破壊される未来は無視ってんだから、あまりの思考回路の欠落振りに辟易する。
てことで、ここ数日の石川県内の動きにはとことんうんざりしている私だ。
(言い方は悪いが)数百万人を救うために、数千万人の生活が破壊されていいものだろうか。
ついでに言うなら、消費税アップは当然被災住人にも及ぶ。
今回の震災は確かに酷いものであることは認めるが、だからと言って、それだけに目を奪われて、本当に大切なものを失うことに気づいた方がいいと思うのだが、どうやら、そういった考えは微塵も無いらしい。
あとで泣きを見ても知らないぞ、と言いたいけど、そこには私自身も含まれる。
本気で日本国民の馬鹿さ加減には反吐が出る。
前回の更新から三ヶ月が過ぎ、新しい年になっていた挙句、なんだか広告も入っていた。
この間、何をしていたかと言えば、オフの自由時間をクリスマス、年賀イラストに勤しみ、現在も受験生エールイラスト作成中だったりする。
と言うか、やっぱり時間の経過に速さを感じて仕方がない。実のところ、私自身は1つあたりのイラスト作成時間ペースは変わっていない、と思っていて、しかし、現実は昔よりもはるかに時間がかかっている現実がのしかかっているのだ。
人は歳を取ると鈍くなる、と言われているが、それは正解だな、と考える。ただ、それは時間の流れに徐々についていけなくなっているって意味で、それを衰えと言うのだろう。


はてさて、本日、愛知県で県知事選、名古屋市長選、そして、市議会の解散を問う住民投票というトリプル選挙が実施され、愛知県民並びに名古屋市民は、大村秀章氏を県知事に選び、河村たかし氏を名古屋市長に再任させ、名古屋市議会の解散を選択した。
これはとりもなおさず、既得権益集団に対する平和的クーデターと言っても過言ではないだろう。
愛知県は民主王国と呼ばれるほど、民主党が圧倒的に強く、前回の衆院選でも15選挙区完全制覇を達成していた。
私的には今回の選挙について、民主党が敗北した、とは思っていない。敗れたのは、菅執行部なのだ。
菅や仙石、前原、渡部、生方、枝野と言った己が権力欲に駆られて既得権益集団に魂を売り渡し、2009年に政権交代を実現させた『国民の生活が第一』という理念を踏みにじった連中が敗れたに過ぎない。しかも、この連中が支援した候補は自民党も相乗りしていて、と言うことは、少なくとも愛知県民と名古屋市民は『国民の生活が第一』を推進させようとする大村氏、河村氏を選択したに過ぎず、それがイコール民主党の敗北ではないことを意味しているし、この結果はいまだ、『国民の生活が第一』を理念に掲げた民主王国が存在することを知らしめたということになる。
それでもやっぱりと言うか何と言うか、世界中から忌み嫌われ信用の欠片もない日本の大手マスゴミは嬉々として、民主党敗北を伝えている。しかも、どういうわけか、この時期に大相撲の八百長問題を大々的に取り上げ、愛知のトリプル選挙から関心を逸らそうと姦計をめぐらせいることが明らかだった。
本気で、そろそろ日本国民は気づかないといけないのだが、政界において、相当重要なウエイトを占める出来事があるたびに、タイミングよく、別のことで大騒ぎするマスゴミの姿勢は明らかにおかしいだろう。
新型インフルエンザ報道による民主党代表戦潰し、捏造裏献金疑惑による国民救済法潰し、消費税導入時のリクルート事件など、挙げれば切りがないくらいタイミングがおかしい事件が起こっているんだけど、気づかないお馬鹿が多いのは推理力とか想像力以前に、何も考えず流される輩が数多くいるからとしか言いようがない。


さて、愛知県トリプル選挙に戻るが、上記の通り、少なくとも愛知県民はまだ『国民の生活が第一』を掲げる『2009年時の気概を持つ民主党候補者』であれば、支持していることを知らしめてくれたのは、ありがたかった。
大村氏にしろ河村氏にしろ、あの当時の民主党の理念を忘れていない候補者が当選しているし、愛知県民は当然、この二人が民主党系の候補者であることを知っているのだから。
できるなら日本国民の大多数がそうであってほしいと願うのだが、それは高望みに過ぎないような気はする。
それだけ私は日本国民の意識は低いと思っているからだ。
しかし、今回の二氏の勝利は、既得権益集団がバックにいるのは誰であるかを、ちゃんと見極められたがための勝利であるからして、別に、国民は民主党を見限ったのではなく、民主党内の一部の権力の権化どもに三行半を突き付けた、という見方が正しいのではなかろうか。
んまあ、それでも菅、仙石、前原と言った現執行部の馬鹿者どもは岡田克也氏に一切に責任を押し付けて、自分たちはのうのうとする気満々だろう。
私は岡田氏が哀れで仕方がない。
氏の性格を考えれば、今の立ち位置は自分の理念とは正反対であることに気づいているだろうに、愚直な性格が災いして、それでも執行部の方針に従わざる得なくなっているからだ。
ならば、一地方選挙だから国レベルで計るのは間違いなのだが、それでも今回の選挙の責任を取って幹事長職を退いてほしい。
小沢氏や鳩山氏と同じように一兵卒となって行動の自由を得た方がいいのではないかと思う。


話は逸れてしまったが、愛知県民が見せてくれた結果は、今なお、既得権益集団を毛嫌いする帰来が残っていたことを証明してくれたことに尽きる。
誰がなっても変わらないなら官僚に任せてしまおう、なんて諦める必要はどこにもないことを教えてくれた。
大村氏や河村氏がどんな県政、市政を担うかは興味深く見せてもらう価値はある。
そして、小沢氏と鳩山氏を支持するグループ総勢180名は今こそ、現執行部を打倒するための行動を起こすべき時が来た。
地方選の前に集団で民主党を離党し、国民新党に合流するなり、新党を立ち上げるなりして、『国民の生活が第一』を推し進めるべきである。そこに比例区で復活当選した連中が含まれていようとも、現執行部から文句を言われる筋合いはない。なぜなら現執行部は『自民党』と書いた有権者の一票によって復活当選しておきながら、離党した挙句、権力欲に塗れた与謝野を抱え込んでいるからだ。
国民は民主党を見限ったのではない。
国民が見限ったのは、悪徳官僚や既得権益集団に癒着する旧来自民党となんら変わりない現執行部たちだけだ。
大阪地検の前田元検事が逮捕されて以来、大阪地検だけを狙い撃ちにした逮捕劇が相次いでいる。
よっぽどの馬鹿でない限り、誰しもが分かっているくらい、これは検察が自己保身のためだけにやっているトカゲの尻尾切りであることは明白なんだけど、今回ばかりは、どうやら新聞テレビ至上主義者であっても、半分くらいは、この現実に気づいているようだ。
んまあ、これだけあからさまにやっていて、それでも気づかないとしたら、そいつの頭の中は脳みその変わりにプリンが詰まっているか壊死を起こしているかのどちらかだろう。要はロジカルに想像するって部分が欠落してるってことである。


さて、何故今回、『よっぽどの馬鹿でない限り』と結論付けられたかと言うと、例の耳かき殺人事件で林貢二被告が、検察側調書を否定した報道が流れたことに端を発していて、まあ、この被告が、本当に殺意があったかどうかは裁判によって明らかにされていくわけなんだけど、この被告が検察が調書を「作文されたもの」と言ったことを、今日、話した、つい最近までは、すっかりテレビ新聞の言い分を信じ込んで「小沢は悪い奴だ!」と気勢を上げていたというのに、「大阪であんなことがあれば、そりゃ検察調書は否定する人もでてくるだろうね」と至極冷静に感想を述べ、否定した被告に対しては別段、「何、嘘を吐いているんだ」と罵らなかったからだ。
私も正直言って、この被告に殺意があったのではないかと疑っている。疑っているのだが、所詮、調書を取ったのが検察であり、しかも密室でやっているものなんだから好き勝手に作文している、という事実は既に世間に蔓延しつつあり、イマイチ信じられないのは自明の理、検察側からすれば自業自得でしかないということだ。
でもやっぱり、まだ『推定無罪』の意識がない馬鹿は多い。
この国は法治国家なわけだし、起訴されようが裁判で無罪と判断されれば無罪なのである。つまり、裁判が始まる前から被告=有罪という悪しき慣例はまだまだ日本に深く根付いていて、これを引っこ抜くのは相当難しいだろうな、とか考える。
かく言う私も、私自身の中では必死に『推定無罪』の意識を強く持とうとしても、まだ、どこかに被告=有罪、悪いことをしたんじゃないかという疑いを持って考えてしまう節があって、これじゃ私も風評被害の加担者じゃないかと、本気で内心、忸怩たる思いを抱いてしまう。
無自覚よりはマシかもしれないが、こんなもの五十歩百歩に過ぎない。


はてさて、何やら検察トップの大林検事総長が国民に謝罪したようではあるが、頭を下げて済むなんて本気で考えているとしたら大笑いだ。
もっとも、日本には『よっぽどの馬鹿』が多いから、「深く反省しているようだから今後はするなよ」と思う人がいることは否めなくて、本当に今後、同じような冤罪裁判が発生しないためにはどうすればいいか、というところまで頭を回さない人が多いのもまた現実である。
今回の耳かき殺人事件でも、被告が検察調書を否定したことについて、それを見た人が何故、「嘘を吐くな」と言わなかったかというと、結局は密室取調べなだけに実際のところが分からないからに他ならない。そして、ようやく、そこに到達したことは、少なからず国民意識が上がっていることを意味している。
それでもまあ、それまでのマスゴミ報道が相も変わらず推定有罪で垂れ流していたものだから、それを真に受ける人間がいるのもまた現実なのだ。
しかし、今日、話した人は取り調べの可視化まで言及していた。本当に意識が上がってきたと思う。
人間誰しもが、『真実』には到達できなくても『事実』に到達することの大切さを、ようやく理解できてきたようである。
当然だな。いつ何時、自分が冤罪被害者になってしまうか分からないのが日本という国なんだから。


何度も言うが、今回の林貢二被告が本当に殺意があったのか衝動的だったのかはなんとも言えない。
殺意がない限り『殺人罪』は適用されることはない。
江尻美保さんを殺害した、その事実は認めたようであるが、殺人罪が適用されるかどうかは分からない。殺人罪は無条件で死刑判決なのだが、衝動的で殺意がなければ傷害致死だ。傷害致死で死刑になることはないだろう。それであるならば押尾学被告の場合も被害者を放置したことで殺人罪が適用されることになる。
だから、結論は裁判で明らかにされることであって、判決が出るまでは我々のような一般人は経過を見守り、顛末で知るしかないのである。
勝手な憶測は風評被害の加担者以外の何者でもない。
結局、起訴される人たちの本当の声を知るのは取調べの可視化しかないのである。
検察が本気で信頼回復するつもりがあるのであれば、自ら可視化に踏み切るしかない。
私は林貢二被告に殺意があったかどうかなんてなんとも言えない。どちらかと言えば殺意があったんじゃないかと思っている節はある。それは否定しないが、それでも判決が出るまでは『計画的犯行』であったとしても『殺害目的』扱いするような真似だけはしないでおこうと考えている。そういう話題になったとしても裁判の結果で判断する、と答えるのが正しいあり方だろう。
さらに言えば、もう何度も指摘してきたとおりで世界中から信頼されていない日本のマスゴミが、今度は、身内の涙の陳情とか持ち出して、検察さながらの精神的圧迫感を与えて殺人罪に仕立てようと躍起になっているから余計、疑わしく感じてしまっている。
被害者は確かに可哀想だと思う。しかし、本当に林貢二容疑者に殺意があったかどうかはまだ分からない。この時点で被告を責めたくはないし、また、そうでなければいけないと思う。
刺したことは糾弾されても仕方がないが、殺意を持っていたかどうかは勝手に判断することは決してしないでおこう。
そういう風に考える意識を持つ人が増えてきつつあることは良いことではなかろうか。
前回のブログ更新からあっという間に1ヵ月半が過ぎた。
ちなみにこの間、何をしていたかと言えば、まず休みがなかったし、平常業務でも(サービスを含む)残業が多かった。
お盆休みのころは本館の残暑見舞いを一生懸命書くくらいしか時間がなくて、気がつけば一ヵ月半の経過である。
ホント、時の経つのは早い。
さて、今、巷では民主党代表戦の話で盛り上がりを見せているようで、どうも旧態メディア(テレビ新聞)とインターネットの間で熾烈な情報合戦が繰り広げられているようだ。
何でも「民主党新代表にどちらがなってほしい?」という設問に対して真逆の結果が出ているとのこと。
どちらが真実を言い当てているのかは私には判らない。と言うか、結果は投票権を持つ民主党の議員、民主党員、民主党サポーターの連中がテレビ新聞インターネットのすべての媒体に目を通して判断しているかどうかだろう。
ただ、現職大臣たちは自分たちのクビがかかっているので、自ずと菅総理支持に回ってしまうのは仕方がないので批判するつもりもない。
別に菅総理の下で国民のための政治を行う気があるならそれはそれで構わないからだ。
できるかどうかなんて判らんけど。

はてさて、話は戻るが、言うまでもなく、旧態メディアは世界中から信用されていないわけだが、それでも何故か国内では信用のトップに位置し、老若男女問わず、誰しもが「テレビや新聞が言っているから」と平然と語り、その情報に対して、少しも自分で検証しない風潮が今なお、世間を色濃く覆ってしまっている。
もちろん、テレビ新聞が流す情報、すべてを嘘とは言わない。
最近は、どうしても一国の総理を選ぶ代表戦だけに小沢一郎氏も『生放送』に呼ばなければならず、その結果、ほんの少しだけ『事実』が流れ始めている。
しかし、それでもやっぱり、まだまだ小沢一郎氏悪人説は根深い。
私自身は何度も言っているが、小沢氏が好きか嫌いかで言えば嫌いだし、信用できるかできないかで言えば信用していない。ただし、支持するかしないかと問われれば支持すると答えるほど、政治とは人ではなく政策の中身で判断するものだと思っている。
少なくとも菅総理は去年の総選挙で国民が望んだ『政権交代』を逆行させたことは確かだ。だから支持しない。
ところが、問題は投票権を持つ連中がどう判断するかである。
今回の代表戦について、国民に選ぶ権利はない。見守るしかないのだ。
よって、代表権を持つ民主党関係者がテレビ新聞を鵜呑みにして菅総理を再選させるのか、それとも民主党が政権交代を果たせた最大の目標を達成させるために小沢氏を就任させるのかにかかって来る。
ただ、はっきり言って去年の総選挙で国会議員になった人たちは小沢氏を選択しないと、自分たちのクビが吹っ飛ぶことをどこまで理解しているだろうか。
まず、今のままでは次回の総選挙では当選できない。なぜなら新人議員たちは民主党マニフェスト実現のために選ばれたのだから、それに反する行動を見せる菅総理を支持するようなら絶対に支持者は離れてしまう。
それをどう理解しているか、なのだが、正直不安だ。
そもそも今回、小沢氏が攻撃されているのは『政治とカネ』の一点のみで政策論争を期待する国民からすれば、菅氏の発言そのものに違和感を感じてしまう。
別にクリーンじゃなくても国民のための施策が成されるなら、それは問題にすらならないことで、しかも、新聞テレビは意図的に語らないが、起訴されたところで小沢氏の無罪は確定なのである。と言うのも有罪にできるなら検察が不起訴にするはずがないし、しかも懲役刑ではなく罰金刑。本当にこれが国を揺るがすほどの事例なのかと思わない人の方が異常なはずなのだが、なんとも新聞テレビ至上主義者は自身の生活よりも小沢氏の失脚の方がお好みらしい。
何でこんな馬鹿ばっかりなのだろう?
何度も言うが、小沢氏は説明責任を果たしている。それを単に旧態メディアがノーカットで流さないだけだ。それを知らずして新聞テレビ至上主義者たちは知った気になってるわけだから文字通り救いがない。
百歩譲って献金があったとしても、絶対にそれは収賄にも斡旋利得にも口利きにも繋がらないし、別に血税が一銭も使われていない。それの何が問題なのかを本気で教えてほしいものなのだが、どこも説明しないのに、新聞テレビ至上主義者たちは問題だと思い込んでいる。


小沢氏が総理になって大変なことになるかどうかはなってみないと分かる訳がない。
そりゃ、やる前から分かるのは予知能力者だけだし、いるなら会ってみたいものだ。
そもそもテレビ新聞が不安を煽るときの大半は大嘘か真逆だということは過去の歴史が証明している。
投票権を持つ民主党関係者たちは是非、本人たちの演説を聴いて、『情報媒体』すべてに目を通して判断してほしいところである。
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