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さて、今さら言うまでも無いことなのだが、特に別館をご覧になっている方にはお判りかと思うけど、私は高橋留美子先生のファンである。
『うる星やつら』、『らんま1/2』、『めぞん一刻』、『犬夜叉』、『人魚の森』、『1ポンドの福音』、短編集に至るまでほぼすべての作品に目を通していると思う。「と思う」というのは、こと短編集や『人魚の森』となるとちょっと自信がないからだ。(ヲイ)
で、その高橋留美子先生なのだが、現在、週刊少年サンデーにて『境界のRINNE』を連載されていて、このブログでも何度か載せたけど、前作『犬夜叉』と比べると、思いっきり緩いし、でも、これまでのるーみっくわーるどとは明らかに違う展開が続いている。
ところが、今年に入って、休載が相次いだ。
1月に一度あったかと思えば、2月はなんと今週の10号の後、11号、12号と二週続けて休載するという。
これは正直言って目を疑った。
なぜなら高橋留美子先生は連載を休まない漫画家の鏡のような人だったからだ。
私の記憶しているところで少なくとも『らんま1/2』、『犬夜叉』は一度も休んだのを見たことがない。
『らんま1/2』が9年で『犬夜叉』は12年だ。その間に休載したという記憶がないのである。もし休載があったとしても年に一回あるかないかだろうし、連続となると本気で見た覚えがない。
それだけ、高橋留美子先生が休載するというのは私の中では相当ショッキングな出来事なのだ。
本当にどうしたのだろうか。
漫画家が休載する場合は二つしかない。体調不良か原稿が〆切に間に合わなかったのどちらかだ。
『取材のため』でお休みするのは、ほぼ間違いなく、原稿が落ちたと思って問題ない。たまに長期休暇を取る漫画家もいるけど、それは漫画家に執筆意慾が無くなったと見るべきだろう。
有名どころでは冨樫義博がそうだし、萩原一至も外せない。特に萩原一至の酷さは目を覆うほどで、たまに商業誌に下書きのままとかネームのままとか載せることもあった。よく、あれを掲載したと思うのだが、同じ雑誌に掲載されている他の作品に対してあまりに失礼ではなかろうか。


軌道修正


とにかく、ほぼ休まず連載を続けてきた高橋留美子先生だけに二週連続で休載するという今回のことは異常事態でないことを祈るばかりである。
年齢的に言っても衰えるにはまだ早いし、まさか『境界のRINNE』のあまりの緩さに緊張感が持続しないのだろうか、とも考えたりもしたのだが、元々、るーみっくわーるどはあの雰囲気の作品が多いわけで、『犬夜叉』が異種独特だっただけだ。
となると体調の問題だろうか。
もしそうであるならば心配だし、そうでないことを願うしかない。
2月24日の13号で、何事も無く、先生の創り出すキャラクターたちが誌上を所狭しと動き回る作品を拝見したいものである。
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今日は久しぶりにマンガオタクらしい話を。
と言うのも、週刊少年サンデーで好評連載中の高橋留美子先生の作品『境界のRINNE』にて、ついにメインヒロイン・真宮桜に対する恋敵かもしれない少女キャラが登場したからである。
まあ、主人公・六道りんねに対する恋敵に関して一度、フェイントが入ったので即断は禁物なのだが、今回のやり取りからすれば、今後、真宮桜の恋敵になる可能性はあると思っている。
ちなみに私は恋敵役に関して言えばかなり否定的で、なぜかと言えば、このタイプのキャラクターが登場すれば主人公ないしヒロインが必ず傷つく羽目になるからだ。マンガと言えど人の心が傷つくのは見たくない、というのが根底にあって、それが主人公だったりメインヒロインだったりすると余計にその気持ちは強くなる。
ところが、高橋留美子先生の描く恋敵と言うものには一つ特徴があって、主人公に対する場合と、ヒロインに対する場合で、その取扱いに雲泥の差が生じていて、主人公はボロ雑巾のように傷つくことはあっても、ヒロインが傷つくことは決してない。これは先生が女流作家だからなのかもしれないが、とにかくヒロインは手厚く保護される。
『うる星やつら』は元々のメインヒロイン役を途中がから変更したので性格設定が変えられなかったのでまだマシではあったが、『らんま1/2』で顕著化したと言っても過言ではない。アレは酷過ぎた。『らんま1/2』自体は嫌いではないが、恋敵に関するお話については本当に吐き気がするくらい嫌だった。あんなヒロインだったら主人公は絶対に他の女に乗り換える。しかし、高橋留美子先生の描く主人公はとってもヒロインに一途でどれだけ傷付こうが決して、ヒロインに当てつけることは無い。特に酷かったのは、主人公・早乙女乱馬に対する恋敵・響良牙が変身する子豚がメインヒロイン・天道あかねに抱かれていながら、天道あかねに対する最大最強の恋敵・シャンプーが変身する猫を早乙女乱馬に抱かせなかったことだ。それも猫恐怖症という猫嫌いという設定にしてあったものだからこんな卑怯なことはない。
それは『犬夜叉』にも受け継がれていて、ひょっとしたら今回は違うんじゃないかと期待した桔梗という、メインヒロイン・日暮かごめに対する恋敵でさえも、結局は恋敵にしなかった上に、なんと物語の途中であれだけ最重要キャラクターであったにも拘らず死なせたのだ。
いい風に解釈すれば、先生は日暮かごめ、桔梗の両ヒロインにどっちも捨てがたい愛情を抱いたので犬夜叉にどちらを選ばせるか決めかねたのかもしれないが、アレは無い。一番、卑怯な別れ方で、『タッチ』において、あだち充先生は否定するだろうけど、決めかねたから途中でキャラを死なせるという手段に出たとしか思えなかった。
その割には『らんま1/2』にしろ『犬夜叉』にしろ、主人公に対する恋敵はかなりの役得扱いになっているし、ヒロインに対する恋敵が登場した時に限り、周りは皆、主人公を敵視する。あの落差はなんとかならないものだろうか、といつも思っていたわけなんだけど、今回の『境界のRINNE』は今のところ、これまでとは違っていて、少し期待しているのだ。
何と言っても、六道りんねに対する恋敵・十文字翼は今のところ、完璧なまでのピエロ扱いだ。登場こそやや、二枚目風で六道りんねがモヤモヤした場面はあったが、以降、完全に三枚目役で背景になっているし、真宮桜に触れることさえほとんどない。ついでに、どこかで六道りんねをフォローする場面さえ見られる上に真宮桜も今のところ、六道りんねをかなり優先的に見つめているのだから、これは今までのるーみっくわーるどにはなかった傾向で見ていて面白い。もっとも残念ながら、六道りんねは真宮桜に対する恋心に気付いているのだが、真宮桜は今のところ友達以上でしかない。
そんな中で今週号で登場したのが、あげはという主人公の設定とよく似た女の子だ。
これは本気で楽しみで、まだどんな性格なのかは分からないけど、はたして本当に高橋留美子先生は変わったのか、それとも今までと変わらないのかの試金石となるはずである。
もしかしたら今回のファーストコンタクトだと六道りんねは(恋心で無いにしろ)あげはという少女に好意は抱くだろう。セカンドコンタクトにおいて笑顔で語りかける可能性は高いし、あげはも事情を知った上で六道りんねを味方につけようと行動する気がする。
それを見た真宮桜がどう反応するかに興味がある。
『らんま1/2』や『犬夜叉』ではメインヒロインは主人公に当てつけて不貞腐れた。今回はどうだろうか。不貞腐れるのは当然として、いやしかし、あの天然級の鈍さではもしかしたら最初は気付かないかもしれない。
そこを高橋留美子先生がどう表現するかである。
とにかく、ここまでは明らかに違う主人公とヒロインの二人だ。
しかも六道りんねは巻き込むことを憂慮して真宮桜に想いを打ち明けれらないでいる気持ちが先週号で表現されてしまっている。
さて、来週以降どうなるか。
本気で違うところを見せてほしいのだが、何せ、あの高橋留美子先生である。
半信半疑で見ることは必要だろう。
――の話題をしようかと思っていたんだけど、残念ながら見た夢を覚えていなかった。(笑)
寝てる時間を結構長く感じていたはずだから夢を見たと思っているんだけど、まるっきり覚えてない。
明晰夢なんて不可能とは言わないけど、というか昔は、たまにと言うか、年間365日の内、三十回くらいは見てた気がするんだけど、今では遠い思い出なのさ。
……おっかしぃなぁ。
初夢を見ようと思って昨日は11時に寝たのに。
一富士、二鷹、三茄とはよく言ったもので、でも、いまだかつて初夢じゃ見たことない気がする。


はてさて、昨日は本館でしたけど今日は予告通り、別館、るーみっくサイドの年賀イラストを展示しました☆
こちらですので、お気に召された方、右クリックで、どうぞお持ち帰りください。
それにしても今回は頑張ったなぁ、私。
どれだけの人が知っているかは解りませんけど、週刊少年サンデー繋がりで藤田日和郎先生著『うしおととら』より、干支ってことで、とらを使用していたり。
今年はジャンクイラストで行くって言ってましたので、こういうジャンクでございます。
しかも、あの髪の毛。あれ、全部イラストレーターで作成したのよ。結構手間がかかったぞ。
でもおかげで、少し、イラストレーターからフォトショップへラスタライズかけるときに、ふと思いついたことがあったんでそれを利用しましたところ、思った通りになったものですから、とらの背に乗せた彼女にも転用しています。おかげで少し、綺麗になりました。
んで、さらにその応用でひょっとしたら、ということも思い立ちましたので、次のハルヒサイドの年賀イラストでやってみようかと画策中。
うまくいけば、イラスト作成時間が1/3くらい短縮される予定なので、もしできるようであれば最近ペースの落ちてきた私には朗報なのだ。や、自己満足でしかないけど。


ところで話に出しました『うしととら』なのですが、今年、最初に読むコミックを意識して、この物語にしたのです。
もちろん干支繋がりですが何か?
でも久しぶりに読んでみると、さすがに藤田先生のデビュー作だけあって、作品にとてつもない勢いと躍動感を感じます。元々、藤田先生はそういう作風なのでございますが、でも『からくりサーカス』のときには正直言って、どこか勢いが失せたな、と感じていたんです。『うしおととら』に比べるとおとなしい、とでも言いましょうか。途中までは見てたんですけど、魂を感じなくなったというかこじんまりしたというか。まとめ過ぎている分、面白味を感じなかったのかもしれません。
『うしおととら』の豪快さが凄過ぎて、その印象が強いんですよね。あれを期待しちゃうと、どうも『からくりサーカス』は……(^^;)
おかげで今、確か、サンデーで新しい連載やってるはずなのですが、実のところ、読んでません。
でも漫画家さんたちって最初の連載には相当燃えるものがあるのか、その作品は今と比べるなら絵が稚拙だったり、ストーリーが安易だったりするんですけど、それでも最初の連載作品が一番面白いな、と感じることが多々あります。絵に魂が籠っていて引き付けられます。
だから、私は結構多くの漫画を読んできましたけど、鮮明に記憶に残っているのは高橋留美子先生なら『うる星やつら』だし、車田正美先生なら『リングにかけろⅠ』、荒木飛呂彦先生は『魔少年ビーティー』、ゆでたまご先生の『キン肉マン』、柴田亜美先生だと『南国少年パプワくん』、高橋陽一先生と言えば『キャプテン翼』といった、各漫画家さんたちの最初の連載作品だったりするんです。
もちろん、二作品目、三作品目も悪くはないのですが、最初の連載作品に比べると何かが足りないように感じてしまうのがなんとも物悲しいものがあります。


以上、今日は漫画オタクらしいお話でした!
というわけで、先週月曜日の続きです。
というのも、動画で「こうしてほしかった」というものがMADでありまして、実際の流れは、

なんですけど、前回も言いました通り、あまりに短い枠で流してしまって非常に残念だったわけですが、ホント、これくらいしてほしかったんですよね。

何度も言いますけど、視聴者はファンであり、また原作者の力の入り方が他の話とまったく違うのですから、その辺を留意してテレビ局は放送してほしいのです。制作会社はめちゃめちゃ頑張っているんですけど、今の劣化しきったテレビに本質を求めるのはもう無駄なのかもしれません。
視聴率を取れる取れないは出演者で決まる、なんて勘違いしているようですから。
しかも、国民がうんざりする内容=どうでもいい関心のない話を、あたかも重大ニュースのように流す姿はもはや、三流フィクション映画以下で、これじゃ国民のテレビ離れは進んでいくわな、と強く感じます。
地デジに変えるって話ですけど、画質の向上にテレビ局が作る番組のレベルがまったく付いていけそうにないので文字通り、宝の持ち腐れとなりそうな予感がしてきました。
視聴率は出演者で決まるのではなく、どれだけ視聴者を引き付けられる内容であるかに左右されるのであって、そこがテレビ局の腕の見せどころのはずなんだけど、いったい、今のテレビは何を考えているのでしょうか。そういうところがまったく見受けられません。
映像技術に関して言えば、日本のレベルは世界有数であるにもかかわらず、番組がそれを全然活かせないのだから、もはやテレビはエンターティナーとしての役割を果たしているとは言えず、単なる公共電波の無駄遣いと成り下がっています。


ニュース報道に限らず、他のジャンルでも碌なものが無くなってきました。

ただ悪ふざけするだけのバラエティ。
人の話を聞かない討論。
出演者の人気だけが目立ち演技が二の次となったドラマ。
正解者よりも不正解者の珍回答を取り上げるクイズ。
歌唱力無視のジャニーズを中心としたビジュアルだけで祭り上げる音楽。
原作をまったく把握せず決定回数内だけで流されるアニメ。
フィクションと自作自演が横行するドキュメンタリー。

全部が全部とは言いませんけど、こういうものが昔に比べて増えてきたことは確かでしょう。
TBSに至っては再放送と韓国ドラマばかり流して自分たちで何かを作ろうとすること自体、放棄しているようですし、昔、ソフトバンクがテレビ朝日を、ライブドアがフジテレビを買収しようとした姿勢は実は間違いじゃなくて、もし今、SBとLDがこの2局を乗っ取ってしまっていれば、コネに惑わされることなく独自のコンテンツを充実させていたのかもしれない、という気さえしてきます。楽天がTBSと提携しているようですが、所詮、楽天は読売と創価と外資で汚れているので、ますますTBSを没落させているだけみたいですけど。


テレビはもう娯楽の王様ではなくなったことを自覚しないと、今後、インターネットという媒体に確実に取って代わられることになるでしょうね。
何度でも言いますけど私はマンガオタクであってアニメオタクではありません。区別を付けてほしいことは前も言いましたけど、まあ、どっちにしろあまり変わらないように世間では思われているのがなんとも虚しいところです。
ホント、全然違うんですけどね。
さて、そんな私ではありますが、じゃあアニメをまったく見ないのかと言いますと、そういうわけでもなくて、自分がよく読んでいる漫画もしくはラノベがアニメになれば見ないこともなく、放映日分1回は見ています。
と言っても、何にでも例外はあって、現在、深夜アニメの中にるーみっくわーるどの一つ『犬夜叉――完結編――』が放映されているわけですが、『犬夜叉』に関して言えば、原作で見たいお話が放映されたときにだけ見ていますでしょうか。


ということでキャラ名やネタバレが出てきますけど、今日は『犬夜叉』のお話。
と言うのも、ついに単行本47巻の『落日』と『光』が放映され、私自身、『犬夜叉――完結編――』が始まる前から必ず見ようと思っていたお話の一つです。
ちなみに、私は別館で、桔梗という巫女を目の敵にしている『メインヒロイン・日暮かごめさえ幸せなら主人公・犬夜叉も幸せ』スタンスの犬かご派という王道カップリングの方に関して言えば、強烈に批判的でアンソロノベルの中にも、あたかもそういう人にケンカを売っているようなお話があります。なぜ批判的かと言いますと、そういう人たちは、例え日暮かごめが犬夜叉を傷つけて傷つけてどん底に叩き落してもオチで日暮かごめが犬夜叉に手を差し伸べてハッピーエンドでOKという人たちだからです。前に何度も言いましたけど、高橋留美子先生は女流作家の方で決してヒロインを傷つけることはありません。『犬夜叉』で言えば、犬夜叉が日暮かごめを傷つけるシーンは一度もなく、それらしきものがあったとしても、即座に周りのキャラクターたちが日暮かごめのフォローに回って犬夜叉を責め立てます。ついでに日暮かごめに対する恋敵として登場させたはずの桔梗は、まったく恋敵としての役割を果たすことはなく、むしろ日暮かごめ以下、犬夜叉の仲間たちが勝手に勘違いしているような風で、しかも犬夜叉が桔梗を気遣うときは決まって、桔梗が命の危機に瀕した時だけで、それ以外では触れることすらしていないし、甘い話は一つもなく、いつも戦いに対する深刻な打ち合わせのみ。これのどこが恋敵だというのか。何の意味もなく日暮かごめにベタベタする犬夜叉に対する恋敵・鋼牙の方がよっぽどタチが悪いとしか言いようがありません。
んで上記犬かご派と呼ばれる方々はありのままに判断することができず、犬夜叉が他の女キャラと話すことすら許さないという、まあ言ってみればヤンデレに近いものがありますので、その考え方に賛同できないんですよね。


とと、話が思いっきり横道に逸れましたので軌道修正。


さて、『落日』と『光』が放映されたわけですけど、正直言って、このお話は時間を取ってほしかったです。確かに20巻分を全28話で放映しなきゃいけない苦しさはあるでしょうが『落日』と『光』は原作シーンベスト10に名を連ねる名作で、これを他の話同様の流し方をするのはいただけませんでした。せめてこの2話で放送を組んでほしかった。
なぜなら、『犬夜叉』を見る大半の視聴者はファンと言っても過言ではなくて、ファンが待ち望んでいたお話をさらっと流すことは視聴者に対する冒涜であり、テレビとしてはやってはいけないことだと思うからです。
確かに犬かご派と呼ばれる方は多いですけど上記犬かご派が全てってわけじゃなくて、ファンの中には犬かご派でも『光』は受け入れると言う人も少なくないし、別のCPや別のキャラクターに愛着を持っている人は純粋に『落日』と『光』に涙したんです。また、原作において、おそらくは高橋留美子先生の力の入れ方が他の話と違っていたお話というのもこの二つのお話でした。その他で力が入っていたと思ったのは18巻の『出会った場所』、『かごめの心』、38巻の『風』です。
『出会った場所』、『かごめの心』は第一期で放送されましたけど、その時はがっちり制作側にも力が入っていました。それが伝わってきました。
それだけに『風』、『落日』、『光』の流し方は残念でした。
それでも制作側はちゃんと分かっていたのか、『落日』、『光』を決められた枠内でいいものに仕上げようと、わずかながらもオリジナルも挟み、制作側の苦悩と思いやりを感たのは嬉しかったと言えば嬉しかったです。でも、もっと時間を取ってほしかった。今回のお話のラストシーン、桔梗が天に還るシーンで浜崎あゆみの『Dearest』が流れたときは、スペシャル『めぐり逢う前の運命恋歌』の桔梗が一番幸福を感じていたシーンで使われ、これからの明るい未来を連想させるように流し、今また、最後の最後に桔梗が一番幸せを感じているときに使うという最高の演出だっただけに、本当にもっと時間を取ってほしかったです。
原作で『光』にはキスシーンが挟まった時は、私はそれに違和感を感じたんですけど、アニメは演出の仕方が良かったのか、自然に見ることができ、もっと長ければきっと涙ものだったような気がします。残念ながら涙がこみ上げる前にお話が終わってしまったようでしたが。


最近のテレビの劣化をこういうところにも感じて、抑えるべきところを抑えずして、ただ枠に流しさえすればいい、というのは如何なものか。
本当に視聴者が見たいのは何か、求めているものは何かを見極めることができないところに、テレビが自分たちで番組を作れなくなっていることを暴露してしまっていて、報道番組のみならずドラマやアニメ、ドキュメンタリー、音楽、トークも劣化の一途を辿っていることが容易に想像できます。
今現在、インターネットという媒体が登場し、情報が溢れ返っていて視聴者の目も肥えています。それに応じた番組を作らないとテレビ業界のお先は真っ暗なことでしょう。
前回、私が二次創作の話をしたときはちょっと否定的に書きました。二次創作は原作者の心労を察するに、相当の重圧になることは私自身の体験で少し分かる気がしていますから。
でも、二次創作がファンとして執筆や漫画を描く趣味を持っているなら、それはそれでやっぱり楽しいものでもあるのです。


なぜならば。


答えは簡単。と言ってもどれだけのアンソロクリエイターが感じているかは解りませんけど、私自身は、ある意味、夢を叶える行動、、、、、、、だから、と思っています。
誰しもが一度以上、考えたことがあるのではないでしょうか。
自分が好きな漫画やドラマ、アニメ、小説といった、架空世界ファンタジーワールドに自分も登場したい、と。
もちろん、夢と現実の間には絶対に越えられない境界線があって、自分が登場人物として自分の好きな物語に登場することは、今の時代では絶対にあり得ないことなんだけど、でも、誰もその夢、というか欲求は捨てられるわけがなくて、頭では否定しつつも、心の奥底では『その時』が来るのを願ってやまないんだと思う。もちろん、私もそう。
ただし、それは自己満足で終われるわけもなく、やっぱり誰かに知ってもらいたいという気持ちもあって、その結果、好きな物語を自分の思い通りに描く、言わば、自分を登場させて作る世界、それが『二次創作』なのではないでしょうか。
だから、自分の気持ちが薄れない限りはずっと続けるし、興味が薄れてくれば離れていく。
そういったものだと思います。
自分が好きだった作品から卒業する、それは何も後ろめたいことでもなんでもないし、泣くことでもないのは当然で、しかし、誰かが卒業すれば、また新しい誰かがその物語に夢を追いかけ始めます。
そう考えると、二次創作とは原作が終了しても永遠に受け継がれ、また続いて行くんだろうなぁ、とか考えることがあります。
原作に何を求めるのか。
それはカップリングだったり、近未来だったり、主要キャラではなく脇役だったり、と人それぞれでしょう。
ちなみに私の場合はパラレルファンタジー。原作の雰囲気を残しつつ、原作のキャラクターたちを原作の舞台から違う舞台へと運んでしまうことでしょうか。(笑)


私はいつも思っています。
趣味は楽しくなくちゃ意味がない。そこに煩わしさや苦しさを感じ出したら、それを続ける必要はないことでしょう。趣味は苦痛に感じちゃいけないからです。
だって苦痛はストレスを生み出す。でも『趣味』というものは精神状態をプラスマイナス0に持っているけるものですから。
趣味で発散できて、しかも夢を叶えることができるもの。
それが二次創作の素晴らしさ、だと思っている私は今日も、頭の中で何かを考えているのかもしれません。
ずいぶん、久しぶりに三日連続でホビーというか私の趣味のお話でございます。
政治ネタが無くなったとか新聞に対する文句が無くなったとか、そんなんじゃないんですけど、私はオリジナルと並行して二次創作をやっているわけで、最近、ハルヒ関連のハルヒスレSSまとめ Wiki*とか涼宮ハルヒのSS in VIP@Wikiとか見てましたら、なぁんとなく2007年6月1日に発売予定だった『涼宮ハルヒの驚愕』が今年も正直、リリースされそうにない理由が見えた気がしたんですよね。もちろん気のせいかもしれませんけど、よく噂されている①95%出来上がっているんだけど最後の詰めができていない②角川が出し渋っている③角川と谷川流先生の間で何かあった④谷川先生の執筆意欲が失せた、などなど言われていまして、でも私的には実はこの内、3つは理由じゃない気がしてきています。
①に関して言えばもう誰も信じないでしょう。残りの5%で三年も唸っているなんて誰も思いません。執筆趣味の人間であればよくわかると思うのですが、クライマックスシーンからエピローグは一番力が入るんです。ここでやる気が失せる人はまずいません。もしいるとしたらクライマックスシーンを考えていなかった、、、、、、、、、、、、、、、、、、、以外の理由は存在しないことでしょう。だとしたら本末転倒です。投稿始めの素人じゃなくてプロなんだから。話の構成を組み立てるのは基礎中の基礎です。それを疎かにするプロなんて聞いたことありません。ましてや週刊連載やってるんじゃなくて、長編の後編なんだから考えていないなんてあり得ないでしょう。
②は、なんとも説明ができません。出し渋っている理由が主要キャラの誰かが死んでしまうから、とか、シリーズが終わってしまうから、とかもちょっと考えられません。まず主要キャラを退場させるのは相当勇気が要ります。なぜなら『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズはスニーカー大賞2003年以来ですので主要キャラとは5年以上の付き合いです。しかもみんな(変な肩書はあるけど)現代の高校生という設定。生死をテーマにしようとするならもっと現実離れした場所でないといけないでしょう。シリーズが終わると言ったって、涼宮ハルヒシリーズはもうすでに半分ビジュアルキャラクター化して小説よりもキャラの方が売れているところがあり、シリーズが終わってもさほど商売に影響するとは思えないです。
私は③を一番有力視していたんですけど、でしたら3年も谷川先生が角川に居るはずもなく、とっくにどこかに移籍していてもおかしくないわけで、これも無理があります。
そして④でございますが――
『やる気が無くなった』とかじゃなければ、これが一番しっくりくる可能性が出てきたんじゃないかと。
というのも私自身で経験があって、実のところ、自分のオリジナルを誰かに二次創作してもらった時というのは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、初めて見たときはとっても嬉しいんですけど、ちょっと時間が経つだけで言い知れぬプレッシャーになる、、、、、、、、、、、のです。
たとえば私のオリジナルを二次創作してもらったモノとしては、イラストとして、

五條さやか先生作


五條さやか先生作


砕葉さん作

プラス2点あるんですけど、もう二つはラノベキャラの方なので今回は本館看板娘の方の紹介ということで、というわけなんですが、まあイラストは正直プレッシャーになりません。イラストは個性の象徴でありそこに上下は存在しないと思っていますから。
でも、3点とも私より巧いけど。まあ仕方ない話で、五條さやか先生は本職の方ですし、砕葉さんも専門にやっておられる方ですから。
ただ、オリジナルラノベの二次創作はマジでプレッシャーになります。嬉しいことは嬉しいんですよ。それはもう天に昇る気持ちなくらい。
でもですね。
原作者として二次創作に負けるわけにはいかないんです、というと大袈裟になるかもしれませんが、それに近いものがあって、二次創作以上のストーリーを考えなくちゃならない使命感見たいなものが芽生えるのです。
これはもう、5年ほど前になりますけどネットの友人に作っていただいたお話で、
Fusion Magic外伝
というものがありまして、これを読ませていただたときに、まず思ったのは当然嬉しいという気持ち、そして次に湧いた気持ちが「このお話に出てきた武器よりも強い武器を作んなきゃいけない」でした。
なぜなら、少し設定を言いますと本館オリジナルラノベFusion Magicに登場するヒロインの一人は超天才発明家ということになっており、二次創作で登場したキャラクターは当然、このヒロインよりも劣っていないといけないわけで、となるとそのキャラクターが作り出した武器よりも強い武器を出す必要性が生じるわけでございます。じゃないと世界の設定が狂ってしまいますから。なぜなら、こっちが『主幹』ですからね。
その結果、生まれた話がこちら
というわけで、私はいいですよ。所詮、素人でオリジナルを二次創作していただけるなんて僥倖はそうそうない、というかほとんどないですからプレッシャーも弱いものです。
ですが、本職作家となるとどうでしょう。
二次創作は文字通り、作家の執筆ペースをはるかに上回るペースの数ででネットを通じて発表されていくわけで、もちろん原作者も見たことない、なんてことは今の時代、言えないでしょうから、その中に自分が考えていた話がいくつも数多く氾濫していたらどう思うでしょうか。
ないとは言い切れないのは、二次創作をする大半は当然、その物語のファンなわけで、「この先生ならこうしそうだ」とか考えて製作する人も少なくないでしょうし、結果、それ以上の展開を作り出さなくちゃいけないわけで、そのプレッシャーを想像するに、これは桁外れのものがあることでしょう。
ど素人の私だってオリジナルを二次創作してもらったときに感じたのですから、プロならなおさらかと思います。
『涼宮ハルヒの驚愕』がリリースされる可能性があるとすれば、私は(新作が含まれていましたので)アニメ終了後と踏んでいたのですが、残念ながら、そこはスルーされました。
もうひとつの可能性は来春の劇場化に併せて、でしょうけどはたしてどうなるでしょうか。
リリースされなかったときは、いったい、どのタイミングで発行するのかがまったく想像できません。
その昔、『ロストユニバース』という神坂一先生の作品が3巻目をリリース後、3年後のアニメ化まで4巻が出なかったことがあったんですけど、はたして谷川流先生はどうされるつもりなのやら。
と言うほど大袈裟なものじゃありませんけど、本館別館ともにライトノベルを展示している私は、前にも言いましたが、恋愛絡みの甘い話は書けなくて、連載終了後の近未来パラレルものも不得手でございます。
や、別に嫌とかはまったくなくて、つか、見る分には大好きなんだけど自分が作る分に関して言えば、どうにも性に合わないのか、何度かやろうと試みて、終わってみれば結局、冒険ものに走った挙句、甘いお話はさらっと流して余韻を持たせる程度か一息つける程度のものにしかなってない現実があるのでございます。


唯一、完全恋愛話になっているんじゃないかなぁ~~~というのは別館のこのお話だけでしょうか。
めぐり逢った運命恋歌
それでも定番のキスシーンとかは無くて、というか私自身がキスシーンという恋愛としてあまりに分かりやすい展開を好まないといいますか、極力表現しないように心掛けるか、結局はキスシーンは表現しないかになります。
何度も言いますが見る分にはノープロブレムなんですけど作る分にはどうにも抵抗が激しくて。(^^;)
んで、近未来パラレル、すなわち連載終了後の話も、これも前に言いましたが、原作が終了すると同時に、その後の世界というのがどうにも想像できなくてほとんど書くことはございません。
別館に二つほどありますけど、でもこれもどちらかと言えば並行世界と言えないこともありませんでして、特に『らんま1/2』は完全に連載終了後というよりは連載中の二次創作っぽくなっております。あ、でもこれってちょっと恋愛ぽくね?(笑)
『犬夜叉』の方はまだ近未来っぽいこともないですけどオリジナルキャラを出しておきながら最終回設定の延長線上でしかありません。
らんま1/2
選択


原作世界が基本でございますから、その世界が最終回を迎えると、世界自体も終わってしまうと考えている節がありますから。


まあ、それはそれとして、上記は書けない、、、、タイプのお話でございまして、もうひとつ、私は意識して書かない、、、、タイプのお話があります。
実のところ、本館別館ともに『死』をテーマにしたお話はございません。一つだけないこともないのですが、これは本館のこのお話を作る前にすでに決まっていた設定でしたので、作らざる得なかったのですが、それ以外では決して『死』をテーマにしたお話はないはずです。
当初、本館のこのお話を『死』をテーマにしようと考えたのですが、途中でやめました。
心を救うため
何と言うか、生理的に『死』は受け付けなかったんですよね。だからなんとか一人のキャラクターを助けようと奮闘し、結果、そのキャラは今でも生き続け、最近では別館でも登場するようになっております。(笑)
でも、これでよかったんだと今は素直に思えます。だって、お話が続けられたから。
んで、私が決定的に『死』をテーマにしなくなったのはこの作品をとある方に見てもらってからです。
Dead or Alive
4年ほど前にとあるサイトの「ごめんなさい」で始まって「ありがとう」で終わる話という企画に参加した時のお話で、この後、実のところ、このお話をプロの編集者にも見てもらってことがあって、その時は「長いの書いてみてくれない?」とまで誘われたんですけど、残念ながら時期が悪くお流れになってしまった経緯があったりします。
夢を掴む時というのはタイミングってあるなぁ、って感じましたよ。
で、このお話を編集者さんに見てもらう前に、本館イチオシの漫画家・五條さやか先生に見ていただいていたのですが、その時の返答に、高評価をしていただいたんですけど、その中に「私なら」という注釈つきで今でも私の心に刻みつけられている言葉がありました。

「『死』をテーマにするのは重過ぎて表現するのは難しい」

言われて、私はハッとしましたよ。
確かに『死』は重いもので、この別れはもう二度とその人に逢えないことを意味しますからね。どんなに望んでももう二度と叶わない、を地で行く事象ですからこれを安易に表現することはできない、それほどまでに辛いことなのだから表現のしようがないことなのだと。
今でも本気でそう思っています。
だから、私は今後も自身のテーマとして『死』を取り扱うことは無いでしょう。
色々なSSサイト様で『死』をテーマにした作品は見かけますが、もちろん、そのSSクリエイターを批判するつもりはありません。すばらしい作品であることは疑いようのないことなのですから。
あくまで私として『死』は取り扱わないということです。
ですから、私はその逆を、『生』をテーマに描き続けていくつもりです。『生きてさえいれば』を念頭に『命あふれる作品』を作りたい、と考えております。


今後、サイトのラノベが増えていったとしても『死』をテーマにすることは無く、文章から『躍動感』を感じるお話が作ることができれば、という気持ちは執筆趣味が続く限り持ち続けたいですね。
今から何年前か、なんてことはたわいもないくらいどうでもいい話なのだが、私がまだいたいけな少年時代だった頃に、テレビゲーム『ファミリコンピューター』が爆発的に売れ、今ではDSとかWillが有名なんだけど、当時の任天堂と言えば『ファミコン』でした。
ファミコンと言えば多種多様とまではいかなくても、当時のゲーム機としては画期的に細かい動きとか音楽が綺麗で、むろん私もご多分に漏れず夢中になっておりました。
有名どころだとDQとかFFとかでも、誰しも、『自分』が夢中になったゲームというものは存在していて、私は特にシューティングゲームが好きでした。
一番、どっぷりはまったのはこれですね。

当時、小学館『コロコロコミック』主催で全国キャラバンってことでゲーム大会も開かれたりして、私も参加してきましたけど無念の予選落ちでした。(^^;)


でも、だからといって止めたわけでもなく、大会が終わってからも一生懸命やって、たぶん、一年くらいやってたんだけど結局クリアできずじまいで、今、ずいぶん経ってこういう動画を見ると懐かしさとともに、当時の気持ちが盛り上がってきて、本気でファミコンとかゲームとか買おうかな、とか考えないこともないです。
職場でも、ファミコン世代が当たり前で、時々盛り上がれるんですよね。(笑)


もう二度と、あの頃には戻れないんだけど、気持ちだけでもあの頃に戻りたいかもね、などと考えないこともないです。
つーわけで数週間前に引き続き、休みの日はドラクエ7三昧の私でございます。正直、ブログを書く前にやるのは本当に止めておいた方がいいくらい、ブログを書くのが億劫になっちゃいます!(コラ)
前回はドロップアイテムとか移民村に精を出していたんだけど、今はモンスターの心を狙い撃ちにしてたらますます止めらんなくなっちゃって。(ヲイ)
数年前にやった時はモンスターの心を獲るのを相当面倒臭がったのに今回はどうしちゃったんでしょうね。
変なスイッチが入っちゃったようです。
つーわけで休みの日のブログはたぶん、こんな感じ。
新作イラストはすべてDQ7終了後になりそうで!
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