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昨年末の総選挙を受け、馬鹿な国民の馬鹿な国民による馬鹿な国民のための馬鹿な政府が誕生したわけだが、その一方で最後の実力者と言われ、11月に晴れて無罪放免を勝ち取り、大手を振って表舞台に出てくるのではないかと思われた小沢一郎は、結局最後まで出てくることはなく、日本未来の党の嘉田氏を前面に立てて、どことなく裏方に回る振りをして表舞台に立つことがなかったことが印象に残ったわけだが、これをマスゴミは「小沢の時代は終わった」と囃し立て、それを賞賛する馬鹿国民が多数いるのはなんとも、文字通り「馬鹿馬鹿しい話」である。
まったく持って70年前と同じ。
戦争万歳を叫んだ国民を彷彿とさせる現在の日本国民なわけなのだが、もう一回焼け野原になったとしても、半世紀も経てば元の木阿弥になるような気がしてならない。
とと、話は逸れてしまったがはてさて。
表題の通り、小沢氏が日本を見限ったのではないか、という理由が、今回、表立って出てこなかったことにあるような気がしてならない今日この頃である。
もし氏が本気で日本再建を目指しているなら、堂々と表舞台に立つはずなのだが、選挙で惨敗した後に生活の党の代表に就いたところを見ると遅きに失した感は拭えないし、日本を再建する気がなさそうな感じがしてならない。単に今年夏の参院選のための体裁作りにしか見えないのは私の気のせいだろうか。しかも、この参院選で敗れれば「責任を取る」形で代表を退く腹積もりのような気がするし、それも碌に党として選挙運動することなく、小沢氏らしからぬ敗戦の道を選ぶのではなかろうか、という疑念さえ抱いている。なぜなら本人は次期衆院選までは国会議員でいられるわけだし、年齢的にも次回の衆院選に出馬せず政界引退の道を選んでも何の不思議も無い。ついでに氏は心臓に疾患があるわけだから、辞める理由としても真っ当なものである。




つまり。小沢一郎氏は既に自分の老後から人生の幕引きまでを見据えて活動し始めた、と見ても良いのではないかと思う。




こう書いて。
しかも、小沢氏がその通りの行動を見せたとき、小沢信者は「小沢氏は日本を見捨てたのか」とこれまでの支持を翻してシュプレキコールをあげることだろう。
しかし、その行為は間違いだ。
なぜなら、前にも言ったが、小沢氏は神でもなければ聖人でもない一人の人間なのである。
『人間』としての小沢一郎氏であれば、今後、私が予想した行動をとっても不思議は無い。
考えてもみてほしい。
1993年に将来を確約されていた自民党を飛び出して。
以後20年もの間、日本を何とか自立国家にしようと躍起になって。
小選挙区導入を始め、断固たる決意で官僚支配の打破を目指し、冨の国民還元体制を作ろうと奮闘した結果はどうだったか。
既得権を破壊されることを誰よりも嫌った官僚と官僚が手をまわしたマスゴミからの謂れのない大バッシング。
そしてそれに群がり、何の検証もせず、すべてを鵜呑みにする愚かな国民たちからの嫌悪の視線。
しかも最後には難癖とでっち上げとサクラによって犯罪者扱いされた上に裁判にかけられて、それも無罪放免だったにも拘らず、マスゴミの扇動を真に受けた馬鹿国民から「それでも真っ黒の政治家」というレッテルは拭われなかったのだ。
そんな『国民』のために、誰が働きたいと思うだろうか。
少なくとも自分自身に置き換えてみれば分かるだろう。自分だったらそんな『国民』のために働きたいと思えるのか? そうじゃない国民もいる、と主張する人もいるかもしれないが、圧倒的大多数の国民は調べもせずにただただマスゴミの扇動を真に受けて『小沢=巨悪』と思い込んでいる大馬鹿者なのだ。多数決が世の常とするのであれば、少数派(マイノリティ)の小沢支持者の意見の方が通らないのは自明の理でしかないのだ。それならば小沢氏ではなく馬鹿な国民の側に非難の矛先を向けるべきではないか。
だから、小沢氏だって、もう嫌になっていてもおかしくもなんともない。
「こんなに頑張っているのにどうして理解されないんだ」という意味ではない。
「アホくさ、何でこんな国民のために頑張らなきゃならんのだ」という意味だ。
よって、小沢氏が日本を見限って残りの人生を謳歌する道を選んだとしても、それは仕方が無いことなのだ。
なぜなら、そうさせてしまったのは大多数の日本人が原因であり、小沢氏に責は無い。少なくとも私はそう思うし、事実、この話をしたら、周りのお馬鹿B層は「小沢は自分のことしか考えていない」と批判した。
本気でアホかと思う。
これまで、どれだけ自分たちのために頑張ってきてくれたかを知らずに難癖を付けてきたくせに何を言っているんだと思う。
これまで、小沢氏をバッシングした連中が選んだ正反対の政権が自分たちに何をしてきたが見えてないんじゃないかと思う。
要はこういうことだ。
日本国民は真性のドMで虐げられる方を選ぶような民族なのだ。
富の還元なんてもっての他、むしろ全財産を搾取してください、とさえ思っているような民族なのだ。
ならば、小沢氏のような人材は受け入れられなくても仕方ないと言えるし、小沢氏も、2009年から今回の選挙を鑑みて、それを確信したがために、もう、国民のために働く気は失せたとしても何の不思議も無い。
私自身は小沢氏が日本を見限り、老後の生活を考え始めたとしても、それを悪く言うつもりはまったくない。
むしろ、これまで、あんな仕打ちをされていたにも拘らず、よくぞ身を粉にして頑張ってくださり、ご苦労様でした、と労う気持ちしかない。
小沢氏も残り少ないであろう人生を、これからは自分のために使ってもらいたいと思う。
と言うか、私自身、こんなボケ国民のために身を削る必要はまったく無いとさえ思っている。


さて、最近、ネット上では先の衆院選に不正があったとかで話題になっているようだが、それがあったかどうかは知らんけど、それを含めても日本の国民が愚かであることには変わりは無い。仮に不正があったとしてもそれを正すことなく「諦める」と言う言葉か「知らなかった」という言葉を使って受け入れるだろうから結果は同じだ。
どっちにしろ、知る権利や表現の自由、基本的人権の保障すら奪われていることに気づいていない以前に気付こうともしない国民なのだから、馬鹿は死ぬまで直らないと諦めて(、、、)、海外移住の道を選ぶ方が賢いのではなかろうか。
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久しぶりにプロ野球の話。
キャンプインまでまだ3週間ほどあり、現在は自主トレがメインのプロ野球なわけだが、実のところ、私は昨年11月に中日ドラゴンズを応援するのをやめた。
生粋のファンからすれば「応援するチームを変えるのはおかしい」とか謂れのない非難を受けることが多々あるのだが、私からすれば、自分の意にそぐわない球団を応援するのをやめて何が悪い、という心境である。
まずもって、私が応援する基準は何かとと問われれば、真っ先に挙げるのは「優勝=日本一」を目標に掲げているかどうかである。
この基準に照らし合わせれば筆頭は読売ジャイアンツになるんだろうけど、もう一つ、大事なのは「球団に魅力があるか」であるからして、この点で巨人は私を惹きつけるものは何もない。別に巷で言われているような裏金とか囲い込みとか強奪とかいった負のイメージが理由ではなく、この選手を見たいと思わせる選手がいない、ただそれだけである。
去年の巨人は確かに完全制覇を果たしたわけだが、それでも『この選手』は私からすればいなかった。よく阿部と言う名前を聞くが、はっきり言ってそんなに凄い選手とは思わない。
まず数字は、打率.340、本塁打27、打点104。
これは特筆すべきほどの数字なのだろうか? 2003年の福岡ダイエーホークスにはこういう選手が4人いたし、2002年の松井秀喜が.331、50本塁打、108打点打ったわけだが、それと比べても思いっきり見劣りする。
『打つイメージ』があるらしいが、飛ぶボールと東京ドームの恩恵を受けていた数字に何の意味があるのだろうか。こう言うと松井や2003年は飛ぶボールの恩恵だと思われるかもしれないが、セ・リーグの飛ぶボール導入は2004年である。当時、既に松井は海の向こうにいたし、この年、彼は『メジャー仕様球』で30発打っていたし、メジャー在籍10年弱でケガで出られなかったシーズン2年を除いても、5度20本塁打以上放っているのだ。このことからも松井は(日本基準とは言え)本物のスラッガーだったことは明白なのである。そしてホークスダイハード打線についてだが、いくらなんでも『飛ぶボールの恩恵』だけで、チーム打率.297、100打点カルテットは誕生しない。だから松井が日本にいた当時、6億もらっていたのなら阿部は半分以下でないと辻褄が合わないのに、昨年「松井を越えるか」とか話題になっていた。どこに松井クラスの価値があるというのか、ってことになるし、数字自体にどこにも目を見張るものは何もない。
また、打者としてはもちろん、捕手としては三流以下が阿部だ。阿部のリードミスで投手が滅多打ちを喰らう、というシーンは毎年恒例で、せいぜい肩が良いくらいだろうか。それはすべて投手の責任にされていたが、打たれるのは投手の力量よりも捕手の責任の方が重い。というわけで、私には阿部のどこに魅力があるのか皆目見当もつかない。
これはマスゴミが誇張して喧伝するから過大評価されているとしか思えない。同じことは去年の巨人にも言える。
以前、とあるサイトで(とんでもない言いがかりだと酷評されたが)「巨人が何年か優勝から遠ざかると急に各球団は巨人に遠慮して優勝させようとする」と書き込んだことがあったけど、これと同じことが去年起こっていた。
よく耳にしたのは「巨大戦力」。
大型補強に成功して、他の追随を許さないくらいの戦力が整った、と言われていたわけなのだが、私個人の意見としては「そうかぁ? いくらなんでも誇大し過ぎだろう」と思っていたんだけど、それが毎日繰り返されたばっかりに他球団にそれが刷り込まれてしまって、ちょっとでも勝ち出すと、「もう手に負えない」などという言い訳を用意して、巨人に勝たせたシーズンとなってしまった感が強かった。それはシーズン始めの巨人の躓きを見れば十二分に分かることだし、目を見張る成績を収めた選手が誰一人いないのはもちろん、シーズン通して、『レギュラー』で出ていた選手など一人か二人、三人いただろうか、なんだから「巨大戦力」には程遠いと言える。
ついでに言えば、『目を見張る成績を上げた選手』がいないのはもちろん。30本塁打以上はいない。100打点以上も一人、15勝以上も一人。セーブ王はドラゴンズの岩瀬だ。どこが『巨大戦力』だと言うのだろうか。『巨大戦力』と思い込んだ連中はちゃんと分析しろ、と言ってやりたいほど、現実を見ていないし、妄想を現実と勘違いしている節がある。


さて、話は思いっきり逸れてしまったが、私がドラゴンズファンをやめた理由はチームとして優勝を目指していないことが明白になったから(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)である。もちろん、中日球団の球団運営のやり方に反吐が出ることも原因の一端ではあるが、優勝を目指していないのは高木守道監督のやり方を見れば一目瞭然だからだ。
とても優勝を目指している監督の指揮とは到底思えないタクトを振り方をし続けていたというのは、とあるサイトのBBSで理屈と屁理屈の違いも理解できないタニマチ側の人間の、大幸四丁目とかいうボケナスが代表格と言える数字データのみを振りかざす底の浅い頭でっかちで薄っぺらの成績度外視、観客動員においてもファンとサクラの区別もつかないようなボンクラ自称生粋ファンを除く、大多数のドラファンの一致した見解なのである。球団や監督がこれでは応援する気がどんどん失せていく。それはCS第1Sの第3戦の観客数に明確に表れたわけなのだが、それを認めようとしないほど醜悪なのが上記ファンの特徴でもあったし、こういう連中が増えてきたというかまたぞろゾンビのように蘇ったとでも言おうか、応援する気がないくせにタニマチに媚を売るためだけに応援している振りをしているだけのクソ野郎どもが増殖してきたことも私の純然たる応援意識を奪ってしまったも要因の一つと言えよう。
とと、また話が横道に逸れてしまったので、元に戻して。
てことで、去年のコネ選手重用起用、選手の体調管理無視、練習軽減という名の行き過ぎたファンサービスとは呼べないファンへの媚びへつらい。
そのすべてが一昨年の落合監督退任による観客動員減少を分かっていながら、それを覆い隠すための行動だと、結構、実質を見抜く目を持つと自負する私の見え方でしかなったから応援する気が萎えたのである。
それは、CS第2S第4戦以後は言うに及ばず、シーズン中にも「この試合は絶対に落としちゃいけない」という試合を「待てこら、何で昨日までの良い流れをぶった切ってやがんだよ。こんなんじゃ勝てるわけがないだろう」という落とし方をしまくっていたことで顕著に現れていた。昔の「打倒巨人絶対主義」を掲げていながら、実質は引立て役を率先して全うすることに全精力を掲げる万年Aクラスのぬるま湯体質に逆戻りして、ファンよりも地元のタニマチ重視の様が鮮明になったがために私は本気で応援する気が失せたのである。
とは言え、選手たちに罪はない。
堂上剛裕、平田、吉見、浅尾といった選手たちは出てくるだけでわくわくするし、大野、岩田、山内という若手投手陣も見ていて楽しくなる。荒木井端の二遊間のプレーや谷繁のリードはプロの醍醐味を教えてくれる。これからも彼らのプレーや成長は見てみたいと思うが、ただ、チームとして優勝する気がないチームを応援するつもりはない。それは2003年オフに日本一になりながら主砲を無償放出などという言語道断の悪行を仕出かしたダイエー球団を彷彿とさせるゆえ、応援する気がまったく沸かないのだ。『勝利』を目指さないチームに『勝利』を望んだところでその声は決して届くことは無い。だから『勝利』を懇願して応援している私からすれば歯がゆくてストレスが溜まるだけなので、それなら応援しない方がよっぽどいいと思う。情緒的にもそれが一番だと思う。


では、今年からどこを中心に見ようかと考える。
実のところ、今一番、チームとして魅力を感じているのは横浜DeNAベイスターズなのだ。
このチームは、今は万年最下位チームでしかないが、捕手さえ何とかなれば、とてつもないチームに変貌する力を秘めているし、楽しみな若手捕手も結構いる上に、経験豊富なベテラン捕手が健在なのだ。
加えて、ブランコ、筒香の長距離砲、国吉や加賀、高崎あたりは大化け雰囲気を醸し出しているし、山口のスピードボールは本当に凄い。これにノリ、ラミレス、多村のベテラン勢や荒波、石川といった若さ溢れる選手が台頭してきていて、このチームこそ、将来の「巨大戦力」に見えるのだが、如何せん、このチームは監督とGMが読売の手下なので、大事な局面では間違いなく、巨人に勝ち星を献上するのが見えてしまっている、つまりは、本気で優勝を目指しているとは思えないから、まだ応援する気が沸かない。
ちなみに、巷で噂されている話で前ドラゴンズ監督の落合氏がベイスターズの監督に就任することに関して言えば、私は実は反対なのだ。
ドラゴンズは落合氏の目指した投手を中心にした守りのチームに最適なチーム状況だったからこそマッチしたが、ベイスターズは1998年~2003年の福岡ダイエーホークスタイプのチームなので落合氏よりも梨田氏の方が適任だと思う。DeNAはさっさと高田GMを切らないと本当に強いチームを作ることはできないわけなのだが、それは分かっているのだろうか。今年の補強姿勢を見るとTBSが親会社のときとは違って、球団運営する気がありそうなのだから、その点は是非、考慮してほしい。
てことで、ここは無難というと失礼だが、どんな状況であれ「世界一」を目標に掲げる福岡ソフトバンクホークスを中心に見るのが一番だろうか。
それとも、今年はプロ野球をだらだらと見るだけにして、BCリーグ・石川ミリオンスターズの独立リーグ日本一を目指す戦いを応援しようか。
今年は本当に難しい。
この選挙が決まった時点で私は最悪の政権が選択されると言い切った。(過去最低ではなかったようだが)投票率にしたって低いことも指摘した。
そして、その通りの結果(、、、、、、、)である。
つくづく日本人の馬鹿さ加減は救いがない。
脱原発、消費税反対、TPP加盟反対、戦争断固反対を掲げていながら、それを推進する候補と党を選ぶ。
こんな馬鹿な話はあり得ないのだが、現実にやらかすのが日本人である。
奇しくも、以前に「子供のことを考えている親はいない」、「孫を大切に思う爺婆はいない」と主張したわけだが、それも同時に証明された。
子供のことを思うならば。
孫のことが大切ならば。。
絶対に『今』を破壊する党に投票するはずがないはずなのに結果はこれだ。
『今』が無くなって『未来』が存在するとでも思っているのだろうか。まあ、投票に行かない現役世代も相当アレだが、投票に行く団塊世代以上の『嘘』には反吐が出る。
自分たちは10年以上を考える必要がないのかもしれないが、その子供や孫は違うのだ。
子供や孫のことを少しも考えていないことが証明された今、子供は親の言うことなど聞く必要は無い。近い将来、孫は爺婆を恨むといい。
選挙に行かなかった馬鹿親によって、『現在、選挙権を持たない』子供たちは徴兵制によって、戦場へと、しかも最前線へと送りだされるのだ。
選挙に行った祖父母によって、経済破壊の憂き目をまともに被るのは孫たちなのだ。


しかも。
もう、政権交代可能な小選挙区は廃止される方向にある。
今後、(本当の意味での)政権交代は起こらず、談合政権交代が横行する時代に逆戻りするのだ。
つまり。
政治家や官僚、マスゴミ、検察の横暴は、これから(実態暴挙なのに)正式な『法』として邁進される。
言論統制、情報封鎖、国防軍とは名ばかりの足軽特攻隊の編成。
この国の未来は完全に破壊された。
特権階級のみが利権をむさぼり、大多数の国民は泥水を啜る時代が訪れる。
それも遠い未来じゃない。
近い将来の話だ。
だが、それを選択したのは日本の国民なのだ。
選挙に行かなかった馬鹿と選挙に行った馬鹿がやらかした結果なのだ。
何をされても今日、自民党を選択した連中と選挙に行かなかった連中は文句を言う資格は無い。
選挙権を持たない子供と孫の未来を破壊した(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)のはそいつら自身なのだから、子供や孫に憎まれてもそれは自業自得としか言えないのである。



今、これを読んで「絵空事だ」と鼻で笑った輩は、後から悔やむがいい。
もう一度、言っておくが、私は選挙前に今回の結果を見越していたし、参院選のときに「大政翼賛会のための民主党敗北」とまで言及したし、石川祐氏の裁判で有罪が出ることを的中させているんだ。
まだ絵空事というなら、そいつの頭の中は相当おめでたく作られていると断言してやる。
まあ、そんな奴は近い将来訪れる破滅のその時に泣くがいい、喚くがいい、悔しがるがいい。



さて、真剣に『これから』を生き延びる方法を考えなければならなくなった。
もう、政権選択選挙は存在しないし、日本国民の馬鹿さ加減を見るに付け、悪い方へ悪い方へ進む未来しか見えなくなったわけだから。
一番、ベターな手段は亡命だろうか。
つっても海外に知り合いがいるわけではないので、これから作らなければならないか。
あと数年の内にそれをやらなくては。
もう、『この国の未来』を考える必要は無い。『無くなった未来』ほど考える必要性を感じないものもない。
これからは、『自分の未来』だけを考えることにしよう。
今年の11月12日に小沢一郎国民の生活が第一党首の、『期ズレ』に難癖をつけた茶番裁判が一審に続き、二審も無罪判決が出たことは既に誰しもが知っていることだろう。私は基本的に新聞、テレビを見ないから、この媒体が、どんな反応をしたかはネット情報か、周りの反応で知るしかないのだが、総合すると、どうも無かったことにしているらしい節があるようだ。さすがは世界からは信用の欠片もない日本の大手マスゴミどもである。
「検察の判断は間違いなかった」で済まそうとしている姿勢を貫き、自分たちが何をしてきたかを鑑みる気も毛頭ない、ことだけは容易に想像つく。
良識ある一般の人たちは、ニュースで判決前の報道が流れるたびに、「え? あの裁判、まだやってたの?」が大抵の反応で、そもそも裁判になっていることに疑問と血税無駄遣いに対する憤りを口にする人が多かったのだが、新聞テレビマンセーの連中は4月26日の無罪判決においても「限りなくクロに近いシロ」と意味不明の言葉で気勢を上げていたというのに、2回目の無罪が出た途端、新聞テレビマンセー人らしく、触れようともせずに、こちらから突くまで知らん顔を決め込んでいるほどの醜態を晒している。
今さら、どんな裁判をやっているかを説明する気もまったくない。
それくらい馬鹿らしい案件で、こんなもののために血道をあげている意味が分からないのが私個人の感想であることは何度も言ってきたし、それに対して「必然」と考えている輩が大勢いることを理解できないとも言ってきたわけだが、いまだにその感覚は理解できないし、するつもりもない。
まずもって、この裁判に怒る方向を間違えているのが新聞テレビマンセーの連中なのだ。
この裁判に怒るべき本当のポイントは三つ。


1)捜査に1年かけた上で30億の血税を浪費したこと。
2)起訴するために検察が捏造書類を作りまくっていたこと。
3)リーマンショック後の大不況の時期に政治を大混乱させたこと。


なのである。
ところが新聞テレビマンセー連中にとっては、上記3つはどうでも良くて、とにかく「小沢一郎が悪人で失脚すること」が大事だったわけだから、これだけ司法側の不祥事が明るみに出ているのに、怒るポイントは『小沢一郎に対して』ただ一点なのであり、いまだに今回の裁判も納得が出来ないのか、こっちが突っついたときに意味不明の言い訳に終始するのみである。


曰く、検察が立証できなかった。
曰く、証拠が見つからなかった。


と言った具合に。
本気で馬鹿だと思う。
まず、立証できない理由を取り違えているわけだが、そもそもこういう連中に限って、小沢氏が何の裁判をやっているのかを理解していないし、また、「疑わしいなら裁判ではっきりすべきだ」と言っておきながら、はっきりしたのに結果が不満で上記言い訳を並べ立てるのである。
まず、検察が立証できなかった(=起訴できなかった)時点で裁判になるはずがない、という認識がない。
さらに「疑わしきは罰せず」の意味を履き違えている。これは「加害者が疑わしいだけという場合は罰則を与えない」という意味ではなく「捜査側が疑わしいことをしているなら罰してはならない」という意味なのだ。
極め付けに、「証拠が見つからなかった」という言葉で誤魔化そうとしているわけだが、『証拠』は見つからなかった、、、、、、、、 のではない、最初から無かった、、、、のである。
小沢氏が巧妙に隠した、というのであれば、それは1年と30億の血税を使って見つけられなかった検察の捜査能力が無能であったという証明に過ぎないわけだし、となれば無能な検察が面子のためだけに血眼になって小沢氏を貶めようとした、という論理に繋がると思うのだが、こういう思考が存在しないのが新聞テレビマンセーの連中の特徴である。
ちなみに、小沢氏の証拠なしについて、ちゃんとした思考の持ち主ならこう思うのである。


「証拠が見つからなかった」のではなく「証拠はなかった」


と。
そりゃそうだ。起訴した案件99%の有罪率を誇る『優秀』な検察殿が見つけられなかったのだから、最初から『無かった』と考える方がしっくりくる。来ないのは、客観的に見ることが出来ない単なる「小沢憎し」感情の暴走に過ぎない。この構図はアメリカの愚将・ブッシュが支持率アップのために大量破壊兵器をイラクが隠し持っていることにして攻撃したのと同じである。こちらも実際には大量破壊兵器は見つからなかった、、、、、、、、 のではなく、無かった、、、、のだ。それは後に米調査団のチャールズ・ドルファー団長が発言したので確かなのだろう。
難癖で攻撃されたイラクはたまったものではない。サダム・フセインがどんな人物だったかは知らないが、イラク人の反米感情を見るに付け、サダムが独裁者だった、というのもでっちあげのような気がしてくる。
「見つからなかった」と「なかった」では意味合いが行って来るほど違う。それさえも気づかずに自分の喋っている言葉の意味が分からないのだから新聞テレビマンセーの連中は馬鹿の末期症状である。


で、毎回言っていることだが始末が悪いことに、この日本という国は新聞テレビマンセーが蔓延る世界最底辺の国民性が集う愚者の集まりであるからして、突っつくまで知らん顔(正確にはバツが悪いのでなかったことにしようと躍起になっている)を決め込み、突っつかれると言葉の意味を理解していない言い訳を並べ立てる連中が揃っている。
こういう連中が今度の選挙でまた馬鹿をやらかすのだ。それも数多く。
この国の未来は真剣に暗い。
この新聞テレビマンセー=もうすぐ現役引退より上の大老害世代こそ、日本の未来を思うなら選挙権を放棄しろ、と強く思う。
しかし、そうならない。
破滅への一票を、悪事を自覚することなく投票するのがこの国の老害どもである。
今日、衆議院が解散し、12月16日に投票が行われる。
はっきり言って、今回の選挙ほど絶望感しか見出せない選挙もない。
私は、史上最低ランクに近いほどの投票率で、史上最悪の政権が選択されると踏んでいる。
まずもって、民主自民公明連合と太陽維新みんな(名前を変えろと言いたい)減税連合は、「消費税賛成」、「TPP加盟」、「原発推進」で政策が一致しているのだから、どっちの連合が政権を取ろうが、表の名前が変わるだけで中身などまったく変わらないし、菅内閣以後の悪政が続くことを意味するのだから選択する意味がない。
が、ここは何度もで言ってきた通り、世界最底辺の国民性が蔓延る日本なので、二つの連合の違いを理解することなく、どちらかの連合が選択されることはまず間違いないことだろう。
ネットやツイッターなどでは「国民はそこまで馬鹿ではない」という論調をよく見かけるのだが、それは高望みし過ぎだ。
断言してもいいが、大多数の日本国民はそこまで馬鹿、、、、、、なのである。
現役世代から上の老害どもは新聞テレビマンセー、現役世代でも大半は政治に無関心で選挙権を放棄する連中の集まりなのだから。
だいたい、(これも散々言ってきたが)大阪の橋下や東京の石原なんかが当選できる時点で馬鹿の集まりなのである。
むろん、既成政党には何も期待できない気持ちは解らないでもないが、だからと言って、この二人を選ぶことはヒトラーかムッソリーニを選ぶようなものなのである。
要するに言葉や演技に騙されて、その人物の政策が二の次なものだから、陶酔したまま何も気付かずどん底に堕ちていっていることを自覚できないようなものなのだが、これが日本人なのだ。
違うなら、2005年に小泉なんぞ選んでいるわけがないし、星野仙一が大手を振って歩けるはずもないことはもちろん、いまだに振り込め詐欺が横行している時点で、この国の国民性は程度が知れている。
国民の7割はネットを閲覧しているようではあるのだが、いったいその内の何パーセントが今の状況の危機感を感じているだろうか。
少なくとも私の周りでは、百人集めれば多くても五人ほどしかいない。率に直せば5%に過ぎないのであるからして、おそらく国民全体でも危機感を持っているのは30%、ヘタをすれば20%いるかいないかだろう。
要するに危機感を持っている人間の方が少数派マイノリティなのだ。


誤解を恐れずに言うならば、私は今でも2009年8月31日の政権交代は間違っていなかったと考えている。
当時の鳩山首相、小沢幹事長体制の民主党のまま、今現在も続いていたならば、まったく違った世の中になっていたという確信がある。
それを潰したのは官僚であり、マスゴミであり、そして何よりもマスゴミの姦言を疑うことなく鵜呑みにした7割の国民なのだ。
これも何度も言ってきたが、鳩山政権下では『国民の生活が第一』を理念に掲げるマニフェストは実行されつつあったのだ。
子供手当、高校無償化、高速道路無料化と段階を踏んで実施されていたにも拘らず、良策を無視し、政策以外のところでバッシング報道しかしなかった大本営発表マスゴミを鵜呑みにした国民が、鳩山政権下の国民福祉国家理念をぶち壊して自分たちの生活を苦しくしたのである。
それでいて、その後の菅政権や野田政権を批判するという無責任極まりないことをやっているのだから、真正のアホどもがここにいた、だ。
真の悪とは自分が悪だと気付かないで悪事に手を染めている連中を指す、と何かで見たことがあったのだが、まさしくその通りである。
そして、今回も、己の悪事を自覚することなく馬鹿をやるのだろう。
少なくとも消費税反対ならば、決して上記二連合に票を入れるなどやるはずがないのだが、この2連合に票が集まる未来しか見えないのが何とも嘆かわしい。
むろん、この2つの連合の違いを報道しないマスゴミも悪いのだが、報道しないならば、己自身で政策がどう違うのか、それがどう生活に影響するのかを自分で調べなければならないはずなのに、それをすることなく投票する輩が多いのは目に見えている。
所詮、日本人などこの程度なのだ。
前にも言ったが、破滅のその時まで気付かない世界最底辺の国民性しかないのだ。


さて、私自身、本当に誰に投票して、どの党を選ぼうか悩んでいる。まあ、どの党に入れるかは決めているが、しょせん比例区なんぞ、180議席にしかならないし、過半数に届くはずもない。
しかも、私自身の一票は、今回ばかりは何の足しにもならないことが見えてしまっている。
消費税は、社会保障にも財政再建にも繋がらないと知っているのに。
TPPは、日本を破綻させる機構でしかないことを知っているのに。
原発は、日本の国土を汚染させるものでしかないと知っているのに。
それなのに大半の日本人はこの三つを肯定的に捉えている馬鹿が多いのと反対意見で捉えていながら、それを推進する候補者と党を選ぶだろうし、どんなに反対票を投じようとも、それがお馬鹿票激流に飲み込まれることが分かっているだけに投票に行くこと、そのものに強い倦怠感しか感じない。
それでも白紙委任状に判を押すつもりは無いので投票には行く。どんなに無駄だろうと。どんなに虚しかろうと、だ。


2015年日本壊滅予想。
どうやら当たりそうな気配が漂ってきた。
7月2日に小沢一郎が賛同者を伴って民主党を離党した。
まあ、あんな上層部じゃ嫌気も差すだろう。むしろ、よく我慢したものだと思うほどなのだが、相変わらず日本のマスゴミは国民生活の破壊者を擁護して、国民の生活を守ろうとした小沢氏を既得権益集団の要請にしたがって叩くのだから、もはや(というか昔からかもしれないが)ジャーナリストではなく、既得権益集団の走狗にして広報である。
ちなみになぜ、テレビ新聞が消費税を強く批判しないかというとこいつらは免税業者に成り得るからだ。
つまり。
新聞屋は紙、インク、取材費用など必要経費にかかる消費税をすべて返還可能になる存在になる。
テレビ屋は広告量収入が非課税収入になることにより、これまた製作会社に支払う分の消費税をすべて取り戻せるのだ。
こんな暴挙が罷り通ることをたいていの国民は知らない。
知らないのは新聞テレビが決して報道しないからなのだが、それならば自分で調べるしかないにも拘らず、それをしようともしない。
大企業が賛成なのは輸出品に消費税がかからないのを利用して仕入れにかかる消費税を搾取できるからなのだが、海外取引であれば、まあ関税とか為替とかあるからまだ分からないでもない。
しかし、テレビ新聞は国内で消費され収入を上げているにも拘らず消費税を騙し取れる存在となるのだ。ましてや年間80億ほどの税金が『記者クラブ宿舎』という名目でマスゴミなんかに浪費されている。こんな連中がまともに報道などできるわけがない。国民はいい加減、真実には到達できなくても事実くらいは知った方が良いと思うのだが、所詮、この国の国民性は世界最底辺であり、自分で考えることを放棄し、新聞テレビマンセーで垂れ流される情報を鵜呑みにするお馬鹿が多い大老害&無関心国家なので救いがない。


そして平成24年7月6日。
この国は世界に向けて決定的に民主主義国家を放棄したことを知らしめてしまったのである。


現在、毎週金曜日に官邸前で大掛かりな脱原発デモ(反原発は言葉の使い方が違う)が行われており、同年6月29日は15万とも20万とも言われる規模で世界でも紹介されたわけなのだが、なんと7月6日のデモは官邸が警察と機動隊を動員して、強制的に潰したのである。
もちろん、中国天安門の時のように戦車や発砲があったわけではないが、地下鉄や道路の封鎖などを強行し、集まりつつあった前回以上の国民をデモに参加させなかったのだ。
これははっきり言って民主主義の否定である。
デモクラシーは民主主義において国民が持つ当然の権利。
それを潰すということは官邸側は国民の声を聞くつもりはない、ということをはっきりと意思表示したことになる。
こんな国は民主主義国家としては絶対にあり得ない。
しかも、大多数の国民は『この事実』を知らない。なぜなら官邸の走狗であるマスゴミが矮小するか報道しないかという姿勢をとっているからだ。
これは報道規制である。むろん、これも民主主義国家ではあり得ない。国民は『知る権利』を奪われていることに気づいていないのだ。


政財官報検の癒着構造がここまで歪んでいるのは戦前、戦中、言ってみれば戦争の反省をまるっきりしていないことの証左である。
もちろん、既得権益集団にも問題はあるが、最大の問題は国民が己が無知なことを棚上げして事実すら知ろうとしない大老害洗脳国家だからでもある。
加えて10月1日からインターネット規制法も施行される。これも国民の大多数は知らない。
世界基準の情報収集媒体を規制する国など日本の他には北朝鮮と中国くらいしかない。
この国は中国並みの検察情報統制国家であり、北朝鮮並みの国民総洗脳国家である。
変革するにはもうクーデターしかないだろう。
現在のデモがクーデターの狼煙になり、野田や仙石、前原、勝をさらし首に出来たとき、この国は変わる、かもしれない。
が、この国が2015年を迎えることはないと私は予測している。
昨日、4月26日に小沢氏の政治資金規正法違反疑惑の判決が出た。
もう、知らない人の方が居ないだろうという結果で、正直言って、はっきり言って、私はこの判決は意外だった。
なぜなら、まず有罪が出るだろうと考えていたからだ。
むろん、今回の裁判沙汰になっている起訴案件は、被告側は文字通り『事実無根』であり、犯罪性もなければ事件性もない案件であることは、これまでもずっと語ってきたから今さら深く言う気はさらさらないが、そんな案件が裁判沙汰になったという時点で、これは是非を問うものではなく、結果ありきの茶番だから、有罪しか出ないと思っていたのだ。


ところがどっこい『無罪』である。


判決主文を読んでみると「どうしてこれで無罪判決になったの?」と言うくらい、検察側の主張をほぼ認めていたようなものだったのだが、これは上手い解説をして人がいた。

小沢無罪判決、控訴もなく確定判決に 判決に籠められた暗示と今後の政局

言われてみればなるほど、である。
検察は、どんなに下手だろうと投稿してきた持ち込みの作家と同じだった。
ただし、その検察は裁判所という出版社に大きなコネがあって、これまではどんなにくだらない作品でも入選してもらえてきたが、今回ばかりはコネも通用しないほどの稚拙な文章で、リアリティも訴えるものもなく、「これじゃちょっと……もっと上手くやらないとダメだよ……」と言われてしまったも同然と言えよう。


しかし、である。


この日本という国は再三言ってきたが、世界最底辺の国民性が蔓延る国であり、やっぱり案の定、もう理解力すらない連中が揃っているなと感じる出来事を今日の朝から耳にしてきた。
まず根本的に「小沢一郎がどんな裁判をやっているのかを知らない」で喋っている。
試しに聞いてみたら「4億の不記載」と答える奴ばっかりだった。
もちろん、そんな裁判はやっていない。やっているのは記載のズレに共謀性があったかなかったか、だけである。
で、さらに続けて、「それにどんな問題があるの?」と聞くと、「裏金だから、疚しい金だから」と返って来る。
ちなみに、それなら検察側も堂々と収賄、斡旋利得という罪状で引っ張れるのである。ところが検察自身は証拠がまったく皆無だったため、『不起訴』としたのであるからして。
つまり、その4億は裏金でも疚しい金でもないことになる。
で、こういう連中が最終的に何と言うか。
「黒に限りなく近いグレー」、「本当はクロ」
心の底から馬鹿だと思う。
『白黒をつける』裁判が『シロ』と言ったのである。もちろん、検察側が控訴しないとは言い切れないが、現時点では『シロ』であり、潔白であることを示しているにも関わらず、己の想像だけで『クロ』と決め付けているのだ。
つくづく想像力豊かな馬鹿である。まあ、これはこの馬鹿も悪いが、もちろん、それを扇動するマスゴミが悪いのは今さら言うまでもない。
「疑惑はさらに深まった」と言う馬鹿ばっかりだが、その疑惑に決着をつけるのが『裁判』という制度なのだから、判決後に「疑惑が深まった」なんて意味不明のことはあり得ない。だったら裁判なんて最初からやる必要はないし、裁判制度そのものが必要なくなる。
――――わけなのだが、それすら分からないのが馬鹿の集団・日本人である。
本当にこの国はダメだと思う。新聞テレビ以外の情報を得ないから、こういう馬鹿が際限なく増え続けるのだろうとつくづく感じる。
自分が何を言っているのかくらい理解してほしいものだが、どうやら理解できていないらしい。自分の発言に矛盾を感じていないらしい。
ついでに言うなら、「小沢は悪い奴だ」とほざいている連中が、もっと悪いことをしている、言い換えれば国民の生活を破壊している現実が見えていないのだから、もはや馬鹿の末期症状である。


さて、そんな中でも、これは光明ではないかと感じる一文を拾えた。
私の中は今でも、その評価の高さは変わっていないつもりの岡田克也氏がこう言ったそうだ。


岡田副総理「小沢氏無罪うれしい」「いつでも話する」


野田、仙石、前原、枝野、玄葉、安住、小宮山と言った連中は憮然として、いまだに悪あがきをしているようだが、世間からは同類に見られていた岡田氏は小沢氏の無罪を歓迎する姿勢を見せているようなのである。
これが本当なら喜ばしいことだし、同じ党所属の幹部として当然の反応でもある。小沢氏が本当に復権することが出来るなら岡田氏もようやく四面楚歌に陥って自棄になっている今から脱却することが出来るかもしれない。
私はそう信じたい。小沢氏と岡田氏が組めるなら、小沢氏は橋下なんぞに日和る必然性はなくなるはずだ。
橋下なんかと組むのではなく、名古屋市長・河村氏と組んで、国民の生活をこれ以上、破壊しない方策をとってもらいたいものである。
消費税増税のごたごたでついに国民新党の亀井氏以外の頭が狂ったようだ。
総じて権力欲とは下に恐ろしい。
それと言えることは分相応という言葉を知らないボンクラ国会議員が、もう手の施しようがないくらい蔓延してしまっていることである。
権力を持つ器量がない人間が権力を持つとこうなる、という見本としか言いようがないのが今の日本政府だろう。


それはさておき、現在、野田政権と財務官僚が大手マスゴミを伴って大々的な消費税増税を施行しようと躍起になっているわけだが、これははっきり言って振り込め詐欺と同じである。
振り込め詐欺はその昔、「オレオレ詐欺」と言っていたわけだけど、子供を装って年寄りから金を騙し取る手口で、前にも言ったが、こんな詐欺が横行できるのは日本だけである。
考えてもみてほしい。
自分の財産を、いくら我が子を名乗ったからと言って、証拠もなしにおいそれと給金できるものだろうか。
ところがこの日本という国は、この詐欺に引っかかる団塊世代以上の大馬鹿老害人と馬鹿正直とうっかり者の区別がつかないもう直ぐ現役引退世代が多数いるので給金してしまうのである。まさに馬鹿の真骨頂。振り込め詐欺に注意、と促しても、馬鹿の耳に念仏である。所詮、この連中は考えることを放棄し、流されるままに生きている連中だから少しも注意しないのは自明の理というやつだ。


で、この連中がまた馬鹿をやっている。
今度は政府と財務官僚の、要約すれば「俺たちのお金が足りないので振り込んでくれ」なのに、財政とか社会保障とか言ってる屁理屈を真に受けて、消費税増税を良しとする風潮に乗せられてしまっているのである。
これも前に言ったが、これに引っかかることは『今』を破壊し、『未来』を放棄することである。
言い換えよう。
現役もうすぐ引退世代より上の連中は、自分の子供や孫たちの未来を破壊しようとしていることに気づいていないのである。
まったくもって馬鹿げている。
「子供のことを考えない親はいない」というどこか常識っぽい言葉があるようだが、消費税に賛成している時点で、これは嘘であることを曝け出している。
つまり。
子供のことを考えている両親などいないということだ。
孫を大切に思う祖父母など存在しないということだ。
違うと言うのであれば絶対に消費税に賛成するはずがない。良しとするはずがないのである。
なぜなら、少し調べれば分かるからだ。
さんざん言ってきたので今更、細かく言うつもりはないが、消費税が財政再建にも社会保障費にも繋がらないことは明白なのだ。
にも拘らず、「国がなくなったら子供や孫が困る」などと勘違い甚だしいことをぬかして消費税増税を良しとする馬鹿親から馬鹿爺婆が後を絶たないので呆れてしまう。
消費税が増税になると言うことは、景気が後退し、さらに子供や孫が苦しむ羽目になることは間違いないのに、それに気づかない。
まさか、子供や孫の会社や生活と消費税は別物だとでも思っているのだろうか。そうとしか思えないほどの馬鹿が多すぎる。
消費税は会社や生活を直撃するのである。
どうしてそれに気づかないのだろうか。後から気づいても遅いし、手遅れなのである。


日本は今まさに破滅の道にまっしぐらに進もうとしている。
気づいている人間は結構いて、声を上げているんだけど、聞く耳を持たない老害どもや無関心人の数が、気づいている人間をはるかに凌駕してしまっていてすべてを台無しにする。
後から悔やんでもどうにもならないのである。
もし、後から気づいて本当に子供や孫に悪いと思った『もうすぐ現役引退世代以上』は腹を掻っ捌いて日本からいなくなればいい。
相当乱暴な言い方であるが、私はこう思ってしまうほど、今の年寄りどもに怒り心頭なのである。
前回の更新からなんと半年が過ぎていた。
ブログを書くのが億劫になってきたわけではなく、あまりに時間が早く経っているように感じてしまっていることが一番の理由だろう。
まったくもって歳は取りたくないものだが、生きとし生けるもの全てにおける普遍の法則なのだからどうにもならないものである。


はてさて、何故か日本中を揺るがしている事件(?)が去年からあって、その名を陸山会事件と言うらしい。
私にはいったいどこに『事件性』があるのかが理解できないのだが、誰に聞いても明確かつ芳しい回答は得られなかった『事件』である。
なんせ誰に聞いても『道義的』とか『真相究明が為されていない』とか抽象的な表現が多く、少なくとも『真相』は検察が捏造しまくった案件だ、ってことが明るみに出たはずなのだが、どうやら『大多数の国民』にとっては、それは『真相』ではないらしい。なんとも想像力が豊かな国民だなと諦観している自分がいる。
それくらい大馬鹿者どもの集まりだ、この国は。
ちなみに、今さら中身を話すつもりなどさらさらないのは、あまりに馬鹿らしい案件だからである。世界中を見渡しても日本を入れて数ヶ国くらいしか裁判にならないんじゃないかという裁判を、国民の血税を浪費してやっているのだから、すでにこの国は正気ではない。正気ではないのだが、そのことに気づいている国民の方の絶対数が少ないのだから本当にどうしようもないのである。


で、その裁判の判決が4月26日に出る。
そして、同時にこの日が日本終焉の序章になることだろう。
なぜなら、この判決が今後の日本を左右するからである。そして、私はこの判決は悪い方へ向かうと推測している。
理由は至極単純。
この日本という国が『法治国家ではない』という前提で考えているからだ。
そもそも、真っ当な『法治国家』であれば、こんな馬鹿げた裁判はあり得ないし、また、裁判になったからと言って被告が『犯罪者』であるわけでもない。単に嫌疑をかけられている、ってだけのことだ。しかも、この裁判は嫌疑自体が難癖であり、これを犯罪とするならば、言いがかりとデッチ上げとサクラを準備するだけで誰でも犯罪者に仕立て上げられるからである。火のないところに煙は立たない、と言うが、世の中、『放火魔』という名のマスゴミという存在がいるので、火が立たないところでも無理矢理立てることができるから、「火のないところに煙は立たない」という言葉は誤りである。
そして、こんな『法治国家』はあり得ない、ではなく、これで『法治国家』とは言えない、のである。
なんと言っても『法治国家』の基本概念は『推定無罪』である。それが無視されているから私はこの国は『法治国家ではない』と言い切っている。
この裁判で小沢一郎氏に有罪判決が出れば、この国は終わる。
なぜかといえば、良し悪しは別にして小沢氏だけが破壊魔である官僚体制にヒビを入れることが出来るからだが、この裁判で有罪が出れば、既得権益集団と子飼いの大手マスゴミが決定的に彼を社会的に抹殺するための方策を取ってくることは想像に難くないし、日本国民の大半は大手マスゴミの扇動に疑いもせず鵜呑みにするから、これを機に、反増税派が完全に押さえ込まれ、大増税時代が到来し、『今』が破壊され『未来』はなくなることに気づくことなく、大手マスゴミに賞賛の嵐を送ることが目に見えている。それが自分達の首を絞める第一歩だとしても、それに気づかないままで。
それは歴史が証明している。私は以前、2005年が分岐点で、ここで選択を間違えたので、日本は衰退の一途を辿ると書いたことがあった。しかし、2009年9月に、もしかしたら踏みとどまったかもしれない状況が出来上がっのに、それを潰そうと躍起になった連中に、大多数の愚者国民が乗せられてしまい、結局、現在、元の木阿弥となってしまったことがあったことで明らかである。


もう一度言う。
この国は『法治国家』ではない。
よって、本来の『法治国家』であれば無罪が出る案件どころか、裁判にすらならない案件であるにも関わらず、小沢氏に有罪が出る可能性は高いことだろう。
また、それを拍手喝采する国民が大多数いる限り、70年前と同じく、日本国民は破滅の道へと踏み出すのである。
以前、私は2015年を迎えることは出来ないかもしれない、と言ったが、どうやらその通りになる公算が高くなってきたようだ。
今日、小沢氏の元秘書三人の、いわゆる陸山会裁判の判決が出た。
結果は全員有罪。
不思議な話である。
裁判所は検察が提出した証拠のほとんどを却下したというのに、その却下した証拠など最初から無かったかの如く、想像だけで有罪判決を下したことになるのである。
じゃあ、証拠なんて要らないじゃん。でっち上げで誰でも犯罪者に仕立て上げることが出来る、ってことじゃん。
という結果なのだが、実のところ、この結果を私は予想していた。
嘘だと思うのなら、こちらを見ていただきたい。
ここにコメントを残しているRevolutionというHNが私である。


2011年7月7日のコメント

2011年8月14日のコメント

2011年9月4日のコメント



今回の裁判は、最初から有罪ありき裁判だったということは分かっていた。
なぜなら、この裁判が有罪にならない限り、小沢氏が裁判にかけられることはないからだ。
小沢氏を強制とは言え、起訴した以上、どうしても裁判をやらなければならない。
どうしても裁判をやるためには、小沢氏の関与を認めなくてはならない。
今回の有罪判決の理由はただそれだけである。
証拠や証言など茶番に過ぎなかったのである。
不当判決であることは疑いも無いことだが、別の見方をすれば、ある意味、不当でも何でもない正当な判決なのである。
日本という国は、裁判官と検察がどっぷりで、検察の面目を保つためだけに、馬鹿げた判決が出るという国である。
でなければ、検察が起訴した裁判の有罪判決率が99%などと言うことはあり得ない。
というのも、裁判とはあくまで、是非の裁きの場であり、決して、犯罪者の刑を決める場ではないことは、それこそ『グローバルスタンダート』なのである。
こんな意味不明の有罪率は日本の他では世界では、中国か北朝鮮しかない。中国は警察国家だから、どんなに国民が反発しようとも力で抑え込まれるのでどうにもならないが、日本と北朝鮮はまったく違う。
『警察に逮捕された者は犯罪者』、『裁判にかけられたものは有罪』という誤った常識を国民が植えつけられた、言わば洗脳国家であるから、こんな馬鹿げた常識が罷り通るのである。
それゆえ、小沢氏を何が何でも犯罪者に仕立てるべく、この裁判を有罪にする必要があったのである。
もう一度言う。
物的証拠や被告側弁護など、まったく考慮されていない判決である。他のまともな国なら絶対に無罪判決が出る案件である。
つまり、この国は北朝鮮となんら変わりない国民の大半が考えることを放棄し、垂れ流されるミスリードを何の疑いもなく、真に受ける愚民が集う世界最底辺の国家に過ぎなかったということだ。


新聞テレビといった大馬鹿なマスゴミと何も考えていない愚者国民。
本当に、この国は七十年前から何も変わっていない。
太平洋戦争の反省などしていない最悪の国だ。
もうすぐ破綻が訪れることだろう。2015年は迎えられないかもしれない、と強く思う。
しかし、国民は気づかない。
本当に最後の最後、破滅のそのときまで気づくことはない。
誰かは忘れたが、上手いことを言った人がいる。

『馬鹿は死ななきゃ治らない』

まさしく、この国はそれを体現している。
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